12. 気づいた時には、剣山山中の車道に駐車してあった、赤鯨衆所有のセダンの横に立ち尽くしていたふたりである。 「やっぱ、あのキツネ……それなりに凄い奴なのかもしれねぇな……」 身体に変調がないか確かめながら、今更ながらにしみじみと実感した。 なにしろ、四百年以上生きてきた自分でも、テレポートなどという行為を目の当たりにしたのは始めてである。《闇戦国》の怨将の中にだって、ここまで特殊な能力を有している者はいないだろう。その点で言えば、神仙と名乗る者と比べれば自分たち換生者も凡夫の範疇の内なのだと改めて思い知らされる。 だいたいあのキツネは謎が多い。剣山に千年以上住む神狐だと言うが、そんな伝説ついぞ聞いたこともないし、(赤鯨衆幹部たちに密かに聞いてみたが、誰も知らなかった)何より一番不可解なのは、四国のあらゆる霊的現象を把握できるはずの高耶が、あの特殊な波動を放つ神狐の行動や居場所だけは正確にキャッチできないということだ。 いや、出来ないというわけではない。しかしそれには本体の力が必要となる。分身レベルでは結界網を通り抜けてしまうので、早朝彼がやったように、付近にいる一つの分身に極めて重く精神比重を移すことにより、初めて把握が可能となるのだ。 そうは言っても当人(狐?)があのボケっぷりなので、今までこの事態をそう重く考えたことは無かったのだが……。今のような技を見せられてしまえば、黙殺するわけにもいかないだろうか。いやしかし……やっぱりボケギツネであることには変わりないし……。 そんな風に高耶が考えこんでいると、 「だから言ったでしょう。あの神狐はまだまだ得体の知れない存在なんです。何が起こるか予測もつかないですから、あんまり不用意な発言は控えた方がいいですよ」 と、直江がすかさず釘を刺した。 一応神狐との例の約束があるのでフォローは入れておいたが、これで本当に高耶がお得意の傍若無人発言を控えてくれるようになるかどうかは、甚だ疑問だ。(いや、きっと無理だろう) 案の定「まぁ……努力はするが」と煮え切らない返事を寄越すのみで、それきり神狐に関する思考は終わりにしてしまったようだ。かわりに他に気になることができたのか、高耶は帯締めに引っ掛けられた鈴のついたちりめんの根付を、おちつかなげにチリチリと手で転がしながら直江の方をチラチラと見ている。 その様子をみて、直江は少しだけ微笑んだ。セダンに近づき、助手席のドアを開けて高耶に手を差し伸べる。 「それじゃあ、出掛けましょうか。高耶さん」 デートに……。 低い声でそう囁いた瞬間、高耶は「ううっ」と詰まったような顔をした。直江はなおも優しい微笑で高耶を見つめている。 (だから……その顔でそういう声は反則だって言ってんだろ) いや言ってはいないのだが、心の中でそう文句を呟くと、高耶は躊躇うように手を握り締め、そろそろと直江の方に手を伸ばし、そっと。男の手に重ね合わせた。 「わかった……。連れて行け、どこへなりと……」 小さな声で告げて、目線を下にずらす。 にっこりと微笑む直江の顔が、やけにまぶしくて、とても直視できやしなかった。 「さて、これからどこに行きましょうか?高耶さん」 軽快なスピードで山道をおりるセダンの中、ハンドルを優雅にさばきながら直江が、助手席の君に語りかけた。 クルマ転がしてる直江の横顔って、なんか好きだなぁ……などと考えながら男の横顔にボーッと見入っていた高耶は、いきなり振られた話題に慌てて、少しどもりながら返事を返す。 「えっ?……い、いや、おまえに任せるよ。いつもみたいに」 そうなのだ。いつも直江と出掛けるときは、必ず彼が自主的にプランニングをしてくれて、高耶は彼にエスコートされるままただただついてくことが常だった。(←危険) 直江もそれを楽しんでやってくれているようなので、(と言うより景虎の世話を焼くことがもはや直江の生き甲斐と言える)特に注文をつけることもなく、概ね彼の好きなようにさせていたのだが。 