+++The Peaceful Place+++
written by Sayaka
*** 「これが現在発掘された全てのルースです」 全部で二百キロ余りの銀色の鉱物を自動機械が船内に運び込んでいくのを、直江たちはただ見つめることしかできない。周囲を武装した敵が取り囲んでいる上、景虎と人質を押さえられているからだ。 「もういいだろう?人質を解放しろ」 無事にルースが船内に運び込まれた見届け、景虎は横にいる一万田を急かす。 「いいでしょう。でも、その前に」 一万田は側に控えていた男に命じて景虎を後ろ手に縄で縛りつけ、ようやく三人を解放した。 「武器を持っていなくてもあなたは危険だ。申し訳ありませんがしばしの間我慢していただきたい」 それを見て顔色を変えたのは直江とその場にいた二十名だ。崇拝する景虎に犯罪者のように縛られる屈辱を強いることに猛烈な怒りを覚え、全員が拳を握り肩を震わせる。 (景虎様……。まだだ。まだその時じゃない) 今にも飛び掛っていきそうな己を必死で押さえ、直江は一筋に景虎に視線を注いだ。景虎の顔には、緊張も焦りもない。縛られていながらも、その眼には獲物を狙う猛獣の光が宿っている。 荷物の積み込みを終え、外に出ていた二十人ほどの警備兵たちが船に乗り込んでいく。一人、二人、三人………残り十人………残り七人。 一万田の後から屈強な男たちに囲まれて船に向かって歩かされていた景虎が身動ぎした。その身体を縛っていた縄がぱらりと解ける。それを見た直江は、同時にブーツの踵からナイフを抜き、景虎の背後の男に向かって投げつけた。 真っ直ぐに飛んだ銀色に光るナイフが、男の首の真ん中に突き刺さる。 「うっ……」 うめいて倒れる男には目もくれず、景虎は振り返った前の男の眼を隠し持っていたナイフで切りつけた。 「ぎゃぁーー!」 眼を傷つけられた男は、眼を押さえながら叫んだ。 それで背後の異変に振り返った一万田の首筋に、景虎はナイフを突きつけた。 「動くな!」 戦闘態勢に入ろうとする警備兵を一喝し、景虎はじりじりと後ろに下がった。 「景虎様」 走り寄った直江は倒れた男の装備していた銃をホルスターから抜き、片方を景虎に渡し、もう一丁を構えて銃口を船の入り口に向けた。 「形勢逆転、だな」 直江から受け取った銃を一万田に向け、景虎はニッと笑った。 「さすがだな、景虎殿」 以前その腕前を見ていながらしてやられた男は、苦々しく笑う。 「ルース二百キロはくれてやる。引き上げろ」 「……そうさせていただきますよ」 銃口を向けられたままの一万田はじりじりと後退する。それに続こうとした長野を止めたのは直江だ。 「おまえには残ってもらう」 背筋の凍るような笑みを浮かべた直江は、部下に長野と三浦、結城を引き渡した。 一万田を収容した宇宙船の入り口が閉まり、速やかに飛び立つのを、二人は見守った。 「大尉!このまま逃がしてもよろしいのですか?もし攻撃を仕掛けてきたら……」 上空で攻撃を仕掛けるはずだった三号機を引き上げさせ、最新鋭の宇宙船を無傷で逃がそうとする景虎に、部下たちは焦ったように問い掛けてくる。 「心配ない。安田長秀が攻撃管制を狂わせている」 船橋の入り口を開ける時にブレインに接触した景虎には、それが分かっていた。 「それに―――」 言いかけて口を閉ざした景虎に、周囲の者たちは不思議そうな顔になった。 「今はステーションに戻ることが先決だ。じきに分かる」 この時、景虎の顔に浮かんだ笑みの意味が分かる者は、誰もいなかった。 *** 「よう、お疲れさん」 第一ステーションの管制室に戻った二人に、第三ステーションの長秀から通信が入った。 「ああ、おまえもな」 人払いをしたために直江の他は誰もいないガランとした管制室の中央スクリーン正面の椅子に座った景虎は、背を凭れさせた。 「それにしても、おまえにしちゃ詰めの甘いやり方だったな。まさか無傷で逃がすとは思わなかったぜ」 こちらも人払いした第三ステーションにいる、付き合いの長い長秀には、今回の処置はかなり意外だった。今までの景虎は、手を出してきた奴らにはそれ相応の報いを手厚く送り返すのが常だったからだ。 