第六話 しばらくの間ベッドの上でぜぇはぁ言っていた楢崎は、ガバッと勢いをつけて起き上がった。 (そうだっ……今夜11時に橘の部屋に行くよう、隊長に伝えないとっ) そうだ、何も自分が直江の部屋を訪ねる必要は無い。高耶本人に行ってもらえばいいのだ。そうすればその5分間、直江からのキスをどうやってかわすかなどということに頭を悩ませなくて済むのである。 大体、直江は「渡したい物がある」と言っていた。話の流れから言って、どう考えても私用の物だろう。そんな個人的なモノを楢崎が高耶のかわりに受け取っても、後日どう言って高耶に渡せば良いのか、皆目見当がつかない。 しかしどうやって高耶に伝達すれば良いのだろうか……。 (そうだ、ケータイ) そう思ってポケットの携帯電話に手を伸ばしたが、ハタと楢崎は思いとどまった。 いまの自分の体は高耶そのものなのだ。声までそっくりそのままなのに、その声でどうやって高耶と話せば良いというのだろう。 鼻をつまんで風邪声に見せる手もあるが、とにかくいま、高耶と直接話し合うという状況は遠慮したかったし、そもそも携帯で連絡がとれるのなら直江自身がかければ良いのだから、楢崎が伝令係になる必要がまったくないのである。 どうして楢崎が言伝てを頼まれたのか高耶にツッコまれたら、答えることができない。 「あああぁ〜もうっ、いったいどうすりゃいいんだよぅっ!」 短い黒髪をワシャワシャとかき混ぜた。高耶の髪はサラサラとして指に心地よかった。 そこで楢崎の頭にひとつのアイディアがまるで花火のように閃いた。 (そうだ、卯太郎に頼もう!) いよっしゃーと楢崎は両手を叩く。 卯太郎に頼めば、少なくとも高耶に不審点を追求されることも無い。直江→楢崎→卯太郎→高耶などとまだるっこしいことこの上ないが、これ以外に良い方法は思い浮かばなかった。 楢崎は早速携帯を手に持ってアドレス帳を開いたが、 そこで作業が止まった。 「……って卯太郎ケータイ持ってないしっ!」 携帯電話を枕に叩きつけた。霊体の卯太郎がそんなもの持っていたら怖い。 「うおぉぉ、どうするどうするっ」と楢崎は立ち上がって地団駄踏んだ。ドスドス床を踏みしめたところで、再びハタと気付く。 (この下って、そういや卯太郎の部屋だよな) 正確には「卯太郎たちの相部屋」だ。平隊士は四人で一室の部屋を共有している。 前までは楢崎もそこに入っていたのだが、昇進して上の階に移った。 楢崎は机に歩み寄ると、引き出しからルーズリーフを一枚取り出した。椅子に座りボールペンを持って、なるべく丁寧な字で文章を書き始める。 『卯太郎へ 仰木隊長に、「橘さんが今夜11時、5分でもかまわないから自室に来てほしいと言っていました」と伝えてほしい。 悪いけどたのまれてくれ。わすれず隊長に伝えてくれよ。 おねがいな。 楢崎毅』 「……こんなもんでいっか」 用件のみを押し付けて、詳しい事情は一切書かない。間接話法がちょっと複雑だが、無駄な部分を省いた完璧な文章だ。 「あ、でも……卯太郎って字ぃ読めるよなぁ?」 普段気にとめたことは無かったが、どうなのだろう。卯太郎は話してみると見た目よりもかなり利発な少年なので、心配ないとは思うが。 でも昔の人の流麗達筆な筆文字は読めても、現代の若者的な楢崎の悪筆は読めないなどと言われては困るので、念のためにもう一枚ルーズリーフを取り出して、今度は平仮名をなるべく漢字に直しながらわざわざ縦書きで書いた。 「よっしゃ、これでいい」 ルーズリーフを封筒につめて、封筒にもでかく「卯太郎へ」と書き込むと、楢崎は立ち上がって、窓際へと歩み寄った。 ガラスを開けて、身を乗り出す。すると、下の少し離れた場所に隊士達がたむろっていたので、慌てて後ろを向いた。 (どうしよっ、あいつらに『仰木高耶だ』ってバレたらヤバイし……) 暫し考えて、楢崎はタンスからサングラスとキャップを取り出した。 室内でこんなもの着けているのは相当変なヤツだが、この際背に腹は代えられない。 鏡を見てみたらけっこう似合っていたので、「やっぱ美形はなに着たって美形だよな〜」と妙な感心をすると、楢崎は窓に再び近づいて、窓の桟へと身を乗り出した。 下の窓は閉まっている。鍵もどうやらきちっと掛かっているようだ。 (今こそ俺の、長き年月積み重ねた血の滲むような念修行の成果を発揮する時だぜっ) 楢崎は眉間に力を込めた。精神を統一して、第六感神経をフル活用させる。 階下の窓の鍵を凝視した。 (開けっ!) 念が走る。鍵へと当たった。 瞬間鉄の止め具がぐるりっと回転すると、ガラッと音を立てて窓が開いた。 「うっしゃ!」 まずは成功。今度は手紙だ。 楢崎は手紙を手の平に載せると、念動力を操って空中へフワリと浮かべる。そのままゆるゆると壁伝いにおろしていって、部屋の中に、入れる。 