13. 一蔵に携帯で連絡してオススメの料理屋を無事聞き出した直江は、高耶と共にお昼の食事をおいしくそこで済ませたのだった。 普段「高知市は俺の庭みたいなもんだぜ」と自慢しているだけはあって、一蔵イチ押しの店の料理は大変美味かった。 港がすぐ近くなので新鮮な魚料理の数々が食べられて、高耶は大いに満足だったが、彼女の満足度と比例するかのようにそれだけ値段も張ったので、高耶は直江が資金のやりくりをどうしているのか気にかかった。4年前のように家族カードのゴールドカードというわけにもいくまい。この不況の世の中と同じように、バブリーな彼はもういないのだ。あんまり無理させるのは申し訳ないかとも思ったが、まぁ、「そこはホラ、直江だし」と妙な納得の仕方で流し、高耶は空腹に駆られるまま遠慮無く料理をたいらげていった。 一心地ついてセダンに二人が再び乗り込むと、 「それじゃあ次は、どこに行きましょうか?」 にこにこと笑いながら直江が問いかけてくる。何がそんなに嬉しいのか尋ねてみたいぐらい始終にこにこしているので、尋ねてみようかと思ったが、返ってくる答えが容易に予想できたのでやめておいた。 「そうだなぁ……」 思案にくれるが、あまりピンと来ない。 せっかくだからデートらしいところに行きたいが、高知市の名所史跡などは一つの例外無く赤鯨衆の拠点地と化しているし、ましてや寺や札所になど行ったら死遍路と遭遇して、直江と気まずい雰囲気になってしまいそうだ。 かと言って公園をブラブラとか、浜辺をブラブラなどではいつもと同じになってしまう。 せっかくこうやって女の身になったのだ。こんなチャンスは二度と無いと言って良い。ならば普段男同士ではどうやったって恥ずかしくて行けないような、人目があって、カップルたちのデートスポットにぴったりな、そんな場所に一度でいいから行ってみたいという願望が……内緒の内緒だが高耶にはなくもなかったのだ。 (かと言っていきなりそんなこと言われてもなぁ……) ここが東京などならTDLだとかSeaだとか色々とあっただろうが、(着物でディズニーは無謀だが)生憎ここは高知である。旧跡の数は豊富だが、若い男女が行くにふさわしい場所は極端に限られていた。 やっぱりオレたちには桂浜で波とたわむれてるぐらいがお似合いなんだろうか……(いや、確かにそれが一番似合う)などと考えながらため息をついた時。 (ん……待てよ。桂浜……桂浜っていうと……) 高耶の脳裏に一つの建造物が、瞬時に浮かび上がった。 そうだ、あそこがあったかとパッと顔を輝かせると、高耶は右隣の直江に振り向いて、こう告げた。 「直江。オレ水族館に行ってみたいんだ」 「水族館?」 「そう、あの桂浜水族館だ。何度も何度も前通ってるのに、未だ一度も入ったことないんだよな」 高耶は嬉しそうにそう語る。 一度も入ったことがないからと言って、潮や嶺次郎なんかと魚を眺めても楽しくもなんともないので、さして行きたいと思ったことはなかったのだが、今日この瞬間、どうしてだか彼女はあの未だ見ぬ水族館の中で泳ぐ魚たちを見て回りたくてたまらなくなった。 直江はニコリと微笑み、「わかりました」と頷いた。 「私は以前、任務で赴いたことがありますが、あの時は魚なんて見るどころじゃありませんでしたからね。今日はふたりでじっくり水族館を観賞しましょうか」 アクセルを踏んで、セダンが発進する。 高耶は水族館に着くまでの間、少年の頃に返ったかのようにドキドキと胸を高鳴らせながら、桂浜へと到着する時を待ったのだった。 かくて女高耶と直江のお魚デートは始まった。 流石に四国はこの状況なので、例年のように観光客で盛況することはなかったが、それでも今日は休日ということもあり、水族館はそれなりの客の数でにぎわっていた。 