第二話 二週間が経過した。高耶は未だ慶州の直江の館に滞在している。 直江は時折、夜に気まぐれのように高耶の所にやって来ては、楽や舞を所望するが、その他のことについては何も干渉しなかった。昼に高耶がどこへ出かけようと、夜出かけたまま帰って来なくても、何も言わなかった。高耶を束縛する気はないらしい。 高耶は与えられた客室の窓縁に腰かけ、外を眺めた。この客室がある建物は本館よりも土台が高く築かれており、その上、ここは丘の上にあるために見晴らしが良い。 高耶は降り注ぐ陽の光を浴びながら、窓の外に植えられている梅の木を見るとはなしに見つめていた。未だ寒い日が続いているが、梅は今が盛りとばかりに白い花を咲き誇っている。黒っぽい枝を彩る小さな花は、中心の繊細な花芯とその清らかな白色から、そこはかとない品の良さが漂う。 その色めいた雰囲気とは違い、高耶は深く考え込んでいた。 (直江は、何を考えているんだ) 直江は、何故高耶を引き止め、側に置こうとするのだろうか。 ―――ここに滞在して、毎日じゃなくて良い。あなたの舞や楽を見せてもらえませんか。 本当にそれだけなのだろうか。ただ気に入った楽士を気まぐれに止め置こうと思っているだけなのだろうか。 ―――毎日あの笛を聴け、舞を見られるなら素晴らしいでしょうね でも、それならば何故、専属にしようとするなりの勧誘をしないのか。 あの時に見た直江の瞳はひどく真剣で、だからこそ高耶はしばらくここに滞在しようかという気になった。 あの時の直江に偽りはなかった。高耶には、真っ直ぐな眼差しに背を向けることができなかったのだ。 だが、今改めて考えると、それだけでは腑に落ちないものを感じるのだ。 直江は、ただ自分を楽士や踊り手というだけで見ているという感じはしない。直感だが、それだけではない気がする。こういう直感は、今まで外れたことがなかった。ならば、 (オレのことを気に入った、とか?) 思いつきを、まさか、と高耶は自嘲気味に否定した。そんなことはあるわけがない、と。そんなことがあると信じるほど、自分は自惚れや自意識過剰ではない。そんな立派な人間なんかじゃない。 自分のことは、自分が一番よく分かる。上杉を守るためなら手段を選ばない、身勝手な人間だ。浅ましいヤツだ。そんなヤツ、誰が好きになるんだ? その馬鹿げた思いつきを、オレはそんな自惚れた人間にはなりたくない、と高耶はばっさりと切り捨てた。 それならば、一体何だというのか。 (オレが上杉だと分かっているのだろうか) あの時は否定した考えを、高耶は再び思い浮かべた。あの時は上杉だと知ってあんなこと言い出したとは思えなかったけれど、今思えば、やはり直江は分かっていたのかもしれない。そうとしか考えられなかった。 だとしたら、直江の言動は理解できる。 上杉の<力>が必要ならば、楽が聴きたいからという口実の許に、引きとめようとすることもあるかもしれない。何とかして接点を持とうとするかもしれない。 (やっぱり、そうだよな) そう結論を下した時に走った、失望や残念とも呼べる感情に、高耶は気づかない。 (きっとそうだ。直江は司としてオレを見ているだけなんだ。だから、心を、気を許しちゃいけない。あいつはオレを利用しようとしているだけなんだ。信じちゃいけないんだ) そう言い聞かす自分の考えに、ちくりと胸が痛んだ。 (オレはあいつを信用なんかしていない) 信用なんかしていない、と胸の痛みを必死で否定するように、高耶は何度も何度も繰り返した。そう言い聞かさねばならないほど、直江を信用し、好意を持っていることに気づかぬままに。 (オレは気を許してなんかない) なら、どうしてまだここに滞在しているのだろうか。