第二話

 楢崎はガバッとベッドから身を起こした。
 そしてそのまま、ぐるりと一周室内を見回す。
 ここは浦戸アジトのとある一室……楢崎の部屋だ。
 裏四国呪法を経て幾月、新入だった楢崎毅もいつの間にやら古参の部類と呼ばれるようになっていた。
 もともと一平卒隊士の中でも目覚しい霊力の持ち主であった彼は、幾度と無く繰り広げられた敵との戦闘で数々の戦功を打ちたて、ついには個室ゲットに至るまでの実力者となっていた。
 仰木・武藤・橘の「最強新入現代人トリオ」には及ぶべくも無いが、重要な作戦時には必ず最前線の精鋭部隊に名を連ね活躍するようになった現代霊・楢崎の出世も、大したものだと言えるだろう。
 狭いながらも個室を手に入れるまでに成長した楢崎を、卯太郎はこの上なく羨ましがっていた。
 窓に掛かるカーテン越しに、どんよりとした雲に覆われた空の隙間から、僅かな朝の日の光が漏れている。その光は現在が早朝の時分であることを楢崎に知らせるに、充分に足りるものだった。
 しばらくの間何をするでもなくボーッと呆けていた彼は、ニ三度瞬きをすると、ゴシゴシッと瞼を擦り、大きく溜息をつく。
 そして息を吸うと、

「すっっっげー変な夢だった」

 盛大に呟いた。寝起き第一声なので、声がおかしい。
 ボリボリと頭を掻いて、ベッドから床に降りる。
 靴をつっかけて立ち上がると、背筋を伸ばして大きく背伸びをした。

「んんんーーぅっく」

 はぁっと息を吐き出すと、欠伸をしながら楢崎は、Tシャツを脱いで椅子の背に掛けてあった新しいシャツとパンツに着替える。そして机に放り出されていたタオルと歯磨きセットを手に持ち、廊下突き当たりの洗面室に向かうため部屋のドアに手を掛けようとしたところ……。
 その時、思いがけない人の姿が、視界の端に映ったのだ。

「仰木隊長っ!?」

 楢崎が驚いて左を振り向くと、確かにそこに、びっくりした顔つきでこちらを見つめている仰木高耶がいた。

「隊長っ、なんでこんなトコに!いったい……」

 楢崎はそこでハッと気が付いた。
 そこは、「鏡」だったのだ。
 楢崎は他の霊齢の高い隊士たちなどとは違って、いかにも現代霊らしく、男性であっても結構身だしなみには気をつかっている。
 朝から髪のセットに一時間も鏡の前に立つような馬鹿なことはしないが、自分の部屋の壁に鏡を掛けておく程度には、自分の容姿に関心があったのだ。
 楢崎は鏡の中の映像を、まじまじと凝視した。

「なんで……隊長が鏡の中、に……」

 そこで、彼は新たに気付いてしまった。

(どうして、俺は映っていないんだ……?)

 心臓がバクバクと言い始めた。冷や汗がじっとりと滲む手を、楢崎はゆっくりと持ち上げた。
 鏡の中の高耶も、ゆっくりと手を顔の横に上げる。
 にぎったり、開いたりしてみた。高耶も全く同じ動作を繰り返している。
 両手で頬をつねってみた。そしてにゅーっと引っ張ってみて、高耶の頬が横に伸びた。
 ついでに口を縦に大きく開けて、ムンクポーズをしてみる。鏡の中の高耶も、ムンクの叫びをやっている。

 ………………。

 楢崎は息を大きく吸った。そして。

「ぎゃああああああああぁぁぁぁぁーーーーーーーッ!」

 世にも悲痛な悲鳴が轟いた。
 楢崎は髪の毛をかきむしる。手に抜けた髪は、普段の自分の髪よりずっと黒々としていた。

「なんで俺が仰木隊長になってんだよおおおーーッ!」

 床に膝をついて叫ぶ。その叫び声でさえよく聞かずとも高耶の声だ。信じられない思いで首をブンブン振った。
 どんなに鏡を覗き込んでも、それは高耶の顔である。ムンクになったって高耶である。
 漆黒の髪、キリリと吊った眉、精悍な頬、高い鼻梁、やや肉厚な唇、そして切れ長の双眸は真紅の輝きを放っている。
 どうして自分が高耶なのか。どうしてこんなことになってしまったのか。楢崎は思い切り錯乱した。
 しかし彼には思い当たるフシが一つだけあったのだ。

(あの夢だ……!)

