<3> 「もうさ、直江さんに告白しちゃえば?」 日ごとため息が増えてゆく高耶に、そう言ったのはクラスメイトで親友の成田譲だ。 「そーそー。見てる方が鬱陶しくてたまんねぇよ。こっちまで不幸がうつりそうだぜ」 そうぼやくのは、同じくクラスメイトで親友――というより悪友と言った方がいい千秋修平である。このふたりは中学からの友人だった。 映画を見に行った翌週の土曜日、高耶の家にふたりが遊びにやってきていた。いや、遊びにというより、高耶の説得に来たと言った方が正しい。 はじめ、高耶の家の事情もすべて知ってるふたりは、高耶の決断にあえて反対はしなかった。しかし、日に日に暗く沈んでゆく高耶の状態を見てもう放ってはおけなくなり、今日こそはと気合を入れて高耶の家に押しかけたのだった。 「お揃いのパジャマに喜んでる場合じゃないよ高耶。聞いててなんだかいろんな意味で痛々しいよ」 「映画館で映画も観ずに、ヤツの寝顔に見とれてるような馬鹿は、賢い友達の言うことを素直に聞いときゃいいんだよ」 「…………」 高耶は、この友人らのあの手この手の容赦ない手段によって、直江とのことを逐一、洗いざらい吐かされていた。 「今の穏やかな家族関係を壊したくないのはわかるけど……でも、高耶が幸せになれないなら俺は反対するよ」 「自己犠牲なんてダセェことすんなよ大将。告れなくて悩むくらいなら、告ってから悩めってんだ」 「んなこと……できねぇよ」 再びため息をつく高耶に、譲と千秋もため息をつく。空気が3倍重くなった気がした。 高耶は俯いたまま、指で器用に魚のマスコットが付いたシャーペンをクルクル回している。譲たちが来るまで勉強していたらしく、机の上には参考書とノートが広げられていた。それを友人らは哀れむように見る。高耶が一生懸命勉強することには理由があった。三者面談があるからというのは建前で、これ以上成績が落ちると直江が家庭教師に付きそうだったから、というのが本当の理由である。 長時間部屋にふたりきりになったら何を口走るかわからない。突然泣き出してしまうかもしれない。それくらいもう高耶の直江への思いは飽和状態だった。 「だってさ、真面目に勉強してしまうくらい好きなんでしょ?」 「吉牛の牛丼が喉を通らなくなるくらい好きなんだろ?」 それはよっぽどのことだと、ふたりはうんうんと頷いている。 「…………」 なんだかひどい言い草だが、高耶のことを心配してくれているのはわかる。 黙り込む高耶を迷っていると見たのか、ふたりは怒涛の説得攻撃をしはじめた。 「ねぇ高耶、素直になっちゃいなよ」 「おまえがひとこと、好きだーって言えば両思いになれるんだぜ」 「高耶だけじゃなく、直江さんも幸せになれるんだよ?」 「悲劇のヒロイン気取ってねぇで、幸せはてめぇで掴めってんだ」 「ふたりが真剣なら、家族もきっとわかってくれるよ」 「う、う、うるさい黙れ!!オレには悪魔の囁きにしか聞こえねぇ!」 高耶は、キッとふたりを見据えて言った。 「オレは諦めたんだ!諦めるんだ!……そう、決めたんだ!」 膝の上でぎゅっと握った拳が震える。 「高耶……」 「これは自分勝手に考えていいことじゃねぇ。もしオレと直江が、その……くっついて、それがバレたりしたら、きっともう一緒に笑って夕飯食べることもできなくなる。親父と義母さんの関係にもヒビが入るかもしれないし、義母さんには後ろめたい思いをさせるかもしんねぇ」 高耶の言わんとしていることがわかって、なるほどなと、千秋は顔をしかめる。 「まあ確かにこの場合、おまえが直江を誘惑したってよりも、直江がおまえを誑かしたと、普通そう思うわな。そしたら直江のかーさんは罪悪感を感じて結婚自体を後悔するかもしれないと」 「千秋!」 歯に衣着せぬ千秋の物言いに譲が怒鳴った。それを高耶が「いいんだ」と制止する。 「今はつらいけどさ、1年2年……5年、10年経ったらきっと笑ってるから……これでよかったんだって……そう言って笑ってるはずだから」 「だからこれ以上口出ししないでくれ」と言って、高耶は貝のように口をつぐむ。 友人の思いつめた表情に譲と千秋は、それ以上何も言うことができなくなってしまう。 重い沈黙が部屋を満した。 