2.
さて、譲とすっかり仲良しになった高耶さんは、数日後から学校に通うことになりました。
二人は学校へと続く春の森を歩いています。
木の葉の間から漏れる日の光がキラキラと輝いて、その美しさにウットリとすると共に、高耶さんはこれから繰り広げられる憧れの学校生活に、胸を湧き躍らせていました。
「なあ、オレ学校に行ったことないんだ。読み書きは出来るけどな。学校ってどんなトコ?」
「う〜んとねぇ」
譲は詳しく説明し始めました。
クラスメイトのこと、先生のこと、授業の様子、そして一人とても格好良い少年がいること。
「なあ、そいつってそんなにかっこいいのか?」
「うん、女子たちに凄く人気があるんだよ。オレたちよりも年上で、背がスラッと高いんだ。勉強もできるしね」
「へえ〜」
高耶さんは期待に胸を膨らませました。
実は高耶さん、理想の男性像を追い求めているのです。高耶さんは小説などを読んでいて、たとえば絶世の美青年が話中に出てきたとき、今までそんな人を見たことが無い高耶さんは得意の想像力をフル活用してそれは素晴らしい彫像のような美青年を思い浮かべてきたのですが、どうも想像力だけでは肉感的な部分が補えず、モデルとなるに値するような男性を探していたのです。
「そういう時、その美青年の相手役の美女はオレがなるんだ。豪奢なレースと花が沢山ついた、それは綺麗な服を着て、オレは物語の中で美しい姫君になるんだけど……。でもな、オレってこの赤眼だろ?どんな物語を読んだって赤眼の美姫なんていやしない。自分の目は星のようなスミレ色なんだってどんなに想像してもダメなんだ。生まれたときから呪われた赤眼、赤眼って言われてきたせいで、赤眼以外の自分がどうしても想像できなくなってしまった。オレは一生この苦しみにうちひしがれ続けなければならないんだ……」
高耶さんの悲嘆にくれた呟きに、譲が「そんなことないよっ」と否定します。
「高耶はそりゃあ赤眼だけど、睫毛は長いし、肌はそばかす一つないし、髪はぬばたまで鴉の濡れ羽色だし、鼻なんてウットリするほどきれいな形だし、手足も長くてスタイル抜群だし、高耶ならきっとステキなお姫さまになれるよ!」
「そうかな……?」
「うん、そうだよ。絶対!」
激しくカン違いした会話を続けていると、そこへ後方から一人の少年が走ってきました。
「おはよう」
すれ違いさま、譲に声を掛けてきました。「ああ、おはよう」と譲が返すのを尻目に、高耶さんはその少年に視線を移しました。
見たところ、高耶さんたちより四つほど年上のようです。鳶色の髪と瞳に、鼻筋のスッと通ったとてもハンサムな少年でした。
とたん、少年がこちらを見て目線がパッと合います。高耶さんがドキッとしていると、少年はいきなりパチンッと高耶さんにウィンクを投げてよこしたのです!
そのまま前方に走り去っていった少年を目で追いながら、高耶さんは眉を顰めました。
「誰、今の」
「ああ、直江くんだよ、直江信綱。さっき話しただろ?いつ見てもかっこいいよね」
「まあ、……顔がいいのは認めるけどさ。オレにウィンクよこしたんだぜ。ああいう軽薄そうなのは好みじゃないな」
前の方を歩いていた女の子グループに、直江は声をかけていました。途端にキャーキャーという黄色い声が上がります。
譲はキョトンとして尋ねました。
「好みじゃないって?」
「オレ、もっと誠実そうで、情趣と想像力があって、どこかしら影が差していて、実は高貴な生まれだったりして、それでもって不治の病なんか抱えているとサイコーなんだけど、そんな人がいいなぁ」
ああ、でもとんでもない犯罪者を自分の手で更生させるってのもロマンだよなぁ。……などと夢見がちな瞳で高耶さんは呟きました。
後者はともかくとして、前者が高耶さんの理想の王子様像なのです。
しかし何かが間違っています。高耶さんは恋愛小説を熱読するあまり、自分がすっかりそのヒロインになりきっていて、時おり自分が男だか女だか分からなくなってしまうのです。