 あの夢のキツネのせいだ!そうに違いない!それ以外には考えられない!
 楢崎は顔を上げた。そして仰木高耶とまったく同じ声で、こう叫んだ。

「神狐おおおっ!どういうことだこれはああ!聞いてるんなら出てきやがれええぇぇッ!」

 室内に高耶の声が鳴り響いた、その次の瞬間。
 ベッドが突然ペアアッと輝きだした。覚えのある、白銀の光だ。
 そうして徐々に光が弱まると、茫然とその光景を見つめていた楢崎の前に、ベッドの下からひょいっと、金色の毛並みのキツネが現れた。

《なんじゃ、何か用か》
「何か用かじゃねーよこのウスラボケェッ!」

 楢崎は半泣き声で神狐に縋りついた。

「どういうことだよこれはぁ!」
《どういうって、おんしの願いを叶えてやったんじゃろ。『仰木高耶になりたい』って》
「いつ誰がどこで何時何分何曜日地球が何べん回った頃にンなこと言ったってんだよっ。俺は『仰木隊長みたいになりたい』って言ったんだ!隊長そのものになりたかったわけじゃねぇんだよおっ!」

 楢崎は今にも泣きそうだ。あまりの出来事に、半ば錯乱しかけている。

「戻せよー!お願いだから今すぐ戻してくれよおー!」
《そんなこと言われてものぉ。一度掛けた術は丸一日経たないと消えんようになっちょるから、明日の朝にならんと戻ることはできんのぉ》
「そ、そんなぁ〜っ」
《ま、良いではないか。おんし仰木のようになりたかったんじゃろ?一日仰木高耶になればどうすれば仰木のような人間になれるか分かるかもしれんぞ》
「んなっ!困るんだよ俺っ。俺なんかに隊長の仕事なんてこなせるわけないしっ、四国の遍路のことだってどうしたらいいか分かんねぇし!」

 そう、問題はそこだ。仰木高耶は今や赤鯨衆にとって、そして裏四国にとって無くてはならない存在、「今空海」だ。四国呪法のシステムを管理し、死者遍路たちと共に札所を巡り、危険反応のある怨霊たちを排除し、それに平行して軍団長職の仕事もこなしていく……そんな人間離れした技、たとえ一日だけであろうと自分なんかにできるわけがない!

《その辺は心配するな》

 頭を抱える楢崎に、神狐は先っちょの白いフサフサした尾を揺らしながら言った。

《おんしは単に「見た目」が仰木高耶になっただけじゃ。本質的には元のままの楢崎毅。本物の仰木高耶は仰木高耶のまま普段どおり、今日も裏四国を巡っちょるじゃろうて》
「え、なんだ……そっか。良かった……」

 楢崎は安心してホッと息をついた。これで高耶が代わりに楢崎毅の身体に変身して、とりかえばや物語になっていたら目も当てられない。
 しかし次の瞬間再び頭を抱えた。

「ってダメじゃん!本物の隊長がいるのに俺が同じ隊長の顔してちゃ!」
《大丈夫じゃ。たとえ誰かに仰木とおんしが鉢合わせした所を見られても、おんしの方を仰木の分身だと思い込むように強力な暗示をかけてあるからの》

 神狐お得意の催眠暗示攻撃だ。これさえかかっていれば自分で正体をバラさないかぎり、周囲の者は楢崎のことを「本物の仰木高耶」だと思い続けるのである。

「でもっ、隊長にはバレるだろ!?それにあの人四国のことは全部分かんだぜ!いまこうやって俺が隊長の体になっちまったことももう知ってっかもッ」
《そこんとこも心配せんでええ。わしの力は四国の中でも特別なんじゃ。裏四国呪法の中には組み込まれとらん独立的な存在でな。いかな仰木高耶と言えどわしの動きを隅々まで感知することは出来んのじゃ》
「えっ、なんで!?」

 神狐はチッチッと肉球を左右に動かす。

《企業秘密じゃ。……ともかく仰木高耶と鉢合わせさえしなければ良いんじゃ。それだけ気をつけて、「一日仰木高耶ライフ」を思う存分堪能せい》

 そう無責任に言うと、神狐はパアアッという音を立てて眩しい光と共に、出た時と同じく唐突にヒュンッと消えてしまった。

「え、ちょちょっと……待てよ神狐ぉぉーッ!」

 叫んだが、もはや神狐からの返事は返ってこなかった。
 楢崎は茫然とそこに膝立ちしていた。……一体これからどうしろと言うのだろう。

(まさか……本気で一日仰木隊長体験なんて……できるわけねぇだろっ!)

 一日警察署長じゃあるまいしと、ズルズルその場に座り込む。そして左側の壁に掛かった鏡を見た。
 高耶がそこに座っている。いや、高耶の姿をした自分が座っている。オレンジ色の布地に白と紺と赤のロゴが入った長袖のシャツ、そしてポケットがやたらと多いカーキ色のパンツを身につけていた。
 高耶はいつも、青系かモノトーンのシンプルなデザインの服を着ていることが多いから、流行デザインの暖色系の服を身につけた高耶は、まるでタレントかモデルみたいで結構新鮮な感じだった。
 元がいいから、何を着せてもなかなかに似合っている。

「ホントに俺、仰木隊長なんだなぁ……」

 頬を押さえて、楢崎はしみじみと呟いた。スベスベの肌に、ちょっと感動を覚える。
 なんにせよ、神狐の言うとおりこのまま外に出て仰木高耶を満喫するわけにもいかなかった。
 とするともう、今日は一日おとなしく部屋に閉じこもっているしか手は無い。仮病でも使ってベッドで眠り込んで、今日を穏便に乗り切らねばならない。
 下手に出歩けば、面倒ごとに巻き込まれるのなんて目に見えている。楢崎は、昔っから貧乏クジ体質なところがあった。何か一つダメなことがあると、そこからどんどんどんどん厄介な方向へ深みに嵌って、蟻地獄状態になっていってしまうのだ。
 一度死んでそこんところはよーく学習している。雉も鳴かずば撃たれまい。ここは大人しく時が過ぎ去るのを待つのみだ。