「ええ……そうなんですよね。私もそうしたいんですが、何しろ今回は急に決まったことなので、下調べも何もしていないんですよ」 そう言って、困ったように眉を下げる。 直江が四国に来て、早一年近くとなる。しかし確認するまでも無いが、その間彼は遊興に耽って時間を潰していたわけではない。 市街地に調査に赴くことは多々あっても、観光グルメガイドに載っている有名店やデートスポットにチェックを入れることなど、ここ最近はついぞしたことがなかった。 (一蔵をつかって調査させておけば良かったか……) そんなことに使いっぱしりさせられては一蔵も迷惑だろうが、直江は無念そうに歯噛みした。 「高耶さん、どこかいい店なり知っていませんか?あなた四国のことなら何でも分かるんでしょう?」 「ってんなこと言われてもなぁ……」 今空海はなんでも屋じゃないんだから、んなことまで知るわけがない。 結局、そろそろお昼時に差し掛かるため、ふたりは高知市街地に出て昼食に手ごろな店を探すことにした。 高知市街は本部があることもあって、赤鯨衆隊士達が街中のそこここにうようよといる非常に危険なスポットだ。かと言って、他の市街に行ったところで死遍路たちや遍路方の隊士たちが待機していることには変わりは無いので、結局どこへ行っても同じことになる。 ならばなるべく浦戸に近い所がいいと、希望を述べたのは高耶だった。 今日は赤鯨衆での隊務は休業となったが、その分明日は早朝に復帰して、遅れた分を取り戻さねばならない。 それならば泊まる場所は近い方がいい。どうせ今夜は(不本意ながらも)夜遅くまで眠れやしないのだから、少しでも休める時間が多くなるよう、移動の時間を削る手に出たのだった。 *** 「えっ、高知市内で魚料理が美味くて小洒落たカンジの店って……んなこと聞いてどうするんですか?旦那」 そんなこといちいち尋ねずとも、食事にいくために聞いているに決まっている。 しかし突然かかってきた直江からの電話に、何か重大事でも起きたかと慌てたのに、その相手から問われた内容に思わず拍子抜けして、間の抜けた返事をしてしまったのである。 一蔵は現在、直江の子飼いとして働いている立場だ。であるから諜報活動などのために様々な情報を乞われることはままにあるのだが、さすがに「美味い店の情報」を聞き出されたのはこれが初めてだった。 それに、直江がそういった小洒落た料亭に食事にいくというのが、一蔵のイメージではなかったのである。 ならばどういうイメージなのかというと、直江という男は食事やらなんやら享楽的なことに金を使うようなタイプの人間ではないというのが、一蔵の印象だった。 直江が赤鯨衆に入隊するまで、数ヶ月の間ほぼ四六時中行動を共にしていた一蔵であるが、直江は本当に必要最低限のことにしか金を使わなかったし、食事も貧しいもので、カップラーメンを二人で啜ることだって何度もあった。 服装も、最初の頃こそスーツ姿だったが、高知に来てからはパーカーなど機能性重視の簡素なものを身に着けていたし、第一、彼は金のかかったもので着飾らなくても十分そのままで勝負できる男だと一蔵は思う。 現に今の黒のサバイバルスーツ姿だって、あの仰木高耶の傍らに立つ男だけはあると誰もが納得せずにいられないぐらいには、迫力があったし、同じ男として妬ましくなるぐらい見栄えが良かった。 どこにいても目を引かずにはいられない人間というのは、ああいう男のことを言うのだとしみじみと思ったものだ。(まして高耶と並べば最強である) ……そんなわけで直江の発言を意外に思った一蔵だったが、こんなこと付き合いの長い夜叉衆あたりに聞かせたらそれはもう抱腹絶倒ものだったろう。かつては「アニバーサリー男」との異名を取っていたほどのゴージャス男が、今では「質素倹約を信条に生きる男」などという認知の元にあるだなんて(笑)。 しかしそうは言っても、生来カンの良い一蔵のこと。黙り込む直江の受話器越しの気配から慮って、すぐに状況を察知した。 