しかも本人は全く疑問に思っていないし、態度や口調も普通の男の子とそれほど変わるところがないので、全くもって不思議な少年です、考えることだけがおかしいのです。
「ふーん、そうなんだぁ」
こちらも頭の線が一本抜けているのか、譲はツッコミもせずに興味深そうに頷きました。
高耶さんの不幸は、どんなにおかしなことを言っていても、まわりにツッコんでくれる人がこの11年間誰もいなかったことでした。
授業が始まりました。高耶さんは教壇の上に立って、自己紹介をします。
「グリンゲイブルスの仰木高耶、11歳だ。景虎とも呼ばれている。これからよろしく」
生徒たちは突然現れた赤眼の美少年に皆釘付けです。
高耶さんが喋り終わった後、教室の壁にに寄りかかっていた教師がツカツカとこちらに歩み寄ってきました。
「なかなかおもしろい奴が入ってきたな。景虎とやら」
教師は高耶さんの前に立つと、教職につくものに相応しいとはとても思えぬ悪魔的な笑みをニヤリと浮かべたのです。
高耶さんはゾワッとしました。
「わしもおまえと同じ赤毛だ。我らには共通点が多い」
「いや、オレ赤毛じゃなくて赤眼だし」
高耶さんは馴れ馴れしく肩に回してきた腕を、嫌そうに払いのけました。
「同じようなものだ。それにこの信長の手を払いのけたその度胸、ますます気に入った!これから仲良くやっていけそうだな。はーっはっはっはっは!おっかしぃのお!」
おかしーのはてめぇの頭だと軽蔑の視線をくれてやりながら、馬鹿は無視とばかりに高耶さんはスタスタと席に着きました。
高耶さんの席は譲の隣です。「これからよろしく」と譲が笑いかけてきました。
それに微笑み返して、通路を隔てて左の席を見ると、そこには金髪の少年が座っていました。高耶さんと目が合うと、金髪少年は綺麗な顔をゆがめてギロッと睨みつけてきました。
「なんだぁ?」と高耶さんが呆然としていると、譲がちょいちょいと腕を突付きます。
「あいつは森蘭丸って言うんだ。織田先生のお気に入りでね。授業中もあいつに付きっ切りだしさ。オレたちの間じゃデキてるんじゃないかって、もっぱらの噂。だから高耶が織田先生に気に入られたんで、あいつ嫉妬してるんだよ」
高耶さんにとってははた迷惑もいいとこです。信長も確かに造作は悪くありませんでしたが、高耶さんの理想とはかけ離れた男でした。
高耶さんは身体の向きを前に戻し、ノート代わりの小さな石盤を机の上に出してチョークを握ると、ふと視線を感じて肩越しに後ろを振り返りました。
(あっ……)
高耶さんの真後ろの席に、今朝行きがけに会った少年・直江が座っていたのです。
高耶さんと目が合うと、直江は先程と同じく右目でウィンクしてみせました。
高耶さんはムカッとして、不快感も露に正面に向き直ります。それに驚いたのは直江でした。
直江は生まれてこの方、女の子にこんな風につれない態度をされたことがありません。(高耶さんは男の子ですが…)
どうにかして、この切れ長の、クラスのどんな女の子よりも綺麗な眼をしたこの男の子を振り返らせたい衝動に駆られました。
直江は机から身を乗り出して、高耶さんの耳元で囁きかけます。
「赤眼さん、赤眼のウサギさん」
その瞬間、高耶さんは突然耳を押さえてガタッと立ち上がり、怒髪天を衝くかの如き形相で、直江を今にも射殺さんとばかりの勢いで激しく睨みつけました。
高耶さんにとって「ウサギ」は最大の禁句でした。何しろ生まれたときから赤眼赤眼と気味悪がられるのと同じく、ウサギウサギと馬鹿にされ続けていたのです。
小動物は大好きな高耶さんですが、自分と同じ色の目をしたウサギだけは、大っ嫌いだったのです。
高耶さんは肩をワナワナと震わせながら、屈辱のあまり涙が滲んだ瞳で直江を憎々しげに見下ろして、
「よ、よくもウサギと言ったなあ───ッ!」
そう絶叫したとたん、手元に置いてあった石盤を両手で掴んで、ななんとそれを直江の頭に叩きつけたのです!