卯太郎のベッドがあるだろう左側の二段ベッドの上段の位置をけんとう付けて移動させると、 「フィニッシュ!」 右手の人差し指と中指二本をスイッと下ろして、落下させた。 完璧だ。もともと念動力は得意な方だったが、今日はいつにも増して《力》の巡りが良い。 これも高耶の身体のせいだろうか。本物の高耶ならばこの程度のこと寝てたって楽々こなせてしまうだろうが。 (いまなら何だってできそうな気がするゼッ) ……もっとも、現状で何かするような気概は楢崎には無かった。 これで大丈夫だ。11時の件は無事高耶へと伝わるだろう。 そう安心したら、急に腹が減ってきてしまった。 (いいや……サッサと寝よう……) さきほど眠っていたばかりだが、眠るしかこの空腹の苦しみを回避する方法はない。 そう思うが早いか、楢崎はベッドにうつ伏せに横になった。 そうは言っても、朝からずっと寝っぱなしだったのだ。そうそう眠りにつけるわけもない。 暇に任せて枕元に置いてあった手鏡を手にとった。長方形の鏡面に高耶の顔が映っている。 ニコーっと微笑んでみた。なんだかいやらしい笑みだったので、「いやいや違うっ」と真顔に戻す。 (もっとこう……見ていてこっちが「うわっ」って、「やべーこりゃ反則だろっ」みたいな、木漏れ日のような笑顔なんだって) イメージを頭に思い描きながら、もう一度微笑んでみた。今度は近い。でも何か違うような気がする。 やはりオリジナルのようにはいかない。溜息をついて、今度は両手で顔をムギュムギュと変な顔を作ってみる。 「……ぶふっ、くはっ、はぁーはっはははははっ!」 堪えきれず吹き出してしまい、転げまわりながらシーツをバンバン叩いた。今や死人たちのカリスマ的存在とも呼ばれるあの、クールで孤高な今空海仰木高耶のこんなマヌケな顔、ひょっとしなくても直江でさえ見たことないだろう。(※高耶さんファンはどんな顔か絶対に想像してはいけません) ヒィヒィいいながら悶え苦しんでいた楢崎は、そこでハタと我に返った。 (って一体なにしてんだ、俺……) 人の身体を許可なく無断でコピーしといて、それを使って遊ぶなどと、言語道断の極みである。 万が一に高耶にバレた時、「神狐に勝手に変身させられたんだ、自分は何もやってない」と釈明して情状酌量を請うためにも、己に不利となるような行動は慎むべきだ。 楢崎は手鏡を枕元にポイッと投げた。 しょうがない、他に時間をつぶす手を探さねばなるまい。 けれどいざ何かをしようしても、何もすることがないのだ。 生前であったらマンガを読むとかTVを見るとかゲームをやるとか、一日ぐらいいくらでも時間をつぶす方法があったというのに。 そんなことする暇も無いほどに、そしてそれを疑問に思うことすら無いほどに、ここでの暮らしは充実していたらしい。 友人にも恵まれている。卯太郎は生前つるんでいたダチとは全く正反対の性質の人間だった。 素直で真面目でスレていなくて、趣味が合うとかそういうのでもないのに一緒にいて飽きることが無い。生まれた時代のギャップもけっこう楽しい。 潮も良い先輩だ。あの人は始め現代人というの名目で赤鯨衆に入ってきたのだが、実は戦国時代の人間で、しかも元は安芸の殿様だったのだ。 世代も違えば、身分も天と地だ。それでも楽しく付き合えている。 赤鯨衆に入って、交友の範囲の広さは生前の比ではなくなった。いろいろな人物と付き合っている。いろいろな時代、いろいろな身分、いろいろな年齢、いろいろな人生を生きた人々……。 それに比べて、生前の自分の世界はなんと狭かったことだろう。あのまま普通の現代人として生き続けていても、今ほどに世界が広がることなど無かっただろう。 俺レ……ここに入って良かったな……) 怨みで残った霊魂。ここにいる人間は必ず何かしらの怨みを持って、安らかに逝くことができなかった者達だ。 誰もが自分と同じように暗い闇を抱えている。そして負けまいと、決して屈しまいと上を上を睨み据えている。 楢崎は己の顔を指でなぞった。 (隊長、あんたも……怨みを抱えて、苦しみを晴らしたくて、……残っちまった人なんだろう……?) 両目を手で覆った。先ほど目にした、直江の笑顔が脳裏に甦った。 心臓が、トクトクと、確かに音を刻み始める。 (それでも……あんたはどんなに大きな怨みを抱えていても……あの人がいるかぎりは、幸せを掴み続けることができるんだ……) いつの間に時が過ぎたのか、日が沈んで、室内がゆっくりと、闇色に染まっていく。楢崎の脳に眠りの波が訪れた。 ─そういうのって……なんか、いぃよな……。 小さくそう呟くとともに、楢崎の意識は、遠く深くへと沈んで行った。 暮れなずむ日は海の境界に消え、裏四国の地に眠りの夜を呼び寄せる。 このまま朝まで目覚めず、次に起きた時には元の自分の体に戻っていれば良いのだが……。 そうは問屋が、卸すはずもないのであった……。 |