「あ、ひょっとして、ご主人と一緒に出掛けてるんですね?」 直江は返事を返さなかったが、その沈黙を肯定と受け取り、一蔵はなるほどね、と唇の端を嬉しそうに吊り上げた。 なるほど、食事の相手が高耶だというのならば話は別だ。 なにしろ彼は、直江が四百年という莫大な年月の間追い求め続けてきた最愛の主君だ。そして一年前、一蔵が直江と行動を共にし、数ヶ月にわたり消息を追い続けた当の相手でもある。 すべては「高耶のため」という言葉一つで、直江という男のありとあらゆる行動の免罪符となりうる人間なのである。そんな直江の破天荒な所も、一蔵的にけっこう気に入ってたりするのだが。 「そっか〜旦那。それなら思いっきり奮発して良いトコ連れて行かなきゃダメですよね〜。ちょっと待ってくださいよ〜。ええと浦戸の近くってーと……あ、そうだ。市街に赤鯨衆の息のかかった料亭があるから、そこ行ったらどうですか!旦那達幹部ならかなりお安く済むと思いますよっ」 と直江の財布の中身までに気を配ったありがたい情報を提示したが、《それは駄目だ》と直江がすげなく却下した。 《今回はあくまで非公式のものだ。幹部利用の店などに行ったら落ち着いていられないだろう》 あ、そうかそうかと、この二人が隊内では未公認の間柄であることを思い出し、一蔵は頷いた。 「せっかくのデート、赤鯨衆のヤツらに邪魔されたりしたらたまんないですもんね〜。……っとそれじゃあ他にどこがイイかなぁ、ご主人様の喜んでくれそうな店っと……」 一蔵は俄然やる気を出して、あれこれと直江に知識を提供する。なんだかんだ言って、彼が旦那と慕う相手とその主人の役に立てることが、けっこう好きらしい。 あーでもないこーでもないと議論を交わして、一応のプランは立ったのか、「それじゃあ直江の旦那、楽しんできてくださいね」と結ぶと、携帯の通信をプッと切った。 そうして一蔵が、フーッと息を吐いて、さーて仕事仕事と振り返った瞬間。 「……って、うわああああッ!?」 突然カエルが潰れたような悲鳴が上がった。 背後至近距離に、いきなりどアップで人の顔が迫ってきていたのだ。 数瞬後、その顔の持ち主の正体を知覚して、一蔵は再び素っ頓狂な声を上げる。 「うっわーたまげたーっ!って中川さんじゃないですかっ!なんでこがな所に突然……」 と言い終わらないうちに、中川がなにやら鬼気迫るような表情でズズイッと顔を近づけてきた。 「葛城さんっ、いま、いったい誰と通話していたんですかっ」 その声とギラリと光る目に、一蔵はなにやら言い知れぬ迫力を感じて、思わず背後にジリジリと後退する。 「え……誰って、その、旦那だけど……」 「旦那?旦那ってもしや、橘さんのことですよねっ?」 中川と一蔵はあまり交流のある間柄ではないが、中川は赤鯨衆創設時からの最古参幹部であるので名は通っているし、一蔵は“あの”橘義明付きの諜報員ということで幹部には結構知られている。 高耶の主治医である中川は、もちろん直江に対しても多大な関心を寄せているので、当然一蔵が直江と懇意の仲であることを知っているし、相手を「旦那」と呼んでいることも既に情報収集済みだ。 「いったい、橘さんからの用件は何だったんですっ?いや、彼はむしろ今どこにいるんですかっ」 必死の面持ちで問い詰められて、一蔵はわけも分からず混乱した。中川がこんなに舌も噛まんばかりの勢いで問いただしてくるなんて、いったいあの旦那はまた何をやらかしたのだというのか。 (ってかこの人なんかコエェよぉ〜っ) 思いっきり小動物モードになってビクビクとふるえながら、一蔵は中川の問いに答えた。 「どこって、いまこっちの方に向かってるって……そんで高知市街で食事に良い店知ってないかって聞かれて……」 「しょ、……食事ぃぃ!?」 「うん、いまデートの最中だから」 「…………っっつ!!!!!」 その瞬間の中川の顔ったら、世紀初めに世紀末を感じさせたほどに凄まじいものだったと、のちに一蔵は語る。 