written by miho hidaka.　─ouka seigan─

舞い、踊る。
風に揺られる、花弁が、ひらひら。
闇夜に、淡く、光る、薄紅。
限りなく、白い、薄、紅。


｢高耶さん、あまり急ぐと転びますよ。｣
男は先を駆けてゆく青年に声をかける。
青年は、白いシャツのすそを翻して、満開の桜の下を駆けてゆく。
｢高耶さん。｣
少しため息をついて、青年に追いついた。
｢そんな薄着では風邪を引きますよ。｣
そういって肩にかけようとした上着をすり抜けて、高耶は直江に向き直った。
｢なおえ、すごいな。満開だ。｣
あたりには人影どころか街灯もない闇の中で、桜は、うっすらと発光しているようだ
った。
｢きれいだな、なおえ。｣
直江は、優しく微笑んだ。
「ええ、そうですね。」
舞い落ちる花びらの中で、高耶は踊るように跳ね回っている。
何も知らない、子供のように。


魂核のダメージはもはや修復しようもなく、激しい戦いを終えた高耶は余命を直江
と二人で過ごすことを望んだ。
それでも魂の腐敗は進み、思考能力に支障をきたした。
記憶は薄れ、言動は幼くなり、高耶は確実に壊れていった。
それでも｢直江｣を認識する事だけは、廃れも鈍りもしなかった。
ただ、直江だけを見、直江とともに生きる、それは高耶の真の望みであったのかも
しれない。


｢高耶さん。｣
直江の声に夢中で花びらを追いかけていた高耶が振り返った。
「なに？」
小首をかしげながら近寄ってくる高耶を、直江は優しく抱きしめた。
｢寒くありませんか?｣
「ううん、大丈夫。」
高耶は無邪気に笑っている。
「なおえは、大丈夫？」
至近距離から見つめられて、一瞬声が出なかった。
「大丈夫？」
｢え、ええ、大丈夫です……｣
言葉が、宙に浮いた。
高耶の瞳が、まっすぐに見つめてくる。
いつもの幼い光でなく、心を覗き込むような真摯な光を宿している。
｢高耶……さん？｣
｢お前は……大丈夫か?｣
それは、かつてと変わらぬ、力強い声音だった。
｢オレが、どんどん壊れていっても、オレが、オレでなくなっても、大丈夫か?｣
｢高耶さん!?｣
｢オレは、ずっと見ていた。日に日に壊れて行くオレに、お前が影で涙を流していた
事も、絶望が心を占めそうになるのと、必死に戦っている事も。｣
「どうして……」
｢オレの魂は眠りにつこうとしている。魂を休めるために胎児換生するように、魂自
身が強制的に胎児の状態に戻ろうとしているんだ。｣
高耶はこころもち目を伏せた。
「そんなことが……」
｢ああ、オレにも信じられないが、まだまだ人の魂には未知数のところが多いという
事だろう。｣
｢直江。｣と高耶が呼びかける。
「オレは必ず戻ってくる。使命を終えた今、こんな事を頼むのは罪だと分かってい
る。」
それでも、と高耶は伏せていた目を上げた。
｢待っていてくれないか。オレが目を覚ますそのときまで。｣
まつげが細かく震えている。
オレのために罪を犯せ、といっているようなものだ。
そんな事は許されない。
それでも、高耶にはもう自分を偽れなかった。
直江は、しばらく驚いていたが、ふっと微笑んだ。
｢私が、あなたを残して浄化できるとでも思っているのですか?｣
それが、答え。
４００年間の想いは、そう簡単に捨てられはしない。
｢いつまでも、待っていますよ、高耶さん。｣
だから、必ず戻ってきてください。
直江の言葉に、高耶は少しだけ微笑んで、唇を直江のそれに触れさせた。
重ねるだけの、それでもすべての思いを込めた、口付け。
そして、高耶の身体から、ふっと力が抜けた。
驚いた直江がそれを支えると、高耶は意識を失っている。
｢高耶さん……｣
直江は、分かっていたかのように、優しく頬をたたいて高耶を起こした。
「……ん……なおえ……？」
先ほどの余韻を跡形も残さず、高耶は舌足らずに直江を呼んだ。
「おれ……どうした……？」
優しく髪をすいてやりながら、直江は答えた。
｢桜の魔力に……当てられてしまったのでしょう。｣
余力の少ないあなたに、桜が力を貸してくれたのでしょう、と。
｢桜の下の誓いは、永遠ですよ……。｣
桜は、神の木だから。
神前で、誓ったのだから。


舞い、踊る。
花びらは、降り積もる想い。
薄紅の、愛という、想い。
季節が巡るたびに繰り返す散華のように、
あなたへの誓いもまた、繰りかえそう。
愛している、と。