back home
これにて「流星に祈る」完結です。
いやー、長かった。(そうでもない?)
上に書いてありますように、この話完結するのに一年近くかかってるんです。
と言っても第四章までは中学時代に書き終わってて、
半年経って忘れた頃に終章を書き足したという……(笑)。
自分でも結構がんばったと思います。
こういう原作寄りの話は、
その頃どんなことを思っててミラージュを読んでいたかが
ありありと書かれているので、
読み返してみるととっても感慨深いです。
中学時代最後の、一番の思い出ですね。

それにしたって九郎左衛門最後にやっと登場……。
これから彼には四百年の苦悩の日々が続いていくのです……。

それではここまでお読みいただき本当にありがとうございました。
何か少しでも感じるところがありましたら、
ご感想いただけるととても嬉しいです!

終章 「橋桁」



19.

「景虎様……?」

身体を揺らす手と、低い声で、景虎は眠りから覚醒した。
焦点の合わない目で、目の前の人物を見つめて、一瞬後にその者が誰であるのかを頭が知覚した。

「……直江?」

目の前にいたのは直江だった。驚いて飛び起き、声を発しようとした瞬間、はたと、この場の異常さに気がついた。

「何だ……?」

見まわせば、景虎は何故か屋外にいた。よく見るとそこは、一人になりたい時に時おり来ていた村の見晴らし場であった。
こんなところに来た覚えは全くないのだが……と、昨夜のことを思い浮かべてみたが、それどころか、昨日何をしていたのかさえ何も思い出せないことに気がついた。

景虎は慌てて自分の着物に目を落とし、少し開かれた袷を手でかき寄せた。
だが、袴の紐はきちんと結ばれており、その他に着衣の乱れは見当たらない。
……だが。

「おいっ」

景虎は袷をかきあわせたままの格好で、直江を剣呑な調子で呼びつけた。

「何です」
「貴様……オレに一体何をした!」
「は……?」

思い切り顔を顰めた直江を、景虎はギラギラとした眼で上目遣いに睨みつける。

「とぼけるな。おのれ、何が目的でオレをこんなところに運んだっ……もしや貴様、その薄汚れた手でオレに触れたのではあるまいなっ!」
「ま、待たれよ。どうしてそうなるのですっ」
「その格好を見れば妖しいと思わぬ方がおかしい!」

はた、と直江は己の身体を見まわした。
着ている物は寝着のみで、すそはすっかり乱れきっている。足はこの寒いというのに裸足で、髪も結わずに首筋に絡まっていた。
おまけに、寝着の麻地にはところどころ、黒い斑点がこびり付いている……。ちょっと見て、それが血の染みであると分かった。

「私も気づいた時にはこんな格好でここに倒れていたのです」
「嘘を言うな」
「本当です。私はこのような怪我などした覚えがない上、あなたに何かをした覚えも全くない。それに……」

直江は不自然に袷をかき寄せて警戒する景虎に視線を落として言った。

「第一……。家臣であり……男である私が、あなたに何をするというのです」

まるで景虎の過去を嘲笑っているかのような言葉に、景虎は思わず眼をむいた。

「黙れッ!」

立ち上がって蒼白な顔で直江を見下ろした。
直江に心内を読まれたのではないかと思ったのだ。

「はっ、おまえの言うことなど信用できぬわっ。それに仮に違うとして、一体誰が何のために、オレとおまえをこんな所まで運んできたと言うんだ」

直江も膝を突いて立ち上がり、険しい顔をして景虎を見つめ返す。

「そんなことは知りません。第一、私はこの場所を初めて目にしましたし、それに……、ここ数日の記憶が余り覚束ない……」

その言葉に景虎は反応した。

「今は一体……何月の何日なのでしょうか……」

そう言って、直江は周囲に視線を走らせた。
自分の記憶では、未だ外は残り雪に覆われているはずだった。だが、今見える風景は一体どうしたことか。若草の雑草が雪の代わりに地面を覆っていて、林の奥の木陰に、かろうじて白いものが見える程度であった。
ところどころに土筆や蒲公英、菫といった春の花が蕾を開いていて、景虎が横たわっていた桜の木には、春の鳥が二羽、呼応しあうように鳴き合っていた。
これではまるで……いや、間違いなく、春だ……。
景虎も首を傾げた。何日……と聞かれて、すぐにパッと思い浮かばない……。
かと言ってこの数日の記憶が全く無いというわけではない。けれど、ひどく曖昧だ……。視界に霧がかかって、記憶の中で遭難したかのようだ……。

景虎は急に不安になり、顔を俯かせた。
記憶の中に、今まで一度も感じたことのない、不可解な感覚があった……。
顔を上げると直江と正面から目線が合った。直江の瞳は冷えた鉄のようで、景虎は何故だか急に、寂しさのような感情が胸にこみ上げてくるのを感じた。
胸が途端にズキズキと疼きだす……。