ここ桂浜水族館は、昭和6年設立の歴史ある水族館であり、海水魚や淡水魚などを約250種4000匹飼育していると言う。イルカやアシカのショーなども開催され、中でも高知県特産とも言える幻の魚、「アカメ」の群泳が有名なのだそうだ。 アカメはその名の通り、眼が紅く見える魚で、その瞳の色は「ルビーレッド」と表現される。 四万十川が生息地のルビーレッドの瞳を持つ幻の魚「アカメ」だなんて、なにかを狙っているとしか思えないと考えてしまうのは作者だけではないだろう。 アカメの水槽の前で説明プレートを見ながら高耶は、いつ直江がクサイ台詞を言ってくるかと気が気ではなかったが、いくらツボに来るとして、直江も流石に魚を高耶に当てはめて語り出すことは無かったので、彼女はちょっとだけホッとした。 そのかわりアカメを指差しながら、「高耶さんのお仲間がいますね」とからかわれたのであるが。 そして耳元で、「あなたの瞳の方が綺麗ですけど」と囁いた。(あ、やっぱ語ってる……) 一通り本館の水槽を回って、今度は熱帯魚のコーナーへと入っていった。 「はー。水族館なんて来たの滅茶苦茶久しぶりだなぁ。オレが小学校の時だから、もうかれこれ10年以上前か……」 ガラスケースの中を優雅に泳ぐツノダシを見て、「綺麗だなぁ……」とため息をつきながら、なにげなく高耶はそう語った。 「……ご家族で行かれたんですか?」 「そ。美弥がどうしても行きたい行きたいって言い出してな。何しろ長野なんて海って言っても諏訪湖ぐらいしかない土地だろ?水族館なんて近くに無いし、わざわざ家族で茅野の方まで見に行ったんだっけ」 ふっ、と懐かしそうに微笑みながら、グッピーの顔をガラス越しにツンツンと指でつついた。 「……美弥がさ。オレの手握り締めたままずっと離さなくて、ズンズン引っ張って行っちまうもんだから、親父たちとはぐれちゃってな。二人で探したんだけど見つからなくて。あの時は焦ったなぁ……」 くすりと笑って、心持ち下を向いた。 その横顔に淋しそうな表情を見出すと、直江は高耶のすぐ隣に近寄って、左手で高耶の指をきゅっと握りこんだ。 高耶は驚いて、とっさに振り払おうとしたが、直江は笑って、 「今日は気にしなくてもいいんですよ」 と確認するように言ったので、高耶は周りを伺うようにキョロキョロと見回したあと、思いなおしたようにおずおずとした手つきで指を握り返した。 「今日は、高耶さんが私を引っ張ってってくださいね」 薄暗い館内の中で、水槽の青いライトだけが直江の優しい微笑を照らし出す。 その顔を横目に見ながら、「子供かよ……」と呟いて、高耶は直江の手を引いて次の水槽へと歩き出した。 「そう言えばおまえは、水族館来たことあるのか?」 「ええ、ありますよ。高校の遠足で一回だけね」 その時、高耶が思わずプッと吹き出してしまったのは、まぁ言うまでも無いことだ。 「おまえが遠足〜っ?信じられねぇ。まったく想像つかない」 「失礼な。私だって学生時代があったことをお忘れなく」 「それで走り高跳びの選手だったんだろ?一度でいいから大会見に行きたかったもんだぜホントに」 「冗談。あなたになんて見られたら、緊張のあまり足がほつれて転んじゃいますよ」 くすくすとふたりで笑い合った。隣にいた若いカップルが、チラチラとこちらを見ているようだったが、今の自分たちは何も物珍しがられることなんて無いし、気にはならなかった。 そうして次の水槽の前についてしばらく眺めていると、直江が、「ああそう言えば……」と思い出したように呟いた。 「一度だけ、晴家と色部さんが見にきたことがありましたよ、地区予選会にね。あの時晴家はまだ小学生だったので、大概色部さんと行動を共にしてましてね。