常であれば、上杉を利用しようとしたり、司の<力>を得ようとする人間だと分かったならば、又は感じ取れたならば、高耶はすぐにその人間に詰め寄るなり、制裁を加えるなり脅すなりの行動に出て、今頃はとっくにその場を去っていた。それがなぜ、今回に限ってできないのだろうか。 (あいつが、あんな奴じゃなかったら……) 全て、直江という男の人間性のせいだ。まだ多くを知ったわけじゃないけれど、それでも些細な言動から感じることができてしまう、あの男が持つ、剥き出しの真皮のような熱いもののせいだ、きっと……。 六日ほど前のことだっただろうか、直江がふらりと高耶の許を訪れたのは。 夜もすっかり更け、高耶がそろそろ眠ろうかと思っていた頃、突然ここに直江が現れたのだ。 驚いた高耶が側によると、直江は微かな笑みを浮かべて見せた。 ―――すいません、こんな夜遅くに。 どうしたんだと訊く高耶に、直江は、 ―――仕事を終えたんですが、目が冴えていたのでふらふらと散歩をしていたら、灯りが点いているのが見えたものですから。 まだ起きているのだろうと来てしまった、と言う直江に高耶は驚いた。直江は、朝は誰よりも早く仕事を始めているのに、こんなに遅くまでしていたと言うのだ。 ―――おまえ、毎日そんなに仕事してるのか? ―――毎日じゃありません。そんなに仕事ばかりしていたら、私でも倒れてしまいますよ。 そう言って苦笑して見せた直江の顔色は悪く、心なしかやつれているようだった。 ―――大丈夫か?顔色悪ぃぞ。 高耶が心配そうに直江の頬に手を伸ばすと、届く前に直江はその手を取り、窓際へと誘った。 ―――おまえ、仕事し過ぎじゃねーか? ―――上に立つ者が怠けていたら、示しがつかないでしょう?部下をやる気にさせるには、上の人間がやる気を見せるのが一番なんですよ。 窓辺の椅子に向かい合って座った直江は、さらりと当たり前のように言った。 無茶をしすぎだとは思ったが、人の上に立つ者にありがちな欺瞞や部下に全てを押し付ける、といったことをしない直江の姿勢に、高耶はひどく好感を持った。 ―――でも、それでおまえが倒れたりしたら、元も子もねぇじゃん。 高耶の諌めるような声にも、男はいつも通りの何食わぬ調子で、 ―――倒れなければ良いんですよ。倒れない程度には休みを取っていますから。それに、もし倒れたとしても、分からなければいいんですから。 おまえなぁ、と高耶は呆れたように溜息をついた。これはいくら言っても聞き入れそうにない。この男は、一見人当たりが柔らかく、進言も聞き入れやすそうに見えるが、実際はこうと決めたら譲らない頑固な面もあるようだ。短い付き合いであるが、高耶にもおぼろげながら分かってきた。しかし、それでいて、頭の固い猪突猛進というわけではないのだ。 ―――でも、ホント顔色悪ぃぞ。ちゃんと休めよ。 言外に早く自室に戻って寝ろと言う高耶に、直江は急に笑みを消して苦しそうに眼を細め、 ―――……本当は、休んでなんか入られないのに。まだまだ足りないのに。気休めにも、ならないのに。 そう言って疲れたように深く息をついた。 ―――何のことだ? ―――俺一人が動いたところで、どうにもならないんだろうか……。 それは独白に近かった。まるで自分の力の無さを確認して自嘲しているような。 ―――直江? 呼びかける高耶の声すら直江には聞こえていなかった。そうして、直江は何か無力感を噛み締めるように眉間に皺を刻み、虚空を睨みつけていた。強く握り締められ、白くなった拳が、今も鮮明に脳裏に焼きついている。 (あいつは、一体何を抱えているんだろう) ひどく思い詰めたような様子だった。何をしでかすか分からない不安定さがあった。 でも、そうやって物思いに沈んでいたのはほんの少しの間だけだった。やがて力を込めていた眼差しから力を抜くと、すいません、と囁いた。 ―――少し、気が昂ぶっているようです。 気が昂ぶるというような感じではなかったけれど、それに再び触れることもできず、高耶は気にすんな、と言うのが精一杯だった。 (あの男は、一見落ち着いていて理性的に見えるけど、実際は誰よりも熱いものを抱えているんじゃないだろうか) 誤って触れれば火傷なんかじゃすまない、溶岩のように煮えたぎるものを。生半可な覚悟では触れてはならないもの。その気配が、確かに感じ取れる。 ここに未だ滞在しているのは、きっとそれのせいだ。 しかし、高耶は気がつかない。 その熱いものに触れてみたいと思う自分の感情に。 手を伸ばしてみたいと思ってしまう心に。 直江に惹かれている、自分自身に。 *** あれ以来、直江は高耶の許を訪れていない。それまでは二、三日に一度は来ていたというのに、もう七日も来ていない。 ずっと直江の真意を考えていた高耶も、そろそろ痺れを切らしていた矢先、ようやく直江が高耶の部屋を訪ねてきた。 「こんばんは、高耶さん」 高耶が部屋の扉ではなく、コンコン、と控えめに叩かれた窓を開くと、そこにはいつもと変わらぬ微笑を湛えた直江が佇んでいた。 「今日は暖かくて気持ちが良いですよ。散歩でもしませんか?」 もっとも、月は欠けてしまいましたが、と直江は月の姿の見えない夜空を仰いだ。 今日は日中も穏やかな風と太陽の光のおかげで、春のように暖かかったが、こうして窓から身を乗り出して感じる夜気も、縮こまるような寒さはない。高耶は直江の誘いに応じて、一杯に開け放った窓からふわりと外に跳躍した。 肩を並べて、ゆっくりと館の周りを歩く。高耶よりも長身の直江だが、今は高耶に合わせるように幾分速度を落として歩いている。 二人とも無言で歩いていたが、虫の声もない、風の音だけの静寂は心地よかった。張り詰めたものではない、穏やかな空気が二人の間に横たわっている。 月が出ていないため二週間前よりも暗いが、その分星明りがはっきりと見てとれ、夜目の利く高耶と、勝手知ったる直江には支障がなかった。 「静かだな」 ぽつりと呟いた高耶に、直江がええ、と頷く。 「こうしていると、世界には他に誰もいないような気がしますね」 「ああ。静かすぎて、不思議な感じだ」 高耶は雲一つない満天の星の煌く夜空を仰いだ。 「こんなに穏やかな夜は、この世には辛いことや苦しいこともなく、生きているもの全てが心安らかに存在しているんじゃないか、と。そう思ってしまいますね」 「そう、だな」 ふと、直江は足を止めた。 「直江?」 高耶は訝しげに、木の許で足を止めた直江の顔を見上げた。直江は、眼を細めて頭上の木を見つめている。 季節は冬だというのに、青々とした葉をつけているがっしりとした一本の木。すべらかな曲線を描く葉の形から察するに、橘の木のようだった。一年中葉を落とすことのない常緑樹。 「この木は、慶州の州師となった橘の家を築いた祖が、一族の安寧と民の繁栄を祈ってここに植えたそうです。一年中葉をつけたままでいるこの木のように、皆がいつも安らかに在れるように、と」 直江は木に歩み寄り、その樹皮を優しく撫でた。その優しい手指の動きに、高耶は何故か胸が締めつけられるように感じた。眉を寄せる高耶に気づかぬように直江は続ける。 「その後、後を継いだ州師が、それぞれの願いを込めてこの館の東、西、南にも木を植えたそうです」 高耶が泊まっている館は敷地の東端で、ここはちょうど執務室のある館の前、北端に当たる場所だった。 北には橘。 「東には梅」 寒さの厳しい早春に花開く梅のように、寒さや辛さに負けず、皆がそれを乗り越え、幸せになりますように。 「西には桜を」 艶やかに咲き誇る桜のように、皆が美しく綺麗な心でいられるますように。 「南には楠を」 しっかりと根付いて枝葉を広げる楠木のように、皆が安定した暮らしができますように。 