「もう塾の時間だから、オレ行くね」 しばしの沈黙のあと、譲が言った。 「……その、ごめんな」 背中越しに小さな声で詫びてくる高耶に、譲は苦笑いする。 「じゃあまた月曜に」 譲が出て行くと、また重い空気が室内に落とされる。千秋は絨毯の目をじっと見つめながら、何か考え込んでいるようだった。高耶は机に向き直りノートを開く。カツカツというシャーペンの音だけが部屋に響いた。 「おまえも、そろそろ帰れよ」 「オレにしとくってのはどうだ?」 千秋が顔を上げて言った。 「……は?」 「とりあえず今は擬似でも何でもいい。他に恋愛対象を作るってのはどうだ?今のまんまだと、おまえマジでまいっちまうぞ」 それが、はじめのセリフとどう繋がるのかと、高耶は眉をひそめる。 「オレとしては、かわいい女の子を薦めたいとこだが、おまえは直江みたいな年上の大人の男に弱い」 「誰が男に弱いって?!」 高耶が目を剥いた。 「弱いだろ。中学ん時の開崎センセーだっけ?好きだったろ?」 「そっそんなんじゃねぇ!てめぇ変な目で見てんじゃねぇよ!」 「家飛び出して河原で凍えてたら、開崎が黒いカシミヤコートかけてくれたんだって、はにかみながら話してたくせに」 「はにかんでねぇ!」 殴りかかる高耶の右手を千秋は掴んだ。次いで飛んできた左手も掴みとる。 その力の強さと、千秋の真剣な眼差しに高耶は怯んだ。 「だから、オレにしとくってのはどうだ?」 高耶は目を見開く。 「……は?」 「知ってのとおりオレは2年休学してっからおまえより年上だし?その辺のサラリーマン程度にゃ太刀打ちできねーくらい人生経験も豊富だ。おまけに自分で言うのもなんだが包容力もある」 「何……言って……」 確かに、休学中、自分探しと称して海外を放浪したり、違法すれすれなバイトをしたり、知り合いの会社運営に携わったり、株の売買で天国と地獄を行き来したり、時にはファッション誌のモデルとして登場したりしていた千秋は、人脈も経験も普通の高校生ではなく、年齢詐称疑惑が出るほどに経験から学んだ生きる知恵を多くもっていた。包容力があるのも認める。 だがしかし……だからといって…… 「おまえ……マジで言ってんの?」 掴まれた手を振り払うことも忘れて、高耶はぽかんと千秋を見つめる。 「おう、マジだマジ。大マジだって」 千秋の目に悪戯めいた色が浮かぶ。それを見て高耶は、ほっと息をついた。 「ったく、たちの悪りぃ冗談はやめろ。手、離せよ」 「直江よりオレのが絶対いい男だと思うんだけどなー」 「言ってろバカ」 「恋は盲目っていうしな」と、ひとり納得して頷いた千秋は、ついでのようにこう言い添えた。 「まあ、ココロの片隅に置いとけよ。どっかに逃げ道作っとかねーと、おまえ潰れちまいそうだからな」 その言葉に思わず高耶の顔がゆるんだ。千秋のこういうさりげない優しさに敵わないなぁと毎回思う。 「……お節介野郎」 「悪いか。性分だ」 悲壮感を漂わせていた高耶の顔に、やっと笑みが広がる。 「何笑ってやがる」 「いやーおまえはいいヤツだよ」 「いい男と言え」 それからどうでもいい馬鹿な話ばかりたくさんした。 久しぶりに高耶は声を上げて笑った。 |
納多'sコメント
イッカク様のコメントでは、千秋の気持ちはあくまでも
友情の範囲とのことだそうです。
それにしたって千秋は今回もいい人すぎですな。
いやもう、千秋がいい人っていうのは当たり前のことすぎて、
ミラ界では「千秋」といえば「いい人」と返すのが
もはや常識という感覚なのですが、
たまにはいい人じゃない千秋も見てみたいとは思うものの、
果たしていい人じゃない千秋を「千秋」と呼べるのかどうか、
「いい人」というアイデンティティーを捨ててなお
千秋が千秋たれるのかどうかという疑問が芽生え、
やはり千秋という人格を形成するものとして
彼が「いい人」であるという要素は不可欠の絶対条件であり、
いい人であり続けることこそが彼を千秋たらしめているのだと
最終的に結論が導かれるのです。
……さぁ私は何度「いい人」と言ったでしょう。
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