──ここはどこだろう。
眠りから覚めると、高耶はひとり地面に横たわっていた。
視界に青い空が一面に広がっていた。
空の端にはやけに大きな月が白く光っていた。
手を地面につけると、やわらかな砂の感触があった。
砂をつかんで、サラサラと指の隙間から落とす。
しばらくそのまま砂を眺めていたが、やがてゆっくりと上体を起こし、視線をめぐらしてあたりを見回した。
赤い砂が地面を覆いつくし、地平線の果てまで続いていた。
風が吹いて、砂を巻き起こしながら風紋を描いている。
木々の緑や、水の流れのひとつもない、不毛の砂漠地帯。
砂混じる風に前髪を揺らしながら、高耶は小さく呟いた。
「ここはどこだろう……」
声が、風音にかき消されていく。
見回す視界には、赤い砂と青い空と白い月しか映らない。
そこには生命のひとかけらさえも存在していなかった。
何者も存在していなかった。
そんな場所に、高耶はただひとりポツンと取り残されていた。
片手をついて、立ち上がった。裸足の足が、やわらかな砂を踏みしめる。
もう一度あたりを見回して、高耶はゆっくりと天を仰いだ。
「誰も、いないのか」
茫然としたように声を漏らして、眼をつぶる。
「誰も……もう、いないのか……」
呟いた瞬間、高耶の肌を撫ぜていた風が急に止んだ。
びゅうびゅうと音を立てていた風が鳴り止んで、ふいにあたりは静まり返り、無音の世界と化す。
そろそろと瞼をあけて、視線を結ぶ。砂で覆い隠されていた視界が、唐突に鮮明となった。
赤い砂の大地の果てに、白い大きな石柱が現れた。
明らかな人工物と分かる白い石柱。高耶は惹かれるように、ゆっくりと歩き出した。
埋め込むように砂の上を歩んでいく。裸足の足跡が、赤い大地の上に刻印するように刻まれていった。
石柱の手前まできて、高耶は足を止めた。
白い柱は、途中でポキリと折れていて、残骸が根元の方にいくつか転がっていた。よく見れば柱は元々二本あったらしく、片方は砂に覆われてほとんど地中に埋もれていた。
白い柱にそっと右手を置いた。
どうしてだか涙が出るほど懐かしい心地に襲われた。
何かの思念が、この柱に切々と宿されている。
冷たい石の肌に、あたたかい光が灯されているようだった。
この思念の持ち主は、どれほど美しい思いをこめてこの石柱に思念を残したのだろう。
高耶はそっと石柱にしがみつき、あたたかな思念に抱かれるかのように、石面に額付けた。
そうして石柱からそっと離れ、もう一度白い柱を見つめると、断ち切るように踵を返し、赤い大地を歩みはじめた。
もう、ここに直江はいない。
他の誰もいない。
自分しかいない。
彼と別れを告げてから、いったいどのくらいの時を経たのだろう。
無に帰った自分は、この世のどこに行くのでもなく、宇宙の塵芥となって消え果てるはずだった。
ここにこうしている自分が不思議だった。
あのときから、まだほんの数秒も経ってはいないのだろうか。それとも何年もの年月が過ぎていったのだろうか。
なにもかもが曖昧で、なにもかもが遠くて。
ただひとつ言えることは、
もう、二度とおまえに会うことはない。
それだけが……確かだった。
どこまで行っても砂の大地は続いていた。狂いそうなほどに何も見つからない。このまま永遠に、地の果てまで砂漠が続いているのではないかと思った。
天を見ればいつまでも月が高耶についてきていた。
何かを見守るかのように、どこまでも追いかけてくる月。
瞳に力をこめてじっと見つめ返す。白昼の月は淋しげな光を放っていた。奇妙なまでに青い空に取り残された月は、まるでこの無人の地を孤独に歩み続ける自分のようだった。
月の光は心を孤独にさせる。
もう、戻らない懐かしい日々を思い出させる。
彼との記憶を蘇らせる。
高耶はしばらくその白い姿を見つめ続けると、断ち切るように月の視線を振り切って、前を見つめ、再び不毛の大地を歩き始めた。