ガッシャーンという派手な音を立てて直江の頭が…ではなく頭に打ち下ろされた石盤が割れて飛び散りました。
直江と周りの生徒はあまりの出来事に呆然として、教室内が突如シンッと静まり返ります。
そして高耶さんは、怒りに我を失っていたものの、憤怒の炎を燃やしていた赤眼は次の瞬間には元の光を取り戻し、今度はその白い肌がサァッと青く染まっていきました。
(し、しまった……つい……)
後悔先に立たず、とき既に遅し。
かち割った石盤の破片を握り締めながら立ち尽くしていた高耶さんの前に、教壇から降りてきた信長がつかつかと近寄ってきました。
「わしの授業で騒ぎを起こすとは、良い度胸だな、景虎」
信長の目に危険な光が宿ります。楽しげに嗤う姿はまるで天魔のようです。
「さて、どんな仕置きをくれてやろうかのぉ」
高耶さんはゾワゾワッと全身を鳥肌立たせました。ゆっくりと近寄る信長に対し、おぞましげな物を見たかのように高耶さんはズルズルと後ろにずり下がります。
しかしその二人の間に割り込む者がいました。
「やめろ信長、俺が悪いんだ。彼に非は無い」
我を取り戻した直江です。直江は背中で信長から高耶さんを守りました。
「ほう、生徒の分際で教師に盾突く気か。直江信綱」
直江は無言で信長を睨みつけました。ギラギラとした双眼は、言葉には表しがたい昏く深遠に満ちた混沌を秘めています。
それを見て、信長がさも可笑しげにフフンと笑います。
「良い眼だ。今回は貴様のその眼に免じて蘭奢待の刑は許してやろうか。……景虎、黒板の前に立て」
蘭奢待の刑≠チて何だよと心中でツッコミつつ、高耶さんは教宅の前まで歩いていくと、信長が隣で大黒板に何やら書き込み始めました。
「景虎、罰としてこの文を黒板に100回書け」
高耶さんはしぶしぶとチョークを握って、信長の字の下に文字を書き始めました。
「えーと……仰木、高耶は、……ひどい、……<b!?」
高耶さんは目を見開きました。
そこに書かれていた文とは、「仰木高耶はひどい淫乱症─ニンフォマニアです。反省の必要あり」だったのです……!
(誰がニンフォマニアだっ、オレはまだまだ夢見る清純少年だっ!)
そう心の中で毒づくと、高耶さんは信長の字を消して、原作通り「仰木高耶はひどい癇癪持ちです」と律儀に書きなおしたのでした。
授業が全て終了して、高耶さんは譲と連れ立って学校を後にしました。
森の中を歩いていると、そこへ後ろからあの直江が走りよってきます。
「高耶さんっ!」
高耶さんは振り向きもせずに、スタスタと早足で歩き続けます。
「待ってください高耶さん。さっきは不快な想いをさせて本当に申し訳ありませんでした。あなたの赤眼がとても美しいと思ったものですから……」
直江の弁明も聞かず、高耶さんは無視して森の道を歩き続けました。
「ねぇ、直江くんのこと許してあげないの?」
とうとう一言も口を利かなかった高耶さんに、街道を歩きながら譲が後から問いかけました。
「直江くんが謝ったのなんて初めて聞いたよ。彼は誰にでもああやってからかうんだ。おれも以前はどんぐりまなこ≠チて散々言われたし」
「オレはウサギ≠チて呼ばれるのが何よりも嫌いなんだよっ」
高耶さんの真っ赤な瞳は激しい憎悪の炎にメラメラと燃えていました。
「あいつ、絶対許さねぇ。永久に許さねぇぞ、直江信綱ッ」
一方の直江は、不愉快そうにドシドシと歩いていく高耶さんの後ろ姿を、立ち止まって眺めていました。
「全く……意地っ張りな人だな」
呟いた言葉とは裏腹に、直江はとても嬉しそうです。高耶さんの後ろ姿を見つめる鳶色の瞳は、優しげな光をたたえていました。
何を隠そうこの直江、さきほど高耶さんに石盤でぶっ叩かれた瞬間、熱い恋に落ちてしまったのです。
それは運命的な衝撃でした。別に直江はマゾというわけではありませんが、本当に好きになってしまったのです。
直江は脳裏に真っ赤な瞳を持つその人を思い描きながら、手の平に石盤の欠片を握り締めて、そっと呟きました。
「いつかは振り向かせてみせますよ……高耶さん」
高耶さんがこの村に、また一つ小さな旋風を巻き起こしました。
さてさて、直江と純情少年高耶さんの、恋の行方や如何に?
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