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高耶さん……(泣)。
なんだか、コメントはよしておきましょうか。

はぁ……。
to be continued…
2002/10/28
16.

直江……。
高耶は名を呼んだ。

「直江……」

返事のない身体に、話しかける。

「こんな気持ちは、初めてだ」

もう何度も自分ら夜叉衆は、自らの身体を死に至らしめては次の身体へと移り…と、この四百年繰り返してきた。
それなのに、おかしい……。

「この橘義明を失いたくないんだ」

自分の身体にだって、こんな気持ちを持ったことはなかった。
もちろん、どんな身体でも直江は、直江だ。橘ではなくなったからといって、直江でなくなることなどありえない。
でも……。

「どうしてだろう……」

どうしてこんなにも、この身体が惜しいのか……。
けれど高耶は、その答えを知っているのだ。
理由なんて一つしかない。
……いや、いくつもあるのかもしれない。
直江の顔を見つめながら、高耶は呟く。

「オレはこの、仰木高耶の宿体が、……十二回換生した中で一番大切だと思う……」

この身体はオレが、すべてをやり直そうと、生まれ変わろうとした証。
おまえを受け入れることが、初めてできた生なのだから……。

「だから、この身体と共に生きてきた橘義明が、……すごく大事なんだ」

高耶は眼を細めた。この橘義明と初めて出逢ったときのことを思い出す。
もう、あれは四年も前。
この四年は本当に短くて、……そして永遠のように長かった。
おまえと再会して過ごした月日。おまえを失って狂い生きた年月。おまえと初めて分かり合い、許しあえた日々。おまえと離れて、生きながらも死んでいた日々。そしてこの、四国の地でおまえと生きた時間……!

「失いたくないんだ。この、四年の月日が刻まれた身体を。背中の傷も、左胸の傷も、手の平も、手首も……。おまえが二十八年の間ずっとオレを探し続けてくれた証も、すべて……」

高耶は直江の身体に縋りついた。右手を伸ばして、直江の左手を固く握りしめる。
もう、離すことはないかというほど強く……。

「直江……」

搾り出すような思いで名前を呼んだ。
握りしめた拳が、カタカタとふるえている。
もう、胸が引き裂かれそうだった。

「怖いんだよ……」

つなぎ合わせた直江と自分の手を、額に押し当てる。
だがこんなことではふるえは治まらない。高耶は沸き起こるふるえをどうにかおさめようと必死に唇を咬んだが、一向に止まる予兆がない。
口内に鉄の味が広がり、高耶はどうしようもなく直江の手に縋りつく。

「怖いんだよ……不安で不安でしょうがねぇんだよっ。おまえの身体から霊体を解放して、今までどおり別の体に換生してオレの元に戻ってくる保障なんてどこにあるっ。もしかしたらもうこのまま浄化してしまうかもしれない。この世に残っている力がもうないのかもしれない……っ。あの時と同じじゃない証拠なんてどこにあるんだ……ッ!」

脳裏に浮かび上がるほとばしる炎。急速に冷えていく体。炎に照らされながらより鮮やかに手に胸に濡れ広がっていく、赤黒くおびただしい血。

「あんな思いはもうしたくないんだ……ッ!」

血を吐くような、いやそれより遥かにキツイ思いで高耶は訴えた。

(おまえはまたオレに嘘をつくのか……ッ)

こんな終わりなど誰も望んでいない。
オレはきっと最期の瞬間を迎える時、おそらくおまえを残すことになるのだろうと、ずっと思っていた……。……違うっ。オレはおまえを置いて逝きはしない……っ。おまえをこれ以上苦しめることなどオレには許されない。
けれどこれは何だ。おまえはこんなところで終わるつもりなのか……っ。ここはまだ途中だろう?何も解決などしていないのに、それなのにここがオレ達の最期であっていいはずがないッ。
おまえが浄化して、オレは一秒たりともこの世にいることなどできない。もう狂うことさえ二度とできない。だからおまえが死ぬならその瞬間にオレは絶命する。おまえの死はオレ達の最期。
それが……こんな所で終わらせていいわけがない……ッ。
そんなことはオレが許さない!