「おまえは、オレが奴らをこのまま無事に帰すとでも思ってるのか?」 「いんや、全然」 からからと笑う長秀と対照的に、「帰さないんですか?」と訊いたのは景虎の側に佇んでいる直江だった。 「こんの意地の悪いヤツが大人しく見逃すはずねーだろ?こいつは、敵には容赦しねーんだからよ。相手にとっちゃ、鬼だぜ?」 で、今回は何を仕掛けたんだ?と楽しそうな長秀に、景虎は悠然と足を組んで答えた。 「船橋にMGUを置いてきた」 「MGUを?そりゃあいい」 愛用のレーザーガンを置いてきたという景虎に、長秀は手でも叩きそうなほど可笑しそうに笑った。 「MGUに何かあるんですか?」 訊いた直江に、景虎はさらりと答えた。 「あれには、自爆装置がついている。それも、五万トンクラスの宇宙船が吹っ飛ぶくらいのな」 なんて銃だ、と直江は心底思った。合金製の扉を軽く吹っ飛ばすあのとんでもない威力に加え、自爆装置までついているとは……。それを二人に渡した澤木提督の真意を知りたいような知りたくないような。――――まぁ、世の中知らない方が幸せなこともあるのだろう。 「でも、あんなヤツらにMGUをくれてやるのは惜しかったな」 呟きながら、景虎は手元のコンソールを操作し、先程飛び立っていった宇宙船SHV型 を画面に映し出した。 ワープしたのだろう。右下に表示される宇宙船の位置座標は、レルーア星から百光年ほど離れた位置である。 そろそろだな、と独りごち、景虎がまたコンソールを操作すると、船橋の映像が映し出された。 「一万田殿、聞こえるか?」 「景虎殿?」 いきなりの通信驚く一万田の姿が映し出された。 「今から十分後に、その宇宙船を爆破する。死にたくなければ逃げることだ」 「何だと!?」 突然の宣告に驚く一万田を無視し、 「Count Start」 景虎の言葉と同時に、スクリーンに数字が表示される。 10分、9分59秒、9分58秒………。 あちらのスクリーンにも同じカウントが表示されたのだろう。「一体何をした!」そう叫ぶ一万田の声が聞こえてくる。 「爆弾を積んでいるとも知らずに呑気に出発した自分を恨むんだな。……あと9分だ」 一方的に言い捨て、景虎は通信を切った。 画面は元に戻り、暗い宇宙に浮かぶ宇宙船の姿が映し出される。す 「さーて、奴さん無事に逃げられるかな?」 正面スクリーンの二分割した右側の画面の長秀は、意地悪く笑っている。 「あいつの判断力次第だな」 肘掛に掛けた右手に頭を預け、景虎は高みの見物だ。 たとえ無事に逃げられても、そこから最も近い星までは約十二光年。宇宙船ほどスピードの出ない脱出用鑑載艇で無事に帰りつけるかどうかは怪しい所だ。 3分28秒………2分43秒………1分36秒 「あと1分デス」 無機質な機械音が、残り時間を告げる。 画面に映る宇宙船から、二艘の艦載艇が猛スピードで発進する。 52秒………44秒………35秒………20秒……… シルバーのボディの艦載艇が、推進をかけて宇宙船から離れていく。 10秒、9、8、7、6、5秒、4、3、2、1、 「ゼロ」 景虎が呟くと同時に、宇宙船は閃光とオレンジ色の炎を上げ、爆発した。爆炎と宇宙船の破片が、二艘の艦載艇に降り注ぐ。 それを無感情な眼差しで見つめていた景虎は、傍らの直江を見上げた。 「――――オレが、怖いか?」 こんな風に、何の躊躇いもなく敵を葬ろうとするオレは……。 いくら敵とはいえ、こんなことを実行できてしまうオレはおかしいんだろうか。 そんな無言の問いに、直江はゆっくりと首を振った。 「怖く、ないのか………?」 「怖くなんてない」 どこか不安そうに聞き返してくる景虎に、強く、直江は否定した。 本当に残酷な人間は、自分がしていることを残酷とさえ思わない。あなたは、心のどこかで、敵に対して罪悪感を抱いている。仕方のないこととはいえ、それを実行する自分に嫌悪さえ抱いている。あなたは、自分が正しいと思い込んでいる軍人は思いもしない、悩みもしないことに苦しむ優しさを持っている。そんなあなたが怖いはずない。 直江は、景虎に腕を伸ばし、肘掛越しに抱きしめた。 