<5> 高耶が意識を取り戻した時、そこは自室のベッドの中だった。太陽はとっくに昇り、時計は11時を指していた。 「高耶くん目が覚めた?大丈夫?」 枕元には懸命に看病する義母の姿があった。失恋のショックなのか、高耶は千秋のアパートで高熱を出して倒れてしまったらしい。 「今年の風邪は熱が出て長引くんだって、さっきお医者様がいらっしゃって言ってたわ」 「ありがと……迷惑かけてごめん」 そう言った声は、すっかり風邪声になっている。 「何言ってるの。こういう時は遠慮なく頼ったらいいのよ。家族なんだから」 「……うん」 「千秋君も心配してたわよ」 「あとで電話しとく」 千秋には、いろんな意味で心配かけまくってることだろう。あとで礼のひとつやふたつしなければなと、高耶は思う。 おでこにヒヤリとした手が当てられた。 「まだ高いわねぇ。学校には連絡してあるから、ゆっくり休みなさい。期末試験までには治さなきゃね。あんなに一生懸命勉強してたんだから」 そう言って微笑む義母の笑顔は、直江によく似ている。 「最近遅くまで勉強してたから、きっと疲れが出たのね。それなのに買い物に行かせちゃってごめんなさいね」 体を起こさせて水と薬を高耶に飲ませてくれた義母は、「お粥なら食べられる?リンゴはどう?モモ缶も買ってこようか?あっ、それよりも先に汗で濡れたパジャマを着替えなきゃ!」と、過保護なくらいにあれやこれやと忙しく立ち回り、あげくには、熱々のお粥をフーフーと冷ましながら、手ずから食べさせてくれようとするので、さすがにそこまではと、高耶はあわてて止めた。 「自分で食べられるよ。あんま食欲ないけど」 「ちゃんと食べなきゃ良くならないわよ。あとでリンゴすりおろしたのも持ってきてあげるからね」 「うん」 そういえば、亡くなった母も高耶が風邪をひいた時は、いつもお粥やリンゴのすりおろしジュースを作って食べさせてくれたなと高耶は思い出す。共働きだった為、普段はあまり構ってもらえなかったが、病気になった時だけは幼子のようにめいいっぱい甘やかしてくれた。だから風邪をひくのが少し嬉しかった記憶がある。 「寒くない?大丈夫?」 食べ終わった高耶を再び寝かせ、冷えないようにと羽毛布団を肩までしっかり覆わせたあと、また様子を見に来るからねと言い置いて、義母は出て行った。次に来る時は、すりおろしたリンゴを手にやってくるのだろう。 (母親っていいな……) 高耶はそっと笑みをこぼして目を閉じる。 ひとつを得ようとすれば、もうひとつを捨てなければならない。 熱が下がったら、もう泣き言は言わない。そう心に決めて高耶はまた眠りに落ちた。 その熱が下がりきる前に、それは起こった。 「ぎっくり腰?」 「そうなのよ。漬物石を持ち上げた瞬間、グキッといっちゃったんですって」 宇都宮で一人暮らしをしている直江の祖母から、腰が痛くて動けないという連絡が入ったのは、高耶が寝込んでから3日目の朝のことだった。 「それで、2、3日どうしても手伝いにいかなきゃいけなくなったの。近くに住んでる妹に頼みたかったんだけど、間が悪いことにあの子も風邪で寝込んでしまっててね」 「オレはもうほとんど回復してるし、気にせず行ってきてよ」 申し訳なさそうに言う義母に高耶は明るく言った。 「美弥もいるし、大丈夫だって」 「それが、美弥ちゃんは今日から明日の夕方までクラブの合宿なのよね。学校から直接出発するんですって」 「あ、今日からだっけ?」 美弥はスキー部(というのは名ばかりでスノボがメインになってるらしい)に所属している。そういえば、初雪が降ったので祝日を利用して出かけるのだというようなことを言っていた。高耶の看病のためなら美弥はきっぱり諦めるだろうが、そこまでもう体調は悪くはないし、チャーターしたバス代や宿泊のキャンセル料を考えると、もったいないと貧乏性が抜けない高耶は思ってしまう。 「まあ、美弥がいなくても大丈夫だって。そういや親父も出張でいないんだっけ?」 「そうなのよ。帰るのは明後日になるって言ってたわ」 嫌な予感に高耶の胸がざわめく。 「信綱にはさっき電話で伝えておいたから、遠慮なくこき使ってあげてね。ただあの子、お粥のひとつも作ったことないのよねぇ。ちゃんと役に立てるか心配だわ」 (今晩から明日の夕方まで直江とふたりきり……) 熱が一気に下がって、体が冷たくなったような気がした。高耶はドクドクと暴れる胸を押さえる。 「だ、大丈夫だって。もうナベくらい握れる状態だし。それよりばあさんのぎっくり腰の方を心配してやらなきゃ」 「本当にごめんなさいね。ごはんは今日と明日の2日分、冷蔵庫と冷凍庫に入れておくからチンして食べておいてね」 それから義母は慌しく準備に駆け回り、「信綱には早く帰るように言っておいたから」と、追い討ちをかけるようなセリフを残して出かけていった。 玄関まで義母を見送りに出た高耶は、ふらふらと部屋に戻り、パンチドランカーのようにベッドに倒れこんだ。 (これは、オレの決意を運命の神様とやらが試しているんだろうか?) 窓ごしに見上げた空は、高耶の心を表したように黒い雨雲に塗りつぶされている。 やがて大粒の雨が降りはじめ、だんだん激しくなってゆく雨音とともに、あたりは夜へと変わっていった。 その日、直江は定時前に帰って来た。まともに顔を合わせるのは3日ぶりだった。 |
納多'sコメント
母親っていいですね。ごはん作ってくれますもん。
一方の直江はお粥すら作れないとは……。
そんなことで高耶さんを骨の髄まで満足させられると?
修行が足りません!
でも直江、器用だしマメで几帳面なイメージがあるので、
本気を出せば料理上手になれそうですよね。
でも直江は古い人間ですし、(何しろ400歳)けっこう保守的なので、
「男子厨房に入らず」とか案外思ってたりして……(笑)。
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