中川は今までの気迫はどこへやら、顔面蒼白になって、よろよろと後ろにさがった。 「そ、そんな……馬鹿な……恐れたことが、本当に起きてしまったのか……」 なんということを……なんということを……っ。 わなわなと拳をゆらしながら、ふるえる声で茫然と呟く。 「あ、あのー。中川さん……?」と一蔵が恐る恐る尋ねたが、中川の目は既に一蔵を映してはいなかった。 「橘さん……私は信じていたのに。あなたを……なのにひどい。いったい何がいけなかったというんですか……とんでもない裏切りだ……他の女に走るなんて……」 端から聞いてれば、まるで男に捨てられた女の恨み節のようなものをブツブツブツブツと呟いていたが、しかし一蔵には何のことだかサッパリ意味を把握できなかった。 「……す、すぐにやめさせなければ……彼の耳に入らないうちに……でないと手遅れになる……それで相手に手切れ金を渡して、橘さんとのことは無かったことに……いや生ぬるいか。抹殺指令を出してその口を塞いでしまわないと……」 混乱のあまり物凄いことを口走り始めた。横で聞いていた一蔵も、これには流石に驚いて中川に食って掛かる。 「だ、ダメですよぅ!何あったか知らんけどせっかくのデートなのに邪魔するなんて!俺が旦那に怒られるしっ、それに、久しぶりに会えたのに横槍入れたら旦那たちかわいそうじゃないですかっ!」 「ええっ!かわいそうですとも!見てられませんよ!だからやめさせるんですっ!」 中川にはそれを知った時の高耶の顔が目に見えるようだった。 いけない、彼にあんな表情をさせては。いったい何が起こるか分からない。赤鯨衆壊滅で済むならまだいい。(いや良くないが)下手すればこの四国自体が今度こそ海の底に沈むことになりかねない……! あってはならない未来を想像力たくましく繰り広げながら、「絶対にダメだ!この身を刺し違えてでもやめさせなくては!」と憑坐にとってはハタ迷惑この上ないことを高らかに叫ぶ。 一蔵はなおもわけが分からない。けれど目の前の相手が、直江と高耶の逢瀬の時を破壊しようと意気込んでいるということだけは分かる。 「そ、そんな……俺、ショックです。中川さんって、旦那とご主人の事情を知る数少ない理解者だと思ってたから、てっきりふたりのこと、影ながら応援してくれてる仲間だと思ってたのに……」 なんだか傷ついたような目をしながら一蔵は俯いた。 赤鯨衆で高耶と直江の過去を知る者はまだまだ少ない。ましてや、二人が主君と家臣以上の情を交し合う間だという事実を知る人間なんて、本当に一握り。 一蔵が知るだけでも、首領の嶺次郎と、高耶の主治医の中川と、室戸の長・兵頭、熊本の武将・清正、そして高耶を赤鯨衆に引っ張り込んだ張本人、東の総軍団長・潮、そんなところだ。 兵頭などは二人の関係を快く思ってないことがありありと見て取れたが、中川や潮などは、普段から高耶と直江のことを気にかけていてくれたようだし、密かに仲間意識を感じていたのに。 旦那たち、あんなに一生懸命なのに……ただ一緒に幸せになりたいだけなのになぁ……と、悔しそうに一蔵は唇を噛み締めた。 「何を言っちょるんです!私だって心の底からあの人たちを応援していますよっ。二人には幸せになってほしいって、いつもそう思ってます!」 中川の支離滅裂な言葉に、一蔵はキッと目じりをあげて当人を睨み付けた。 「だったらなんで!なんでせっかくのデート邪魔しようとするんですか!旦那言葉には出さなかったけど、あんなに楽しそうにしてたのに!だってデートの相手はご主人様なんですよっ!」 「……えっ?」 そこで中川が固まった。だがそれに気づかず一蔵はなおも言葉を続ける。 「そりゃあ四国はこんな状態だし、チャラチャラ出歩いてる暇なんて無いって幹部連中は思うかもしんないけど、ほんのたまにぐらい二人でいさせてやったっていいじゃないですか……」 感極まってきたのか、しまいには泣き出しそうになったので、一蔵はグズッと鼻をすすりあげて、唇をひんまげた。 その様子を眺めながら、中川は茫然と呟く。 