「直江?」 驚いて眼を見開く景虎を胸に抱き寄せ、 「あなたは、優しい人ですね。普通の人間なら苦しくて逃げてしまうことも、あなたは受け止めて思い悩んでしまう。そして、それでもあなたはその苦しみを越えていく」 優しく髪を撫でる直江に、景虎は首を振った。 「優しくなんて、ない……」 こんなに無慈悲に敵を叩きのめす人間が、優しい筈はないのだ。それは誰よりも自分がよく分かっている。 自分を優しいと言う直江の方がよほど優しい。自己嫌悪に陥った自分を慰める気遣いも、こうやって抱きしめてくる腕も、とても優しい。 景虎は、自分を抱きしめる直江の腕に左手を重ね、直江を見つめた。 直江もまた景虎を見つめた。 視線が、熱く絡み合う。 その時。 「………お〜い、お二人さん。オレがいるってこと分かってんのかぁ?」 しばらく傍観していたが、すっかり二人の世界に突入してしまった二人の熱い空気に当てられて気力を失った長秀が、呆れた声を上げる。 せっかくの良い雰囲気を邪魔された直江は、不機嫌な声を出した。 「なんだ、まだいたのか」 直江の中では綺麗さっぱり忘れ去られていた長秀である。 「こういう時は邪魔しないのが筋ってもんだぜ?」 すっかりいつもの調子に戻った景虎が、直江の腕から離れながら悪戯な光を瞳に浮かべる。 「おめーらなぁ……」 これが長い付き合いのある戦友や同僚の言葉だろうか。 なんて薄情なヤツらだ、と長秀は心底思った。 V 「よう、直江。事後処理は進んでるか?」 第三ステーションから安田長秀中尉が自家用機でふらりと訪れたのは、大友の部下である一万田を撃退してから三日後のことだった。 エアポートまで出迎えに来た直江と連れ立って歩く長秀は、相変わらず着崩したジャケット姿だ。違うところといえば、茶色の長髪を束ねるリボンの色がグレーから紫に変わったことくらいだろう。 「まぁ、ある程度はな」 開崎たちの起こした前回の反乱事件、そしてその処罰なしの音沙汰を下し、そして起こった今回の事件。立て続けに騒ぎが起こったために、いくらかざわめいてはいるものの、第一ステーションはようやく落ち着きを取り戻し始めていた。が、 「なぁ、直江。どうして俺たちが通ると、こいつらはこんな大袈裟に道を開けるんだ?」 直江たちの姿が見えた途端、兵たちは顔を強張らせて通路の端にへばりつくように避けて道を開ける。こちらを見つめる瞳に怯えの色が見えるのは、錯覚ではあるまい。 「さあ、どうしてだろうな」 ワザとらしくとぼけてみせるこの男以外、誰がこの現況を作り出すというのだ? やれやれ、と心中溜息を漏らした長秀は、手近な空き部屋に直江を引っ張り込んだ。 「どーせおまえが元凶なんだろ?」 「…………」 大当たりである。兵たちが直江を異常なほどに避けるのは、何も二つの事件が原因ではないのだ。原因はただ一つ。熱烈な景虎ファン(ストーカー)の隠密厳重処罰のためである。 心当たりがありすぎるほどある直江は沈黙を通したが、それは肯定以外の何物でもない。 「大方、大事な大事なご主人様にちょっかいかける不届き者に噛み付いてやったってとこだな」 またもや犬扱いしてみせる長秀。 「忠犬してるねぇ。三浦の副官だった時は、これ以上ねぇってくらい職務怠慢してやがったくせに」 景虎が来るまで、第二ステーションで三浦の副官だった直江。与えられた仕事は着実にこなすが、必要以上に威張り散らして横柄な三浦を、いつも冷ややかな軽蔑の眼差しで見つめていた。長秀は、決して三浦に媚を売ったり馴れ合ったりしない直江が気に入って腐れ縁のような付き合いを続けてきたから、直江が上官というものに好印象を持っていないのをよく知っていた。いや、良い印象を持っていないのは何も上官だけではなかった。「権威」そのものをむしろ軽蔑していた。 「おまえは三浦に尻尾を振って生きていきたいか?」 「まさか」 誰がそんなことするか、と長秀は一言で一蹴する。 (そんなことするなら、景虎の部下になった方がマシだ) 決して仲が良いとは言えない二人だが、互いの実力は認めているのである。 だから、直江の言い分も分からないではなかったのだが。 