<7> 目が覚めると、そこは直江のベッドの中だった。そして、彼の腕の中だった。 「おはようございます」 「はよ」 目を合わすのが恥ずかしくて、高耶はそっぽを向く。窓から明るい光が差し、鳥が楽しげに囀っている。嵐はとうに過ぎ去ったらしい。 「体調はどうですか?」 囁くような甘い声に耳をくすぐられ、額にキスを降らされた。高耶はくすぐったそうに身をすくませる。 「熱はもう下がったみたいですね」 「どこで計ってんだよ」 高耶が目元を赤くして言うと、「ここで」と言って、もういちど額にキスを落とされた。 「……おまえの唇が熱いんだよ」 昨日からオレの熱は上がりっぱなしだと言って、高耶は枕に顔をうずめる。その髪に直江の指が絡まった。 (やっちゃったな……) 昨夜のできごとが羞恥の波と共に蘇ってくる。 家族団欒の場所であるはずのリビングのソファーで、譲や千秋にどんなに詰め寄られても、とても口にできないようなことをたくさんされてしまった。そのあとも風呂場で体を隅々まで丁寧に洗われてしまったり、その過程でいろいろされてしまったりもした。恋愛初心者の高耶は、色恋のステップを一足飛びどころか、高速エレベーターで一気に最上階まで連れていかれたような心境だった。 「……後悔、していますか?」 緊張を含んだ直江の問いに、高耶は枕に埋まったまま大きく首を振る。 「後悔なんかしない……けど……不安は、ある」 「高耶さん……」 「オレさ、おまえと家族と、どっちか選ばなきゃなんないって、ずっと思ってた。おまえのことを諦めるつもりだった。諦めたつもりだった……でも、どうやってもだめだった。どんなに決意しても、すぐに崩れる」 直江は、高耶の告白をじっと黙って聞いている。 「おまえの弟にはなりたくない。でも、いまの家を壊したくない気持ちも嘘じゃない。……どっちも捨てたくないんだ」 「じゃあ、両方手に入れましょう」 がばっと枕から顔を上げると、やさしい瞳に迎えられた。 「あなたが、どれだけ今の家族を大切に思っているか知っています。私か家族か、どちらかを選ばなければならないと苦しんでいたことも」 直江は高耶を引き寄せ、胸に抱きしめた。いままでできなかった分を取り戻すかのように、きつくきつく抱きしめる。 「あなたが家族を選んでこの家を守るというのなら、私もそれに協力しようと、そう思いました。あなたを苦しめるだけの想いなら、すべて捨ててしまおうと、そう思っていました。だけどそれは間違っていた」 腕をゆるめ、直江は高耶を真っ直ぐに見つめて言った。 「あなたが成人したら、義父さんと母さんに話そうと思います。美弥さんにも」 高耶が息を呑んだ。 「たとえ誰に何を言われても、どんな妨害にあっても、もうあなたを手放す気はありません。あなたとのことを母さんたちに話せば反対されるかもしれない。この家を壊してしまうかもしれない。でも何年かかってもいい。わかってもらえるまで、ふたりで一緒に乗り越えていきましょう。……また家族に戻れるように」 「うん……」 悩んでいたことが嘘のように晴れ渡ってゆく。小さくて暗い部屋から、広い広い草原へと飛び出したかのように、視界がさあっと広がった。こんなに簡単な答えを、なぜ今まで気づかなかったのだろうと高耶は思う。いや、気づいてはいた。譲や千秋に何度も説得されたりもした。でも、踏み出す勇気が足りなかったのだ。ひとりでは。 「ありがとう、直江」 広い胸に顔を埋める。直江と一緒なら何があっても大丈夫だと、そう思えた。 「直江……ありがとう」 「高耶さん」 ふたりの唇が合わさろうとした時、ルルルルと電話のベルが響いた。邪魔されたとばかりに顔をしかめた直江は、高耶に促されてしぶしぶ机の上から子機を取る。 「はい、仰木です……美弥さん?」 高耶が、がばっと起き上がる。その瞬間、体のあちこちに激痛が走り、その場で突っ伏してくぐもったうめき声を上げた。 「昨夜はこっちも停電になって大変でしたよ………ええ、高耶さんも大丈夫ですよ。ただ、熱はだいぶ下がったようですが、まだ少し体が辛そうなので今日も大人しく寝てるように言っておきます」 痛みにうめく高耶の体をさすりながら、直江はしゃあしゃあとそんなことを言ってのけた。 「今日は晴れてよかったですね。これで初滑りが…………え?リフトに落雷?そうですか、それは残念でしたね………えっ?今バスから?……はい……はい……わかりました。気をつけて」 電話を切ると、直江は深刻な顔で高耶にこう告げた。 「美弥さんがあと1時間で帰ってくるそうです」 「ええ!!」 思わず体を起こした高耶は、再びベッドに沈没する。 「いってぇ!」 「高耶さん、無理しないでください」 そう言って腰をさすってくれる直江を、高耶はキッと睨み上げた。 「直江!掃除だ!洗濯だ!今すぐリビングに行って来い!そんで、ソ、ソ……」 高耶の頬が赤く染まる。 