「相手は……仰木さん?」 「そうですよ。旦那のご主人様です。他に誰と旦那がデートするってんですか」 確かにそれはそうなのだが……。 「でも、相手は女の方だって聞いたのだけど……」 「はああっ?何ですかそれっ?」 あまりに的はずれな言葉に、一蔵は眉間に皺を刻んで声を荒げる。 「デマですよそんなの!だって相手はご主人ですもん。命賭けて誓えます!」 「本当に……絶対確かなのかい?」 まだ疑わしそうに中川が問いかけた。 「絶対ですきっ。間違いない!相手は仰木高耶です!」 実際、直江は電話での会話で高耶の名を一度も出さなかったのだが、「ご主人はどんな料理がお好きなんですか〜?」という問いに対し、応えを返してくれたのだから、疑うことはないだろう。 直江が嘘をついている可能性だってあるのだが、そんなこと勘繰る必要すらない。 だって相手は、あの直江信綱なのだから。 一年前、四国の山中で一蔵を前にして、「彼に会いたい」と、俯きながら悲しく呟いた直江の横顔を、いまでも鮮明に覚えている。 あの時一蔵は初めて、心から直江を高耶に逢わせてあげたいと思った。 あんなに求めているのに、会えないなんておかしい。たとえ自分は赤鯨衆に捕まったって、直江が喜んでくれるなら危険を顧みずやるべきだと思った。 そんな直江が高耶を裏切るようなことをするわけがない。それが事実だというのなら、それこそ一蔵は賭けた命を捨ててもいいと思う。 そんな一蔵の並々ならぬ決意を感じたのか、中川は彼の言を信じたようだった。 「それなら……いい。そうか、それなら良かった……私はてっきり仰木さん以外の人と出かけているのだと思って……」 そうか、良かった。良かった……と、明らかにホッとした口調で中川は呟いた。先ほどまでの取り乱しようが嘘のように、いつもの落ち着いた様子で頷いている。(いや、本当はさっきのが本性なのかもしれないが) 「でも……それならあの女性はなんだったんだろうね。橘さんと確かに一緒に出かけたって話だし……」 「どういうことです?」 「それが、私も実際に見たわけではないのだけど……」 と前置いて、中川は朝楢崎と交わした会話から潮に聞いた話までを、分かりやすく説明して見せた。そこでやっと先ほどの会話の食い違いを理解した一蔵である。 話を聞き終えて、しばらく無言で考えた後、一蔵は真剣な面持ちで呟いた。 「ひょっとして……その女性、ご主人様の女装姿なんじゃないですか?」 「…………へっ?」 中川は間抜けな声を上げた。 女装?女装というのは、つまりその、男が女性の格好をするという、あの女装のことか? 「あのご主人がそんなことするとは思えないけど、何かやむにやまれぬ事情があったのかもしれないし、あの人美形だから意外とやってみれば似合うかもしれないですよ」 あまりにも柔軟な発想に中川は思わず目を点にした。流石は本州を数年放浪していただけはある。生まれてこの方(というか死んでからも)四国を離れたことのない中川とは、発想の自由度が違うようだ。 「それじゃあ……あれは……仰木さん自身だったと」 「という可能性も考えられるっちゅーことです」 んなバカなと一笑に伏したい所だが、実際中川は本人を目にしたわけではないし。確認のしようもない。 それにあの仰木高耶ならば、本当に女装だってさせてみれば、意外と似合うんじゃないかという発想も否定しきれないものがある。(なぜなら彼は、泣く子も惚れるオウギタカヤ) 中川は本気で考え込んだ。 「ますます謎が深まってきた……これは絶対に、後でふたりに確認をとってみないと……」 とりあえず、赤鯨衆壊滅と四国沈没の危機だけは脱したようなので、気分だけはいくぶん軽い中川であった。 しかし高耶が戻ってきたとして、「仰木さん、あなた、女装の趣味があったんですか?」などと聞けば事実関係はともかく瞬時に足摺岬の先へ浄化の道にいざなわれることは間違いないので、どう言って聞き出すのが一番ベターかと、中川の頭をしばらく悩ますこととなった。 |