ちょうど栃木の近くに来る用事があったもので、あいつがどうしても見に行くって言い出して」 思いもよらない思い出話を聞いて、ふわふわ揺らめく美しいクラゲに見入っていた高耶は、驚いたように直江を見上げた。 「それで、応援してもらったのか」 「ええ。晴家の気合の入った応援が効いたのかどうか、とりあえず予選は通ったので、競技の後に『応援した私達のおかげなんだから、酒でも一杯おごりなさい』なんて言い出したんですよ、あいつは」 なんだか高耶にはその時の光景が目に浮かぶようだった。小学生のくせに酒をおごれとせがむ晴家と、苦笑いを浮かべる、ショルダーを肩に掛けた、陸上部のロゴ入りトレーニングウェア姿の直江と、それを見守る色部と。 オレ抜きで楽しそうなことしてんじゃねぇよ……と愚痴りたい気分になったが、言える立場でもないので、黙って直江の話を聞いていた。 そう言えば、直江の昔の話をあまり聞いたことがないと思った。 高耶は時々、思い出したようにポツリポツリと幼い頃の話をしたが、直江はあまり話したがらない。 彼の幼き日々は、自分のそれとは比べ物にならないくらい苦しい日々で、いい思い出はあまりないのかもしれないし。思い出したくもないのかもしれない。 けれど高耶は、聞きたいと思った。今ならもう、自分は直江のそばにいるのだから。笑い話にして、自分の知らない彼の時間を教えて欲しい。 でも、そこでふと思った。 (オレがいない間、直江がこうして生きてきたように、オレが消えてしまっても、直江はその先も色んな思い出を作っていくんだよな……) ──知らないものが、増えていくばかりだ……。 「高耶さん?」 突然呼ばれて、高耶は顔を上げた。 「どうか、したんですか?」 心配そうに、こちらを見つめる鳶色の瞳。 高耶は少し微笑んで、 「なんでもねぇよ」 そうアルトの声で軽やかに呟いて、再び直江の手を引いて歩き出した。 青い照明でゆらめく館内は、二人をまるで水の中にいるような心地にさせた。 イルカショーを見終わって、ウミガメに餌をやった後、ふたりは水族館を後にした。 夕飯までにはまだ余裕のある時間帯だったので、高知の繁華街に出て、しばらく街をブラつくことにする。 休日の夕方の繁華街は流石ににぎわっていて、大勢の人間が街中を通り過ぎていく。 時々死遍路や、己の分身を見かけることもあったが、今日ばかりは見知らぬふりをさせてもらうことにした。 街中を、二人で並んで歩いている。高耶と直江ではコンパスが全然違うので、直江は歩調を合わせてゆっくりと歩いてくれた。 いつもなら、首を少し上げれば済む程度の身長差が、今日はだいぶ傾けなければ届かなくなっていた。 目線を合わせるために、こちらを見下ろす直江。高耶は直江の、上から覆いかぶさって見下ろした時の表情が好きだったので、女になって少しだけ得をしたような気がした。 まわりを見回せば、夕刻の繁華街はそこここに、仲良い男女が並んで、楽しそうに歩いている。いまの自分たちも、同じように、歩行者の目からはその中の一組として見なされているのだろうか。 「今のオレたち、周りにどう見られてるんだろうな」 草履でタイルを踏みしめながら、なにげなく呟いて、隣の男を見上げた。 男は笑ってこう答えた。 「そんなの、お似合いの恋人同士だと思われてるに決まってますよ。ほら、さっきから周り中、道行く人が振り返っていくでしょう?」 いまも若い男が高耶とすれ違った途端びっくりしたように振り返ったので、高耶は「お太鼓の形が崩れているだろうか」と、気になって手を背中に回した。 確かに、水族館の中は照明が落とされていたのでまだ目立たなかったが、街に出た途端周囲の視線を痛いほどに感じていた。