「ソ、ソファーカバーはがして洗濯して……」 昨夜のリビングの状態をはっきり思い出せるのは、途中で停電が解除されたからだった。リビングに明かりが戻ったのは、まさに真っ最中という状態の時で、あまりの羞恥に高耶は「止めてくれ」と泣きながら懇願したが、それで止まるような直江ではなかった。そればかりか更に盛り上がっていったようにも思う。 「ゆ、床も拭いて」 恥ずかしい記憶をたぐって、掃除箇所を推定する。 「あと……風呂場の……壁とか」 赤くなる顔と反比例して声がどんどん小さくなる。 「……他にもいろいろ汚れてるとこ、全部きれいに拭き取れ」 さいごに言い添えた言葉は蚊の鳴くような声だった。そんな高耶に直江は口元を緩ませ、彼の真っ赤に染まった耳に唇を寄せる。 「昨夜のあなたは、色っぽくて最高でしたよ」 「なっ……このエロ野郎!!だ、だいたいなんだあの百戦錬磨な……そのっ、いろいろの技は!この変態!浮気者!」 「浮気者?それは聞き捨てなりませんね」 他は構わないのかと高耶はつっこみたくなったが、それよりも問いただしたいことがある。 「先週の土曜日、女と腕組んで歩いてたそうじゃねぇか!」 羞恥の上に怒りを上乗せした真っ赤な顔で高耶は怒鳴った。 「女?……ああ、綾子のことですか」 「あやこ?」 睨み付けてくる高耶の顔に嫉妬の色を見て、直江はおもわず目を細める。 「飲み友達ですよ。自己嫌悪で酒でも入れないとやってられない気分だったので、つきあってもらってたんです」 「美人だって聞いたぞ」 「まあ美人ですが……いくら綺麗でも中身があれでは……」 少し遠い目をして直江が言う。 「豪快というか何と言うか、女の中の男とでも言いますか……男友達として付き合える唯一の女友達ですよ」 しみじみとそう語った直江に嘘の匂いは見つからず、高耶はほっと息をつく。 「今度紹介しますね」 「うん」 そう弾んだ声で返す高耶に、直江は可愛くて愛しくてたまらない気持ちになる。成長過程のすらりとした細い体を腕に閉じ込め、再び唇を寄せる。 「高耶さん……」 しかし、唇に押し付けられたのは、高耶のぷっくりとした唇ではなく枕だった。 「いちゃついてる場合じゃねぇ!!」 高耶が時計を指差して叫んだ。 「オレは動けないんだからな!さっさと掃除しろ家事初心者!」 「そうですね、あちこち掃除しないといけませんからね」 「だ、だ、誰のせいだ!!」 歩くこともままならない状態の高耶は、自室のベッドまで直江に運んでもらうと、間髪いれず急げ!と直江をリビングに追いやった。直江の姿が消えると、高耶は茹だった頬を冷えたシーツに押し付ける。 「あのどスケベ野郎!変態!二重人格男!エロ魔人!」 しかし、どんなに悪態をつこうとも頬がゆるむのを止められない。 「高耶さーん!洗濯機ってどう使うんですかー?」 階下から直江の声が聞こえた。 「洗剤入れてスタートボタン押すだけだ!洗剤は付属スプーンで1杯分!」 「水が入ってないんですが」 「スタート押せば自動で出る!」 「それは便利ですね」と感心したようなつぶやきが聞こえて、パタパタとスリッパの音が遠ざかった。 今どき全自動の洗濯機を回せない人間もいるんだと、高耶がある意味感心していると、やがて低い振動音が響いてきた。そして、それにまじって聞こえる楽しげな鼻歌。 高耶はぷっとふきだした。 ひとしきり笑い、その余韻のまま目を閉じる。 まぶたの裏に、家族みんなが幸せそうに笑っている未来の風景が見えた気がした。 |
〜あとがき〜
兄弟直高という美味しいリクをありがとうございましたv
どういう設定にするかとても悩んだのですが、結局このようななんとも煮え切らない直高話になってしまいました。
諦めると言いながらも直江に罠をしかけてしまう高耶さんの狡さや弱さの部分を書いてる時が特に楽しかったです。
あと「仰木です」と電話に出る直江に書きながら悶えました。
書いててとても楽しかったです。納多さんのリクに叶っていることを願います。
納多'sコメント
洗濯機も使ったこと無いとか、直江。(笑)まぁ私も高校まではそんな感じでしたが。
ともあれふたりが無事結ばれて良かったです。
直高が結ばれるのはもはや予定調和のようなものですが、
やはり途中煮え切らない態度にやきもきさせられましたからね。
今回のリクエストは「直高兄弟もの」でしたが、
期待していたとおりのおいしい兄弟直高ストーリーでした。
兄弟は最も近くにいながら、最も恋心とは遠い場所にいる存在ですよね。
だからこそ、結ばれるには並々ならぬ想いと努力と、そして相応の代償が必要なのだと思います。
ふたりのこの先がどうなっていくのか、家族と和解できるのか知りたくもありますが……。
そこまで期待するのは贅沢ですので、自分の妄想だけに留めておきます(笑)。
ずいぶん前にいただいたにも関わらず、掲載が大変遅れてしまい本当に申し訳ありませんでした。
それではイッカク様、すてきな小説をありがとうございました。
→gift