どれだけ歩いただろう。ひょっとしたら思うほどには歩いていないのかもしれない。
時間の流れの感覚が曖昧で、じょじょに傾いていく太陽だけが、時の流れを感じさせた。
幾時間も歩き続けて疲労でかすんだ高耶の視界に、小さな建物が映し出されたのは、その時だった。
石造りの家のようだった。造りは粗末で、風と砂を防ぐ程度の役割しか果たしていないのかもしれない。
青い空の下にポツリと建ったその家の入り口は、厚い布が風でゆらゆらとはためいて、こちらをいざなっているかのようだった。
空と大地と月と太陽だけしか存在しないかに見えた世界に、突如として現れた一つの家。
蜃気楼かもしれない。
それでもいいと思った。
あの家が不毛の大地が見せた蜃気楼だと言うのなら、この世界も、いまいる時間も、そして己の存在までもが儚い蜃気楼に違いない。
高耶は無言で歩を進め、しばらくもせぬうちに、家の前へと辿り着いた。
薄汚れた布を右手で持ち上げて、家の中を覗き込んだ。
中を見回しても、家具らしいものはほとんどなく、左の方にいくつか壷のようなものが並び、そうして右壁のすみに、ベッドのようなものが置かれていた。
よく見れば、薄い敷き布の上に人が一人横たわっている。
この地で眼が覚めてから、初めて会う生命だった。
自分の他にも、この不毛の地に生きる人がいただなんて……。
茫然と、その場に立ち尽くしていた高耶の耳に、人の声らしきものが届いたのはその時だった。
「──────」
声の主は、ベッドに横たわるその人だった。
声の低さから見て、男なのだろうか。男は高耶がいままで聞いた事も無い言語を発した。英語でも中国語でも、他のなんでもない……。不思議な響きの言語だった。
それなのに、なぜだか高耶には男の言葉が分かったのだ。何を伝えてきたか、瞬時に頭の中で理解した。
《誰かいるのか》……と。
男は敷き布の上に横たわったまま、もう一度話しかけてきた。
《驚いた……。私以外に、まだこの地上で生き延びているヒトがいたとはな……》
しわがれた声は弱々しく、男の生命の光の残り少なさを感じさせた。もう長くは無いのだろう。苦しげな声の主はいまだ瞼を閉ざしたままで、高耶の方に視線を向けない。
《どうやら……終わりの時が、もう少しだけ延びたようだ……》
ひとり言のように呟き、右手をゆるゆるとあげた。「来なさい」と言うように、高耶のほうに手招きする。
入り口で立ち尽くしていたままだった高耶は、息をひとつ飲んでそろそろと足を進ませると、男の傍らに腰を下ろした。
男の顔を間近に見て、その不思議な容貌に高耶は驚いた。
若いとも老いているとも判断のできない顔は、高耶の抱く人間としてのイメージの特徴とは明らかに異なっている。
肌質や造作も普通の人間とは違う。その異質さに大抵の人間は驚き嫌悪感を抱くかもしれないが、どうしてだか高耶は、その男の容貌を醜いとは思わなかった。
息もなく現れた男の風貌を凝視する高耶に、男は依然として瞼を深く閉じたまま、問いかけた。
《君はひとりか。……いったい、どこから来たのかな》
高耶は意味も無くかぶりを振った。どうしてか振り続けることしかできなかった。眼を瞑る男はそれを気配で知って、言葉が通じていないのだと思ったのだろう。
《言葉が話せないのか……》
違う。違う。と、高耶は首を振り続ける。言葉を、出そうとするのに喉に引っかかって出てこない。胸が苦しくて、苦しいのに吐き出せない。
男は困ったように微笑する。どうしようかと思案するように押し黙った時、やっと高耶の口から声がこぼれ出た。
「ここは、いったい……」
どこなんだと、続けようとして、高耶は口をつぐんだ。
その瞬間、驚いたように男が両眼を見開いたのだ。
明るい、茶色の瞳だった。焦点の覚束無い瞳は高耶の方へまっすぐ注がれ、やがて瞳孔がみるみる開き、高耶の顔にしっかりと焦点が結ばれた。