「そうやっておまえがあいつを守ろうとするのは分かるがな。あいつは頭の上のハエくらい、自分で片づけるぜ」 今までだってそうしてきたのだ。軍人といえど、内部では権力闘争は耐えない。本部となれば尚更だ。様々な思惑や野心が交錯する中で、誰に頼ることなく景虎は自分の身は自分で守ってきた。 「それは分かっている。ただ、俺が彼の手を煩わせたくなかっただけだ」 「………余計な気遣いは、残酷かもよ」 腕を組んで隔壁にもたれた直江が、急に眼差しを鋭くする。 「どういうことだ?」 「どういうこともこういうこともねぇよ。そのまんまの意味さ」 長秀はドサリ、とベッドに腰を下ろし、上目遣いになって、 「野生の虎の世話を焼きすぎるなってことさ。野生の虎は誰にも馴れ合わないが故にサバイバルな世界で生きていけるんだ。王者として必要なのは、庇護や親しみの念なんかじゃない。――――畏怖と敵意だ。でも普通の人間はそんなまともじゃない感情に囲まれて生きていくことはできない。けど、それに真っ向から対峙できるから、あいつは「景虎」なのさ。謙信公に目をかけられ、今は後継者となった」 その能力は、本部でも賞賛と妬み、敵視に彩られてきた。景虎をこの星に左遷した原田大佐も、景虎が生意気で反抗的だから追い出したのではない。人を見る目にかけては定評があった原田には、確固として築いた己の権力を覆す可能性を秘めた景虎の能力が恐ろしかったのだ。 「あいつは必死で自分を磨いてきた。なまじ能力がある分見る目も他人よりも高かったから、自分の能力に物足りなさを感じてたのかもしれねぇ。「景虎」になるために、元から持ってた才能以上のものを手に入れるために、生半可じゃねぇ努力をしてきたんだ」 正直やりすぎじゃねぇかって思うくらいにな、と長秀は苦々しく吐き出す。 「………そうやって、自分を追い詰めて上り詰めて……、彼に安らげる場所はあるのか」 直江は眉間に皺を刻み、今まで見たこともないくらい怖い顔をしている。 「あいつの安らげる場所におまえがなりたい、か?」 「…………」 黙して答えられない直江に、長秀は大きく息を吐いた。 「あいつは常にバリアを張って、息苦しいくらいの警戒を纏って生きてきた。けど」 「本当に強ければ、バリアや警戒は必要なかったはずだ」 長秀は、自分が言おうとしていたことと全く同じだった直江の言葉に内心瞠目した。それは表に出さず、片眉を上げて直江を見上げた。 「そう、おまえの言うとおりだ。本当に強いなら、口さがない言葉や中傷なんかに傷つかない。表向きは平然としているように見えるが、内心は傷ついてボロボロになってた。そう見えねぇよう押し殺してるが、あいつは繊細なのさ」 張り詰めた警戒は、裏返せば弱さの防御に他ならない。 「そうやって傷を負いながらバリアを重ねに重ねて、鉄壁の防御を築いたあいつの中には生半可な覚悟で踏み込むべきじゃない。中途半端な優しさや庇護は残酷なだけだ。野生の虎は自分の身は自分で守る、それが当たり前だ。今まで必死で砥いできた爪や牙を鈍らせるだけの一時的な保護は、あいつにとっては」 命とりだ、と長秀は直江を睨みつける。 「あいつもそれを分かってるから、必要以上に他人を近づけない。ましてや特定の誰かを作るなんて持っての外だ。そんな奴が必要以上に近い場所におまえを引き入れたのが気になってしようがなかった」 「…………」 眉間に皺を刻んだまま押し黙る直江に、長秀は続ける。 「おまえは、あいつをどう思ってる?」 「――――誰よりも、あの人が大切だ」 強く言い切った直江に、長秀は姿勢を正す。 「中途半端な優しさ?そんな薄っぺらい寒気のするような博愛をあの人に押しつけたことはない」 直江は笑みさえ浮かべてみせる。 「あの人が任地を変えられると言うなら、俺もついて行く。どんな辺境の地だろうと、たとえ人事部から許可が下りなくとも、どんなコネや脅しを駆使してでもついて行く」 まぁ、橘の名を使えば、どうとでもなるだろうがな、と直江は呟く。 「あの人もそれを望んでいるんだ。あの孤独な背中は、いつも俺が追ってくるのを待ってる。いつだって待ってるんだ。