「この家に養子に入った私には血の繋がりはありませんが、こうやって人々の幸福を願った橘家の人々を、私は尊敬しますよ」 振り返った直江に、高耶はようやく口を開いた。 「すごい、な」 出てきたのは、そんなありふれた言葉だけだった。感嘆の言葉を、他に表しようがなかった。 いつもあの窓辺から眺めていた梅に、そんな願いが込められていたとは思いもしなかった。 「寒さの厳しい早春に花開く梅のように、寒さや辛さに負けず、皆がそれを乗り越え、幸せになりますように。……でも、人が乗り越えられる限度はあるだろうに」 静かに、直江は左手で腰に帯びた長刀の柄を握り締めた。 ―――リイィーン 澄んだ鈴の音のような音が、かすかに鳴った。脳裏に直接響くような音。 (何だ?どこから聴こえる?) 高耶は音の発生源を探すように、辺りをキョロキョロと見回した。でも、どこにもそれらしき物は見えない。ふと直江に目をやると、弾かれたように顔を上げた直江と目が合った。その時、ふと第六感が感じ慣れた感覚を捉えた。在り得る筈のない感覚を。 高耶は目を見開いた。 直江から感じ取れる気は、確かに司の持つ独特の気配だった。それまでは全く感じなかったと言うのに。 (何?) 注意深く霊査してみると、直江の身体を薄い紗のような気炎が包んでいる。 「おまえ……」 それきり言葉を続けることができない高耶に、直江は微笑した。 「やはり感じるんですね」 やはり、その言葉に高耶は身を硬くした。 「あなたは……上杉ですね」 「……ッ!」 やはり知られていたのだ。 普通の人間には司を見分けることはできないが、司同士となると話は別だ。司は、<力>を持つ者が発する独特の気配を感じ取ることができる。直江が司ならば、高耶が司であることも気づいただろう。しかも、北条亡き今、司は多くの者が上杉に身を寄せる。そう考えれば、自分が上杉であることはほぼ推測できるだろう。直江のように、上杉に身を寄せることのない人間は本来少ないのだから。 「分かって、いたんだな」 驚きを押し隠して必死に冷静さを保ちながら、高耶は直江を睨みつけた。その鋭い眼差しを、直江は真っ向から受け止める。直江は自身が帯びていた幅広の長刀を高耶に差し出した。 「この太刀の銘は<龍輝刀>。遥か昔、一人の司が光司を庇って死んだとき、光司がその死を悼んで創ったと言われています。それ故、主を選ぶこの刀は光の力を宿していて、私自身には<力>が備わっていませんが、この刀を持っている時は私も司ということになります。先程鈴の音のような不思議な音がしたでしょう?あれはこの<龍輝刀>があなたに反応して共鳴していたんですよ」 二週間前、高耶が堂に入って来たとき、この刀が熱を帯び始めたのを不審に思っていたが、その熱は高耶に近づくと更に熱さを増した。高耶に反応しているのだとおぼろげながら分かったが、今まで、こんなことはなかった。何人かの司に出会ったことがあるが、決してこの長刀は反応しなかった。たった一人を除いては。 上杉謙信。偉大なる上杉の先代の総大将。彼にはこの太刀も僅かな反応を返した。しかしその反応も、今ほどはっきりしたものではなかった。 高耶は魅入られたように、<龍輝刀>に手を伸ばした。指先がかすかに触れたその瞬間、眩い閃光が辺りを包んだ。目の前が真っ白になり、キィィン、と耳鳴りがする。 「高耶さん!」 ぐらりと平衡を失った身体を直江が支えた。不意に包み込まれるような温かさを感じ、眩しさに閉じていた瞳を開くと、閃光はすでに跡形もなく消え去っていた。 「今のは何だ……」 「高耶さん……あなたは……」 呆然とした声で直江が呟く。 ただの司にこれほどまでに<龍輝刀>が反応するはずがない。よほど強大な力を有する司か。