視線が交錯する。
「ニホンゴ……」
男が、信じられないと言った面持ちで呟いた。
「ニホンゴカ……今ノハ日本語ナノカ。旅人ヨ……君ハ、日本語ヲ話セルノカイ……」
男が興奮したように話しかける言葉は、いままでの奇妙な響きの未知の言語ではなく、発音は随分と悪いが、間違いなく日本語と呼べるものであった。
「そう……だけど」
突然の男の尋常ならざる反応に圧倒されながら、再び高耶が言葉を発すると、男は嬉しそうに笑って目を細める。
「アア……信ジラレナイ。再ビコノ懐カシイ言語ヲ、聞ケル日ガ来ヨウトハ……。本当ニ久シブリダ。ナントイウ嬉シイ贈リ物ダロウ……」
そう言って、鮮やかなまでに男は微笑んだ。本当に心の底から嬉しいのだろう、喜びの気持ちがこちらにひしひしと伝わってくる。
高耶は当惑しながらも、この不思議な男に興味を持って、男が“懐かしい”と評する日本語を、唇から再度紡ぎ出した。
「あなたの名前は?」
嬉々として答えるかと思ったのに、高耶の問いに、男は少し困ったように微笑して、首を横に振った。
「名ナド無イヨ……」
え……と、驚いて目を見開く。
「名前が、無い?」
「イヤ……本当はアルノダ。ケレド、ズイブンと前からモウ、誰モソノ名ヲ呼ブ者はイナクなってシマッタカラ……イツシカ、自分でサエ私ノ“ホントウの名”ヲ、思イ出セなくナッテシマッテイタ……」
淡々とした声で、男は事実を語った。
自分の名を思い出せないなんて、これほど悲しいことはないだろうに、男の声には悲哀らしい感情は見出せない。
高耶は静かな口調で、ゆっくりと尋ねる。
「ここには、他に人はいないのですか」
「アア……誰もイナイ。私一人ダ……」
遥か昔を回顧するように、男は遠い目をして、言葉を続ける。
「ココにモ、カツテハ少しバカリの人ガ暮らしテイタガ、皆死ニ絶エテ……最後ニ私だけガ残ッタ……。モハヤこの地デ、私以外に生キテイル者ハイナイと、ソウ思ッテイタ……」
男の視線が、高耶に戻る。そして、茶色い二つの瞳が、高耶の両眼を見据えた。
「……君ガ、ココに現レルマデ」
「…………」
「君は、ドコカラ来たンダイ?」
「オレ……は……」
そう聞かれて、高耶はなんと答えてよいのか分からなかった。
けれど、さきほどから、自分は何か、とんでもない重要なことを見過ごしているような気がして、そう思えてしょうがなかった。
男に出会った瞬間から、感じていたそれは、男と会話を交わすうちにじょじょにじょじょに強くなっていく。
答えぬまま無言でいる高耶を見て、男は再び、さきほどと同じ穏やかな微笑みを浮かべた。
「君は……ナゼダカ懐カシイ匂イがスル……」
穏やかな口調は、そよ風のようにやわらかくあたりに響いた。
「前ニモ、コンナコトがあっタ……。ズット前に、同ジヨウニして、私の前に突然現レテ……、アノ懐カシい日本語で私ニ語リカケた男ガイタ。最後にコノ言語を聞イタのハ、アノ時以来……」
「……日本語を」
「ソウ……、遥か昔ニ滅ビテ、今はモウ、誰も口にスル者ガイナクナッてシマッタ掛け替えの無イ言葉デ、彼は、……私に…………」
その時だった。
男の顔が、不自然に固まった。
言葉が途切れて、静寂が室内を支配した。
いままで笑みを浮かべていた顔が、みるみるうちに真顔になり、見開かれた瞳が、高耶の眼へとまっすぐに注がれた。
ふたりの視線が、交錯した。
わけがわからず、驚いたように見つめ返す高耶の目に、男の瞳に溢れる涙が映し出されたのは、その時だった。
ベッドの上に横たわる全身が、小刻みに、震え始めていた。
言葉も無く、茫然と高耶の顔を凝視し続ける男の頬に、ポロポロと、後から後から、涙の筋が伝い始めた。
「どうか、したのか?」
驚いて、高耶が男に問いかけた。
問いには答えず、なおも男は涙を流し続ける。そのとき、ふるえる唇が、初めて言葉を紡いだ。
「オウギ…………タカヤ……」