背を向けても必ず追って来る確かな存在を」 俺はどこまでも、いつまでもあの人の側にいる。 言い切る直江の眼差しは見たこともないくらい真剣で、鬼気迫るような迫力に満ちていた。 (これが、あの直江か……) これが、あの、いつも穏やかで、高すぎる能力を注ぎ込む対象を持たないことに退屈を覚え、淀んでいた直江だろうか。 ふと、長秀はこの星に転任してきて、初めて直江に会った時のことを思い出した。 理性で防御した、能力は高いけど面白味のない奴。それが直江の第一印象だった。だが、階級章に捕らわれて権威に素直に従っている頭の固い奴かと思いきや、実際は正反対だったのだ。部下の能力を引き出すのが巧みで、上官を内心こけ下ろしながら褒め称えるのがひどく上手いというとんでもない奴。上官侮辱は結構重い罪だったから、もちろん面と向かっては言わないが、相手に分からないように貶すのが特技という、奇妙なアビリティーが長秀の好みだった。その上、長秀はそれと似たような特技を持つ人間を一人知っていた。 ――――上杉景虎。 数少ない、長秀の好みに合う人物。 上杉謙信の養子であり後継者と目されていた、ただ一人。 初めはいけ好かない奴かと思っていたら、蓋を開けてみたらあれだ。 強引で能力があって、人の上に立つのはこういう人間だ、という長秀のイメージと悔しいことにピッタリと一致していたのだ。「上杉」の名に負けない、親の七光りなんかじゃなく、常に高みを目指してきた景虎。 でも気に入ったからと言って馴れ合っていたわけじゃない。士官学校でも本部でも、よく喧嘩や手合わせをしては医者の世話になるほど衝突してきた。初めて会った時は取り澄ました坊ちゃん面が気に食わなくていきなり喧嘩を売ったし、二人とも本部勤務になった時に先に昇格したあいつが上官になった時には「上官面したいんだったら俺様に勝ってからにしな」と倒れるまで殴り合いもした。けれどやっぱり腹を割って付き合える親友であり、戦場ではこれ以上ないくらい信用できるパートナーや上官だった。 そんな景虎と直江、二人と出会って付き合ってきて、長秀は思った。 (いっぺん、こいつら会わしてみてェな) 長秀のひそかな願い。だが、それはこうして現実のものとなった。そんなわけで、景虎がここに来ると知った時、長秀は内心で直江が景虎に対してどういう印象を持つか興味を持っていたのだ。が、 天変地異が起こった。 人を寄せつけない景虎が自分の領域に直江を近づけ、人に関心を持たない直江が景虎にこれほどの想いを向けるとは。 全く人生は面白いものだ。人間ここまで変わるとは。 「誰が裏切っても俺だけはあの人を裏切らない。畏怖や敵意なんてまともじゃない感情じゃなく、あの人を想う俺の心で包み癒したいんだ」 外の世界に立ち向かう牙と爪を失わせたいんじゃない。そうじゃない。野生の虎にだって、安心して眠る場所は必要なはずだ。彼が安らげる場所。それになりたいだけだ。彼にとって警戒せずにすむ、疲れた身体を癒すための場所に。 真摯な表情の直江に、長秀はしみじみと感慨を抱いた。嬉しいような、寂しいような、めでたいような、くすぐったいような、微妙な感覚。 (こう、今まで面倒見てきたちっちゃい子供が、保護の手を離れて自立したって感じ?) だが、預かっているそいつらとお遊戯している姿をいざ映像にして思い浮かべると……正直かなり嫌だった。 (この俺が保父さん……いやいや、保父さんという言葉はもう古かった――……保育士、かよ……) しかも預かって育てるのが景虎と直江では、楽しくのほほんとお手てつないでちいちいぱっぱ、はありえない。実に心荒むというか、胃薬が欲しいような状況だ。 「………で、……がひで、……長秀!」 「ああん?保育なら他所をあたりやがれ!」 急にぼおっとしたかと思ったら相槌を打たなくなった長秀に、語りモードから引き戻された直江が不機嫌に何度も呼びかけたら、返ってきた返事がこれだ。直江は珍しく目が点になっている。それを見た長秀は、今までの楽しくない想像はどこへやら、けたけたと笑い始めた。 「長秀。さっきから一体何なんだ」 「いんや別に。こっちのこと」 ひらひらと手を振る長秀に、直江は心底疲れた顔をした。 