(あーあ……今日は一日メシ抜きだなぁこりゃ)

 つらいが、それでも面倒ごとになるよりは遥かにマシだ。楢崎は溜息をついて、その場から立ち上がった。

「大体、俺が隊長のフリなんかしてみろよ……万が一あいつに出くわしたら、一体どうすりゃいいんだって」

 楢崎は身震いした。高耶本人に出くわすのなんかより、よっぽど怖い。
 思わず先日目にした光景が再び脳内に甦ってきてしまい、楢崎はまたまたお決まり通り「うわうわぁっ」と両手を振って映像を掻き消した。
 赤くなった顔を右手で押さえて、彼は盛大に息を吐いた。

「まったく……俺ってやつは朝っぱらからなんつーモンを……」

 そう呟いた時だった。

 バタンッ、という音と共にいきなり勢いよくドアが開き、

《楢崎ぃー、早よ仕度して行……》

 現れた人物が、そう告げる途中で言葉を失ったように、まんまるい眼を見開いていた。
 楢崎の額にブワッと冷や汗が滲み出る。

「う、うたろ……」
《仰木さん!?》

 驚いて叫んだのは、卯太郎だった。
 ドアの横に、廊下を背にして霊体の卯太郎が立っている。楢崎は、部屋のドアに鍵を掛けておかなかったことを、この時ほど後悔したことはなかった。

《ど、どうして仰木さんが楢崎の部屋に!?何か、楢崎がやらかしたんですがかっ、仰木さん!》
「いや、その……」

 まくしたてる卯太郎に、楢崎はしどろもどろに言い返した。

「楢崎に、ちょっとな、その……用事があって……」
《楢崎に?でも、楢崎はどこにいるんですか?》

 卯太郎は室内を見回した。当然のことながら、楢崎毅の姿がそこに見つかるわけも無い。
 ……なにしろ、目の前にいる「仰木さん」こそが、楢崎本人なのだから。

「いないみたい、だな……」
《そうですね、どこ行ったんでしょう。あいつ》

 洗面室にはいなかったから、食堂に先に行ったんでしょうかね。と卯太郎が言うので、楢崎は苦しげに、「そうだな」と、高耶の口調をなるべく真似するようにして答えた。
 楢崎は卯太郎に笑いかけながらも、心中では「早く、頼むから早く出て行ってくれ〜!」と必死の思いで懇願していたのだが……。

《どうしたんですがか?仰木さん》
「え?」
《食堂に探しに行かないんですか?部屋にはいなかったんですから》

と、彼はこちらに部屋から出るよう促してくる。
 楢崎は焦りまくった。確かに「仰木さん」には探しに来た楢崎が部屋にいなかったのだから、これ以上ここに留まっている理由は何も無い。
 けれど、楢崎はこの部屋から一歩も外に出てはいけないのだ。穏便にことを片付けるためにも、ここを離れるわけにはいかない。
 しかし……。

(上手い理由が見つかんねぇよおおぉぉ〜!)

 卯太郎の前に、楢崎は敗北した。
 涙を飲んで楢崎はニッコリと笑い、

「そうだな……」

 と呟いて、自室の敷居を泣く泣くまたいだ。
 こうして楢崎は、いつもの通りに蟻地獄への道のりへと突き進んでいったのである。 





to be continued.....
2003/7/24




予定どおり、翌日アップの第二話です。
お約束パターンですので、おそらくみなさんのご予想どおりであったことでしょう。
…ということで、楢崎は隊長になっちゃいました。
羨ましい限りです。私も隊長になりたいです。
そして直江と……ッ。
……っとと、楢崎はそんな邪念の持ち主ではないのでご安心を(笑)。

彼もどうやら神狐に気に入ってもらえたみたいですね。
基本的に気に入った人間にしか神狐は願いを叶えないので。
高耶さんも千秋も、神狐の眼鏡にかなったようですが、
直江はどうなんでしょうね。
犬とキツネは仲が良いんだろうか?
高耶さんとは、仲が良くても頭が上がらないようですが。
まさに虎の威を借る狐……。

それにしても楢崎はカーイイな〜。
最初に彼のことが気になり始めたのは
29巻の例の階段落ちシーンからなのですが(笑)、
35巻のあの、衛士の直江に向けて楢崎が言った
「俺はあんたのこと信じてるからな!」っていう台詞を聞いて以来、
赤鯨衆キャラの中でも潮くんや一蔵くんと張るぐらい大好きなんです。
直江に味方してくれる人は、みんなイイ人♪
所詮は直江ファンの納多でした。

さて、楢崎は隊長としてどうやって一日を乗り切るのか?
アイツ≠ニの遭遇を避けることができるのか?
続きは明日!