高耶が目を瞠る。男の顔を見れば、涙を流しながらこちらに視線を注いで、再び言葉を紡いだ。
「オゥギタカヤ…………オウギ、タカヤ……」
言葉の合間に、くぐもった嗚咽が、唇から漏れ始めた。
それでもやめることなく、男はその言葉を、神の名でも口にするかのように、繰り返し紡ぎ続けた。
高耶は信じられぬ思いで、男の顔を見つめ返した。
男の口から生まれる言葉は、確かに自分の名なのだった。
「どう、して……オレの名前を……?」
男は首をゆるゆると横に振り続けた。答えは返さない。高耶の名を、繰り返すことしかできないらしい。壊れたレコードのように繰り返し名を呼び続ける。
そうして右手をゆっくりと持ち上げると、高耶の方に差し出した。
高耶はその手を、一瞬ためらった後、そっとにぎりしめた。
「アア……」と、男が感嘆の声をあげる。
「迎エに来て……くれたンデスね……」
男は涙を流しながら、それでも幸せそうに微笑んだ。
「私が今マデ頑張っタカラ……神様が最後ニ、ご褒美ヲくれタノデショウか……」
目を細め、男は高耶を愛おしそうに見つめた。
涙にぬれた瞳は、キラキラと星のように輝いていた。
「聞イテください……。私ハ、ちゃんと約束を守れマシたよ……。
最後マデ……守りきるコトが出来マシたよ……」
高耶は茫然と男を凝視した。男の瞳には、春の風よりも穏やかな光が灯されていた。
「喜ンデくれマスよね……。オウギタカヤ……」
弱々しい声音で、そっと告げる。
その微笑んだ瞳の色が、とても懐かしい面影とかさなった。
一度だって忘れたことも無い、面影だった。
まさか……とも思い、けれど、間違いない……という確信が、高耶の胸の中でせめぎ溢れていた。
「おまえなのか……」
茫然とつぶやいた。
声が、自分の声ではないように思えた。
この不毛の大地で。たったひとり、ひっそりと生き続けてきたこの男が。
そしてもう、いまにもその最後の生命を終えようとしている、……この孤独な男が。
(おまえなのか)
信じられない思いで、反芻する。
「ずっと、ここにいたのか」
この大地で、自分との約束を果たすために。たったひとりになるまで……生きていたのか。
高耶の問いに、男はうっすらと微笑み、誇らしげにこう告げた。
「約束したでしょう。……もう、二度と嘘ハつかナイからって……」
──約束しただろう?
──もう、二度と離れはしないと。
病んだ男の面影は、かつての相手の面影をひとつとしてとどめてはいないのに、それでも「彼」だと、間違いないと、高耶は確信した。
この言葉を紡ぎ出せるのは、彼以外にはありえはしなかった。
言葉なんて無くたって、彼に間違いなかった。
どうしてすぐ気づかなかったのだろう。
どうして、すぐに……。
(どうして……っ)
感極まって、高耶は男の右手にすがりついた。
男の顔に触れるほど顔を近づけて、その懐かしい瞳を見つめ返した。
「オウギタカヤ……」
「違う」
男の呟きに、高耶は首を横に振った。
「忘れちゃったのか。違うだろう?そうじゃなくて、もっと、おまえはいつもオレを違う風に呼んでいただろう?」
言い募るが、男は不思議そうに首をかしげた。その様子に、悲しげに高耶は眉を寄せると、教え諭すように囁いた。
「“高耶さん”って……」
言葉に、男が反応した。
目を見開いて、高耶の言葉を反芻した。
「タカヤ、サン……」
「違う、“高耶さん”」
「高ヤ……さん」
「“高耶さん”」
根気よく繰り返し、名を呼ばせ続けた。
そして。
──高耶さん。
男の唇から、確かに、かつてのままの呼び名が生まれでた。
「そう、そうだ……」
「高耶さん……」
「やっぱりおまえだ。全然、変わらない。昔のままの、おまえだ……」
高耶は男の手を握り締め、己の頬にあてた。
「おまえだ……直江……直江、信綱……」
「高耶さん……」
「なおえ……」
名をつむぎ、そっと、目を瞑る。