無理もない。景虎様への熱い想いを切々と語っていた所でこの状況なのだから。 (まったく……) 深々と溜息をついた直江ではあったが、この場を去るわけにはいかない。一つ重要なことを訊かなければならないのだ。 「長秀、一つ訊きたいことがある」 「何だ?」 「どうして景虎様のことをそんなに知っているんだ?」 これである。たとえ話の途中で笑い出したことを水に流しても、これだけは譲れない。 鬱陶しいほど暑苦しい直江の視線に、長秀は悪戯心を酷く刺激された。 「そりゃ、あいつと一緒に暮らしてたからに決まってんじゃねーか」 ピシリ―――ッ。 セ氏マイナス数十度の氷が一瞬にして張られた音が確かに聴こえた。 予想以上の効果に長秀は内心小躍りしながら、表面はなに当たり前のこと訊いてんだ?という風を装う。 「色部のとっつあん、おまえも知ってるだろ?謙信公の元部下で、今も宇宙船の艦長やってる」 直江は凍りついたまま返事をしない。長秀はそれを気にする風もなく、話を続ける。 「景虎は3コ飛び級してただろ?そんで俺が1コ。他にダチに柿崎晴家って奴がいて――こいつは飛び級してねーんだけど――月(ルナ)にある士官学校で俺らは同期だったわけよ」 何だかんだ言って、長秀もかの難関な士官学校でスキップするほど優秀なのである。 「そんでまぁ、三人一緒に卒業したわけだ。そしたら偶然、三人とも本部勤務になっちまって、そん時に謙信公の部下だったとっつあんが三人で住めるトコ見つけてくれて、三年間一緒に暮らしたんだ。でもよく考えたら、士官学校の頃からあいつらとは一緒だったから、かれこれ六年間か?……晴家もあんなつまんねぇ本部に見切りつけて、こっちに移ってくればいいのにな」 柿崎晴家は、現在連合指令軍本部の通信部に所属する大尉だ。ことあるごとにねちねちと嫌味を言う上官の元で、よくぞ頑張っていることだ。彼女とは所属は違うが、景虎と同じ部だった長秀は、原田大佐に嫌気がさして、左遷という形でこっちに移ってきてしまった。でも、一見事件もなさそうな辺境の星だが、直江もいれば景虎もいるここでは最近は面白いことも多く、意外に日々楽しい。 思い出に耽りかけた長秀がふっと直江に目をやると、 (お〜、回ってやがる) 無表情な直江だが、目に焦りが見える。こんな時、直江が内心ぐるぐると回っていることを長秀は知っている。 (もういっちょ) 「直江、知ってっか?あいつ士官学校で習うグラフィックの才能なくてよ。他は戦略の立案でも航行計算でも何でもできんのに、それだけはガキの下手な絵みてーなの。……まぁ、あんまし必要な科目じゃなかったけどな」 景虎は、士官学校の中学年で学ぶ艦の立体図やら見取り図やらの作成が酷く稚拙だった。どうやら、美術系に弱いらしい。 「そんで教官に何回もやり直しさせられて、しまいにゃ唇噛んで泣きそうになってたから、俺と晴家がこっそり代わりにやってやったりとかしてたな」 士官学校の中学年といえば、普通十五、六歳くらいにあたるが、スキップしていた景虎は当時十四歳だった。自分よりも年上とはいえ、同級生が上手くやるのが余程悔しかったのだろう。進級してグラフィックの講義がなくなってからもずっとグラフィックの練習を積み重ねてきた景虎は、現在では結構上手くなっている。 これでどうだ、と悪戯を仕掛けた子供のように、長秀は直江の反応を窺う。 ピクリ、と直江の指先が動く。 ―――ピシッ。……ピシピシ。 それと同時に氷結に亀裂が入っていくのを長秀は目の当たりにした。 (おっ……?) と長秀が思ったその瞬間、 直江は凄まじい速度で部屋を飛び出していった。 (行き先は……景虎んとこだろうな) どうせ頭の中は、(景虎様、今行きます。俺は決してあなたの側を離れない!グラフィックでも何でも俺に任せて下さいっ!)なんだろうなぁ、と思いながら、長秀は髪をかき上げる。 と、直江が立っていた辺りに、一通の手紙が落ちているのを発見した。 オレンジ色のチェック柄の封筒を、長秀は拾い上げた。景虎宛てだ。 (ラブレター?まさかな) 男所帯のステーションでそんな物があったら怪談話以外の何物でもない。 