「答えろ……直江」
(おまえは、オレをもう二度と置いてなどいかないだろう……?)
「答えてくれ……」
(オレに信じてもらいたいのなら目を覚ませ……ッ)
「起きろ……直江……」

高耶の両眼から音もなく、涙が幾筋もこぼれる。

「直江、目を覚ませ……おまえの声が聞きたい。あの声じゃなきゃ嫌なんだ……。おまえのあの声でオレの名を呼んでほしい……!戻ってきてくれ、オレの傍に。オレを抱いてくれよ……もう耐えられねぇんだよッ!」

いつだって、オレが小さくうずくまっている時、抱きしめてくれたのはおまえの腕だった。
それなのに、今おまえはぬくもりをくれやしない。抱きしめてくれない!

「直江、オレをもう一人にするな……オレはおまえと一瞬だって離れていたくない……答えろ直江ッ。目を覚ましてくれ……なおえ……。直江直江直江……ッ、直江えええぇぇ───────ッ!」

高耶は絶叫して直江の胸に顔を突っ伏した。
嗚咽は出ない。だが涙は開きっぱなしの蛇口のように流れ続け、直江の服にしみを作っていく。
胸のあまりの痛さに呼吸ができない。身がもがれそうだ。狂ってしまった方がよほど楽だ。
こんなにも苦しいのに、いつも支えてくれるはずの存在は何もしてはくれない。答えてはくれない。返事がない返事がない返事がないっ……!

「だから……おまえの言うことなんて、何も信用できないんだ……」

搾り出すように声を発した。
布越しに感じる直江の肌が、ただただ冷たい。
これは……報いなのだろうか……。
おまえの願いを押しつぶして、裏四国を成した報い……。
けれど直江。
おまえがいなければこの裏四国も、オレにとって何の意味もないものになってしまうんだ……。
おまえがいるから、すべての道は開かれる。
おまえのいない世界など、オレの中には存在しないんだ。
息をしないよりも……おまえがいない方が生きられない。


けれど……オレはまだおまえを完全に失ったわけじゃない。
きっと、この体からおまえの魂魄を解き放てば、おまえは橘義明でない別の体で、オレの元へ帰ってくるのだろう。
きっと、心配などしなくても、おまえは戻ってきてくれるのだろう。
この、橘義明の、三十二年の生を終えて、新たな換生を以って……。
だけど……。


だけど───。



しばらく高耶は直江の胸に顔を伏せたまま、微動だにしなかった。
蛍光灯が消された部屋は薄暗く、窓は開けてあるはずなのに、外から漏れ聞こえる音はほとんどなかった。
やがて高耶はゆっくりと上体を起こして、そして直江の白い顔を見つめる。
今まで、ただ握りしめていただけの直江の左手を一旦離して、己の左手を、直江のそれと指を絡め合わせるようにして握りしめる。
高耶は飽くことなく愛しいその顔を見つめ続けた。
涙は既に止まっていた。必死になって止めたのだ。最期の姿が歪むことなく焼きつくよう。
もう、これが本当に最期なのだから……。

俯いた高耶は、ゆっくりと腰を持ち上げて、あいた右手を直江の枕元に付き、自分だけのかたわれの、固く閉ざされた瞼を見下ろして…自らの瞼も閉ざしながら引き寄せられるように唇を合わせた。

(さよなら……オレの、橘義明)

静かに口づけを終えると上体を起こし、迷うことなく右手で印を切った。
次の瞬間、直江の体を淡く包み込んでいた乳白色の輝きが、スイッチを切ったかのように余韻もなく霧散し、高耶は何の感情も表情に出すことなく、その瞬間を脳裏に刻んでいた。

── 結界は消滅した。

間もなく仮死は終わり、真の死≠迎える。
直江信綱の、十二回目の換生・橘義明の生が終わる。
高耶は左手を絡め合わせたまま動かない──。
まばたきもしない。
何もしない……。
for your and my eternal happiness.

Someday, I will pray to the meteor

からだ
からだ