そう、この男は、間違いなく己の魂の伴侶と定めた人なのだった。
ずっと……遥か昔に離別を果たした、かけがえのない、己の半身なのだった。
男の胸に顔を埋める。
聞こえる。彼の鼓動が聞こえる。
すがたかたちは変わっても、幾星霜の時間を経ても、決して変わらない、彼だけの持つ魂の鼓動。
男は目を見開いて、茫然としたように、高耶の言葉を噛み締めた。
「ソウ、だ……私の名前ハ……、ナオエ、ノブツナ……」
ふるえる声で、男が呟く。
神から天啓を得た者のように、殻を破り捨て、息吹をあげた生命のように。
「私の名前は……直江信綱」
彼は天を仰ぎ、万感の思いをこめてもう一度呟いた。
己の……本当の名前を。
遥かなる時の狭間で、忘れ続けていたその名を。
いま、二つの魂が、数千年の時をこえて再び出逢った瞬間だった。
閉じた眦から、涙が溢れて、頬を伝い、男の胸に落ちた。
「ごめん……ごめん……」
高耶の胸から溢れたのは、謝罪の言葉だった。
一度堰を切った涙は、とどまることを知らず、高耶の頬をぬらし続けた。
「ごめん……オレ、おまえになんて言ってやればいいのか、分からない……」
「高耶、さん……」
「おまえは、必ず約束を果たしてくれるって、信じてたけど……信じてたけど……」
ボロボロと、子供のように涙を流しながら、高耶は嗚咽をあげながらしゃべり続けた。
「こんな……おまえの姿見たら……どうしてあんな約束してしまったんだって……」
この生命の絶えた地球で。
たったひとりで。
おそらく、あの時から何千年も、何万年もの時間を。
ただ約束を、果たすために。
そのために……。
ごめん……ごめん……と、顔を伏せて謝り続ける高耶の髪を、直江は左手を上げて、そっと撫でた。
「どうシテ……謝るンデスか」
不思議そうに眉を寄せて、高耶に問う。
「私はこんなに幸福ナノに、……あなたハ、嬉しくハなかったノですか」
そんなことない、と、ゆるゆると首を振った。
この男が一生かけて果たしてくれた想いが、嬉しくないなんてことはありえない。
幸せすぎて、おかしくなってしまいそうなのに。
「ナラ……笑ってください」
直江が微笑む。かつて向けてくれたようなやさしい笑みを、高耶の瞳を見つめながら向ける。
「あなたニ微笑んでほしいカラ。ただそれだけのタメに、こうして生きてきたンデす……」
胸を張って、あなたに言えるように。
「私の愛は、間違いなく、永劫のものでした」
直江の手が、高耶の頬を撫でた。
落ちる涙を、その指がすくい、やわらかに微笑んだ。
「愛しています。高耶さん」
再び直江の目にも涙がにじみ始める。
「ずっと、愛していました。……あの時、あなたと別れを告げた瞬間から、いままで、遥かな年月を経ても、決して色あせることなく、あなただけを愛してきました……」
どんなに長い年月が流れても。
どんなに、たくさんの記憶が歴史のなかに埋もれてしまっても。
それだけは、この想いだけは、絶対に薄れることなど無かったのだ。
「永遠に愛しています」
泣きながら直江は微笑んでいた。こんなに幸せそうな直江の笑顔を、高耶は今まで見たことがなかった。
「やっと言えた……。ずっと、あなたに言いたかった。私の愛は、決して妄想や、思い込みのものなんかじゃない。ずっとあなたに証明したかった。きっと初めて会った頃から……。私はあなたにそれを言うためだけに生まれてきたんだ……」
何度も否定してきたこの想いを、いまやっと、胸をはって言える。 憎しみも、怨みも、そこにあったのは確かだけど。それをすべて覆いつくしてしまうほどの、あたたかな想いがここにある。
「あなたに逢えて、ほんとうに良かった」
何千年分、何万年分の想いをこめて、その想いのすべてを高耶に告げる。
(なお、え……)
もう何も言えなかった。直江のこれだけの想いに答えられるものなど、自分の世界はちっぽけすぎて、どんなに探しても見つけられやしなかった。