けれどそれは、この男と並んで歩けば毎回のように体験していたことなので、今更さして驚くべきことではなかったのだが。 むしろ普段は、端から見てもどういう関係なのか推測しがたい怪しい男同士二人連れなので、いらぬ注目を集めていた感が多かったのだが、今日向けられてくる視線はまた違った種類のそれなので、高耶は正直戸惑いを隠せなかった。 それもそのはずで、高耶のようなうら若く美しい女性が色鮮やかな和服に身を包んで、軽やかな足調子で街中を歩いているだけでも注目の的なのに、その女性の隣を歩む相手が、俳優ばりの端整な面差しに、見上げるほどの長身をダークスーツで包んだ凛々しい男性とあっては、「どこの芸能人カップルか」と振り返らない方がかえっておかしいぐらいだ。 けれど高耶は、その事実をあまりのこそばゆさになんとなく認めがたかったので、 「着物が珍しいんだろ」 と顔を横向けて素っ気無く返したのだった。 と、顔を背けたちょうどその時、高耶の視界に男女のカップルが映った。 ふたりは仲睦まじそうに笑い合い、女が男の腕に自分の手を絡ませながら、楽しげに高耶の隣を通り過ぎていった。 しばらくその様子を眺めて、ふと振り返ると、そこに優しげに微笑む直江の顔があった。 彼女は何か言おうと口を開きかけ、言葉が喉のあたりでひっかかりうまく口に出せず、そのまま黙り込んで俯いてしまう。 けれど視線は直江の腕のあたりに注がれていたので、直江は意を汲み、ゆっくりと高耶の方に左腕を差し出した。 高耶は一瞬たじろいだが、目線をあげてもう一度直江の笑顔を見ると、おずおずとした手つきで直江の腕に触れ、そのまま両手を絡めた。 ふたりは腕を組んで、ゆっくりと歩き出す。 高耶が密かに憧れていた、願いが実現した瞬間だった。 しばらく無言で歩いていたが、直江がポツリと呟いた。 「なんだか夢のようですね。こうして、あなたと普通の恋人のように、デートする日が来るなんて」 感慨深い言葉だった。 確かに、自分たちはこの四百年、ふたりきりで出掛けたり、街中を並んで歩いたりすることも数え切れないほどあったけど、それはあくまで仕事の一環であったり、そうでなくても主君と家臣としての立場を弁えた上のものだった。 高耶と直江が初めて会って間もない頃も、直江と出かけることはままにあったし、楽しい思い出であったことは間違いないけれど、あの頃は恋人同士などと呼ぶにはほど遠く、自分も、直江を実際そういう風には見ていなかったと思う。 そうして互いの想いを受け入れてからは、すれ違いの連続。再会してからもそれは続き、ふたりで出歩くことすら無くなっていた。 だから本当は今日が、想い通わす相手としての、初めてのデートなのだ。 「こんな日が来るなんて、夢にも思わなかったですけど……」 見下ろす直江の笑顔が、嬉しそうなのにどこか泣き顔のように見えた。 「長秀に、感謝しなければなりませんね」 「……そうだな」 「今日のこと、この先一生忘れません」 呟く直江の言葉を聞いて、高耶はぎゅっと直江の腕を握る指に力をこめた。 「ああ、オレも一生忘れない」 高耶はあざやかに微笑んだ。直江も幸せそうに、やわらかに微笑み返す。 「また、できるといいですね。デート」 「ああ、また、絶対にしよう」 今度はもっと、早起きして、朝一で出かけよう。 外食するのも良いけれど、お弁当作って、ふたりで食べるのもいい。 そうして一日、めいっぱい遊んで、疲れるまで遊びつくして、ずっと一緒にいられたらいい。 そんな夢、叶うかもしれないし、叶わないかもしれないけど。 いまこうして、思いもしなかった夢が叶っているのだから、次の願いもきっと叶う。 高耶は直江の腕に、頭を寄せて、嬉しげに微笑みながら、夕暮れの街中を二人並んで歩いていった。 |