(なぜ……っ)

居たたまれないような心地に襲われて、直江から視線を外すと、逃げるように仮屋の方角に踵を返した。
その様子を見て、直江は動揺した。先程の景虎の瞳は、何故か危うい、悲しみのような色彩を孕んでいたのだ……。

「景虎様っ」

気づいた時には景虎の背を追いかけて、手首を勢い良く掴んでいた。
驚いて振り向いた景虎の瞳は、やはり今にも泣き出しそうなほど、悲哀の光を灯しているように見えた……。

「なお……え……?」

景虎は大きく両眼を見開いて、直江を黒い瞳で見上げている。

「景虎様……」

直江は何と声をかければ良いのか分からなかった。何故景虎を追いかけたのかも分からなかった。
ただ、先程の景虎の目が無性に寂しげで、何かを自分に訴えかけているような気がしたのだ。
何故か、自分の心に今、「自分でないもの」の感情が宿されているような気配がした。
まるで、自分で無い何者かが想いの卵を心に産みつけて行ったかのようだ。
もしこの感覚が本当なら、その「何者か」なら今この時、景虎に一体何を語りかけるだろう……。
景虎が自分に何を求めているのか、その者になら分かるというのだろうか……。

何ヲスレバ……景虎ハ喜ンデクレルノカ……。


己の心が弾き出した答えに、直江は驚愕した。
こんな感情を、自分が景虎に抱いて良いわけがない。
直江は焦った。
けれどこの心は、誰ぞかが産み落として行った他人の持ち物なのだ……。けして己のモノではない。

(こんな想いは……いずれ消える)

そう必死に言い聞かせた。
けれど、景虎を見つめて沸き起こるこの感情を抑えることは出来ず、直江はただ景虎の顔を見つめることしかできなかった。
しばらくしてそうして互いに見つめ合っていたが、何も言ってよこさない直江に景虎は、寂しげに、……切なげに瞳を細めて、手首を掴んだ直江の手を両手でゆっくり外した。

「…………」

直江は最後まで何も言えなかった。
一瞬景虎は、再び視線を直江に注いでいたが、すぐに踵を返して林の小径を歩いていった。
それでも去っていく背中を瞳で追い続ける。どうしてだか、このような光景を以前にも見たような気がする……。何もかも、自分の感情を理解することが直江は出来ずにいた。
景虎もまた、己の心内がよく分からなかった。
何かを求めるように、直江にあんな縋るような目を向けてしまったことが、自分でも信じられない。
あの男に何を求めるというのだろう……。何を期待するというのだろう……。
けれども何か……、腕を掴まれた時に向けられた直江の瞳には、この疑問に対する答えが示されているような気がした。

あの瞳の中に答えがある……。
景虎はどうしても、その答えに辿り着かなければならないと思った。
知りたいと思った。
景虎は数歩歩いた所で立ち止まり、後ろを振り返る。
随分と歩いたような気がするのに、二人の間には今、それほどの距離は隔てられていなかった。
向こうから見つめてくる直江は、寝着を纏っただけの寒々しい様子とは反対に、両の目だけは射抜かれるかのような熱い光を宿していた。
景虎は羽織から腕を抜いて、己の足元へと音もなく脱ぎ捨てた。
その間も、二人の視線が互いから外れることは無い。
景虎は再び踵を返す。もう足取りに迷いは無かった。
地面に広がった若草の羽織の元まで足を運んで、直江は丁寧な手つきで拾い上げる。肩に羽織ると、それまで腕を通していた景虎の熱が伝わってきた。

これは両者の間に広がる、奈落の谷を渡す架け橋だ。
景虎自らが架けた橋桁……。
まだこの橋はもろすぎて、向こう岸まで辿り着くことはできない……。だが、この新たに加わった橋桁によって、二人に隔たっていた距離がわずかながらにも狭まったことを、直江は感じた。

遥か遠くを歩むあの者の傍らに、自分が身を置く日がいつか来るのだろうか。
お互いに理解し合う日が、いずれは訪れるのだろうか。
かりそめではなく、……本当の主従となれる日が……。



初春の風が肌を撫でていく。
羽織と同色の若葉が、風に揺れてサヤサヤと音を立てていた。
直江は身中を駆け巡るさまざまな想いを胸の内に秘めながら、次第に遠ざかる景虎の後ろ姿を、いつまでも見つめていた……。



  
   ─ 終


        
                                 

                                  written 2000/11/13〜2001/10/4

                                    
for your and my eternal happiness.

Someday, I will pray to the meteor

はしげた