「おまえには、かなわないよ……」
嗚咽を飲み込み、懸命に高耶はふるえる声で言葉を紡いだ。
「おまえは、本当にすごい。世界一すごい。オレなんてもう、足元にも及ばない。オレの完敗だ……」
いままでずっと、「永遠」を否定してきた自分。
絶対にありえないと、信じようとも思わなかった。
直江の愛を知りながら、決してその想いを受け入れようとはしなかった。
あんなにも直江を想い続けて来たのに、直江の想いが絶えることの恐怖にとらわれすぎて、伸ばされる手を決して取ろうとはしなかった。
けれど……。
「いつだか……誓った。人の想いに永遠なんてものが本当に存在するのだとしたら、その時こそオレは、この愛しい世界に敗北を認めると……」
直江を見つめながら、高耶は万感の思いをこめて告げた。
「いまこそ認める。この世に“永遠”は存在する」
これ以上ないほどに、高耶は美しい微笑みを浮かべた。
「おまえを……信じてよかった……」
「高耶さん……」
高耶は直江の身体に、覆いかぶさるようにして抱きついた。
もう、二度と離れたくないと思った。
心から告げる。
ありがとう……と。
こんな言葉だけじゃ、とても彼の遥かなる時の孤独を埋めることはできないけれど。
つり合いなんか、とても取れないけど。
それでも伝えたい。
「オレみたいに幸せな人間は……他にいやしない……」
歴史上の誰よりも……。
いままで、いったい幾億幾兆の人間たちが、その想いの永遠を成さんとし、そうして敗れてきたことだろう……。
人というものは、ひとつのものを永遠に思い続けられるようにはできていないのだと、誰かが言った。
人の想いは平熱と平板の繰り返し。
手に入らないからこそ想いは熱く燃え上がり、手にいれ欲望を果たした心は、次第に冷めて、また次の刺激へと想いの先が移り変わる。
やがては消えいく不確かなものに、期待などかけたら馬鹿を見ると、自分はずっとそう思っていた。
永遠の愛を誓うだなんて……安っぽい言葉だと思っていた。
いままでいったい、どれだけの人間が成し遂げられたと言うんだ。
死別は永遠なんかじゃない。
死の先を知ってしまった自分達には、浄化の行為こそが敗北だと思った。
今生でたとえ想いを育み続けられたとしても、来世で他の人間を愛してしまったら意味がない。そんなものは永遠とは呼ばない。
本当に悠久の愛ならば、浄化によって一瞬だって忘れることなど許されないのに。
だとしたら、いったい誰が「永劫」なんてものを成就できるというのだろう。
穏やかな死さえ迎えることを拒まなければ、成し遂げられぬものなんて。
それなのに……。
もしも本当に、人というものが、永遠にひとつのものを思い続けられぬように、神につくられたものなのだとしたら。
(この男は、神にさえ勝利したんだ……)
歴史上何者も成し遂げられなかったことを、この星が生まれてから初めて、この星の歴史の終わりに、直江信綱というたったひとりの人間が唯一成就させたのだった。
人としての運命も宿命も、なにもかもぶち壊して、ようやくここに「永劫」が完成したのだ。
神でさえ、一人の人間の持つ可能性の限界を決定することなどできはしないと言わんばかりに。
直江という男が成した行為は、すべての生命たちの最後の希望だった。
その成就の瞬間に、唯一の証人として立ち会うことができたのは、他ならぬ自分なのだ。
そしてその想いの向けられた先にある人間もまた。
(これ以上の幸福が、ありえるだろうか……)
高耶は直江の身体を抱く手に力をこめた。
愛しい、おまえの魂……。
直江というただひとつの魂に出逢えたことに、
いまこそ。こころの底から感謝したい。
そしてこの男の成し遂げた奇跡を生み出した、この全世界に向けて。
いま、高らかに宣言する。
ここに永劫──成就。……と。
To be continued...♦
2004*10*10