いや、そんなものじゃない。 「あなたは、一体……」 「オレのもう一つの名は、上杉景虎。<力>を持つ司達を統べる総大将だ」 臆することなく、高耶は名乗った。その答えに直江は心中でやはり、と息を吐いた。これはもうとうに予測していた答えだった。 「おまえは、上杉を攻めるのか」 静かな声音。奥底まで覗き込もうとするような眼差し。互いに一歩も引かない強い視線が絡み合う。 「必要とあらば。けれどそれは」 「おまえも……上杉を攻めるのか……」 高耶は、さらに言葉を紡ごうとする直江を遮る。波一つない湖面のような瞳に、波紋が広がっていく。 「お前もオレ達の<力>が目的なんだろ?それで上杉を攻めるんだろ!」 波紋は漣となり、やがて大きな波を生み出す。 「上杉を攻める奴は許さない」 高耶から激しい怒りが引いてゆき、静かな殺気が身を包む。 「誰であろうと、決して」 高耶が長刀をスラリと抜き放つ。 「高耶さん、待って下さいっ」 「問答無用!」 鋭く凪いだ太刀筋を、直江が抜刀してギリギリの所で受け止める。 高く響く金属音。衝撃に高耶は半歩押し戻される。 だが次の瞬間、踏み出して振りかぶる。直江が受け止める。体重を乗せた一撃は、今度は跳ね返されない。ギリギリと鍔迫り合いになる。 「くッ」 力を込めるが、直江の方に分がある。力ではかなわない。 「高耶さん…ッ、話を聞いて下さい!」 常であれば冷静に話を聞いただろうが、高耶は怒りに支配され、直江の声も届いていない。 渾身の力を込め、直江の刃を跳ね返す。ヒュン、という音と共に高耶が鋭く刃を繰り出す。今度は鍔迫り合いになる前に次の攻撃を仕掛ける。払いと突きを組み合わせた、目にも止まらぬ連撃。速さでは高耶の方に分がある。直江は受け止めるので精一杯だ。 時折衣や身体を掠めていく正確な太刀筋を直江が受け止めるたび、高い音が鳴る。 直江の首筋を刃が掠める。浅く傷つけられた首筋に血が滲む。それに怯むことなく直江は大きく踏み込んだ。 初めて直江が攻撃に転じる。高耶が身を沈めながら後ろへ一歩さがる。もう一撃。今度は高耶は蜻蛉を切って大きく間合いを取った。 互いに剣を構え、静止したまま相手を見据える。 (技量は互角。いや、彼の方が少し上か) いくらかの動揺があったとはいえ、高耶の剣撃を受け切れなかったいくつかの傷が、目で見ずとも感じ取れる。 両者一歩も退かない。技量が高耶の方が僅かに上であるため、持久戦に持ち込んでも勝てるかどうか分からない。 (ならば……) 直江はゆっくりと息を吐いた。隙と見て高耶が踏み出す。右。高耶が大きく振りかぶる。 直江が長刀を手放す。高耶の目が驚きに見開かれる。 刃を止めなければ。反射的にそう思った。 直江の身体に引き寄せられるように刃が向かう。 止まらない――ッ! 肉を貫く嫌な感触。刃先が硬いものにあたった。おそらくは、骨……。 刃は真っ直ぐに直江の肩に吸い込まれていた。高耶の手から力が抜ける。支える力を失った長刀が直江の肩からズブリと抜け、カラン、と音を立てて地に落ちた。その刀身は鮮やかな赤に染まっている。 高耶の唇が「どうして……」と音もなく言葉を紡いだ。呆然とした表情でその赤い鮮血を見つめている。 赤。鮮やかな、深紅のそれ。 流れる。 人の身体から、命が流れ出てゆく。 止まらない。 消えない。 炎に包まれて。 全てが焼かれる。 何も残らない。……なにも……。 オレ一人、取り残されて……。 みんな、ミンナ……オレヲ置イテイッテシマウ……! 「痛ッ!」 頭に激痛が走る。高耶は頭を抑えた。鋭い痛みに平衡感覚すらなくなり、崩折れた身体を直江が危うく抱きとめる。 「高耶さん!」 腕の中の高耶は、意識を失っている。 静寂に包まれた中、直江の声だけが響き渡った。 更新 平成拾伍年 参月弐拾陸日 |