長秀は封筒から取り出した手紙を読み始めた。 『P.M.10:30 司令室から私室へと戻る大尉。その足取りは―――…………。』 空き部屋であるその一室に、長秀の笑い声が響き渡った。 その後、長秀がこれをネタに景虎をからかい、景虎がそのことで直江を怒鳴り散らしたことは言うまでもない……。 THE END. |
noda's coment いや〜、ここまでくるとUP遅れてすみませんどころの話ではないような気もしますが、本当に遅くなって申し訳ありませんでした!さやかさんっ! 少し言い訳を致しますと、ちょうどこの小説を戴いた時、テストテストの忙しい時だったので時期を外してしまったのですが、ここまで遅れてしまったのだからどうせなら受験が終わって万事解決。スッキリした時に心置きなくUPさせて戴こうという運びになったのでした……。 >ちなみに戴いたのが去年の10月です……。 いくらなんでも遅れすぎや……。うえーん。すみませんすみませんスミマセン!(>д<) ……ということで今回は弊HPでシリーズ化させて戴いている、「The Eternal Cords」「The Spartan Training」の続編、「The Peaceful Place」です! 何かシリーズ名が欲しい所ですねぇ。宇宙連合軍シリーズとか?なんかちゃう……。景虎大尉シリーズ……そのまんま。いっそ「The」シリーズ!センスねぇ! スイマセン……さやかさん。センスnothingの納多の意見は放っといて、何か素敵なシリーズ名を付けませんか?「桜花 風に舞う」はそのまま「桜花」で良いんですけどねぇ。 今回は『癒し』がテーマとなった内容でしたね。直江が景虎様の癒し……くはぁイイねぇ。(ウットリ) 装丁も癒し系な感じにしてみましたv 相変わらずの直景の人目を憚らぬ(特に長秀)二人の世界ドップリっぷりにこっちも癒されましたね! しかもこれまた愛も変わらずの(笑)景虎様のモテっぷりも健在で。まったく、やめときゃいいのにねぇ。いくらいれあげたって、直江に殺られるだけだってのに。 いやいや、あの人をストーキングしたくなる気持ちも激しーく分かる。でも私は直江の方をストーキングしてみたいなぁvそしたら今度は景虎様に粛清されるのかしら? もちろん三人力合わせてミッションをこなしていく姿も今回も凄く格好よかったです! 今回晴家ちゃんも登場!前にも書いたような気もしますが、女だてらに仕官して頑張ってるなんて、凄くカッコイイなぁ〜。女だと男にない苦労もたくさんあるでしょうしね。男女間の差別もあるだろうし、上からも下からも男性陣からの反発が大きいかも。 その分実績で周りを納得させていかなきゃならないんだから、その苦労は計り知れず……。 ……なんて勝手に色々考えてみましたが、実際どうなんでしょ!早く晴家ちゃんの出る話も読みたいです! ……にしてもやっぱり景虎様は美術2なんですね(笑)。音楽系の才能はあると思うんですが、画才は無いらしい。一見欠点無しに見える景虎様も、苦手なものはあるのでした。 いやいや実際、邂逅編を見て分かるとおり、あの人は完璧人間どころか本当は相当な欠陥人間なんですけどね!その欠落した部分は、直江がいて初めて普通の人間らしくなれるのです……!(/д\)イヤン! あれっ。こんな所で真面目に直高語りをしてしまった(笑)。直江はきっと、美術系は得意なんでしょーね☆ なんだかいいですよね、一方が苦手なことをもう一方が補い合うって。二人で一つなのです♪ さぁ、今回も本当にワクワクするようなお話をどうもありがとうございました!さやかさんのエンターテイメント性を少しわけていただきたいです。 私のはいつもお涙ちょうだいに走りすぎて……(笑)。 それか反対に突っ走ったアホギャグかι。 そんなアホなので良ければ、いつかお返しの小説をそちらに進呈したいと思いますっ。 ネット導入されたそうですし、HPを立ち上げてみては?その時は絶対開設記念贈呈品を贈らせていただきますね! え、いらない?そんな〜(T-T) それではまた! 2004/3/7 back top |