6.

「……それじゃあ、半年前のあの事件の犯人はあなただったんですか?」

 直江の呆れたような声が会議室内に響いた。正面では高耶がパイプ椅子に座って、開き直ったかのようにぞんざいに足を組んでいる。
 高耶はあの後、事の真相を掻い摘んで説明した。しかしそのためには半年前の直江若返り事件のことも当然ながら話さねばならなかったのである。
 ついに直江は知ってしまったのだ。だがあれだけ直江に話すことを渋っていたにもかかわらず、一連の事件の真相を説明し終えた後の高耶は、意外にもかなりスッキリしていた。やはり人間、隠し事は良くないということか。

「まあ、概ねそういうことだ」
「概ねって……そのままずばりじゃないですか」

 直江は呟くと、当時のことを脳内で思い返すかのように目を細めながら顎に手を当てた。

「そうですか……。やはり、怪しいとは思っていたんですよね。私にあんな奇妙な変事が起こったのに、あなたにしてはやけに余裕の態度でしたから」

 それだとまるでオレが、おまえに何か起こると錯乱してどーにもこーにもならなくなるような精神不安定人間みたいじゃねぇかと脳内で悪態をついたが、一瞬後に過去の所業の数々を思い返してみて、何も言えなくなり口を不機嫌そうにつぐんだ。
 その様子を見ながら直江は苦笑して、高耶の長くなってしまった黒髪に指を絡めて梳いてみせる。

「別に、隠さなくたって良かったじゃないですか。あなたが私の高校時代の姿が見たかったという事実は既に半年前にも聞いていたんですし、隠す必要もないでしょう?」
「それは……敵を欺くには、まず味方からと言うだろう」

 つまり周りの隊士たちへの真相漏洩を防ぐためにも、直江自身にさえ事実を教えるのは危険と判断したのだと、高耶は言いたいらしい。(対景虎専用直江信綱脳内自動翻訳より抜粋)
 何やら苦しい言い訳のような気もするが、これ以上この話題について追求すると、高耶の機嫌が悪くなるのは目に見えているのでとりあえず少しだけ論点をずらした。

「にしたって高耶さん。せっかくなんですからもう少し良い願い事は無かったんですか」

 確かに第三者にしてみれば全く以ってそのとおりな質問である。
 例えて言うなら初期ドラ×ンボールで神龍に「ギャルのパンティが欲しい」と願ったウー×ンに読者が、「何故そんなくだらない願いを……」と呟いたのと同じような心境を今の直江は抱いていたのだ。
 しかし当の本人である高耶にすれば、まったくもって不本意な問いかけである。

「しょうがねぇだろ。見たかったんだから」

 何のてらいもなく言う。開き直った仰木隊長は強かった。

「大体な。いきなり夢の中に妙なキツネが現れて、『先日助けてくれたお礼に一つだけ願いを叶えてやろう、さあ願いを言え』なんて言われたらどうする?おまえ咄嗟にきちんとした願いなんて言えるか?しかも土佐弁のキツネ相手だぞ?滅茶苦茶胡散臭いことこの上ないし、あんまり難しい願いは駄目だとかいちいち注文つけるし、まともに取り合ってやっただけでも大したものだとオレは思うね」

 確かに、ドラ×ンボールの神龍が夢に出てきてそんなこと言ってくれたらもうちょっと真面目な願いを考えたかもしれないが、相手がアレでは単なる下らない夢で片付けてしまうのが普通だろう。

「しかし……」

 とまだ何か言いたげ呟いた直江をキッと睨み返して、高耶はもう一つ反撃の言葉を直江に浴びせかけた。

「ならおまえがもし叶えてもらうのだとしたら、一体どんな願いごとにするんだ」

 直江は驚いて目を見開いた。「私ですか……?」と呟くと、視線を迷わせて思案を始め、男の瞳が室内を一回転した辺りで、もう一度高耶の両眼を見つめ返してきた。

「何だよ」

 ずずっと鳶色の瞳に見つめられて思わず条件反射のように睨む。
 直江が言う「もっとましな願い」なんて容易に想像がつく。
 つまり高耶の魂核寿命関連や鬼八の毒やらのことを指すのだろうが、前者は一旦試しに聞いて断られたし、後者とてアノ胡散臭い神狐では鬼八怨霊軍の壮絶な怨念の残骸に太刀打ちできるとはとても思えない。
 その辺を抜きにしてなお、「もっとましな願い」とは一体いかがなものなのか?

「どうだ?」

 少しだけ期待を滲ませて問いかけた高耶に、直江は脳内でやっと結論を弾き出したのか、数秒逡巡した後に言いにくそうにこう告げた。

「すみません……。私もろくなものが思いつきませんでした」

 素直に謝って見せた。ほら見たことかと、高耶は気分良く鼻で笑って見せたが、

「なら、ろくじゃない願い≠チていうのは何が思いついたんだ」

 と、ふと疑問に思って聞き返してみた。すると直江は何やら焦ったように視線を外して、ややうろたえたような声で返事をする。

「大したことじゃありませんよ」

 ヒラリとかわす。しかし高耶には直江が動揺していることがありありと分かる。もっともそれは高耶だからでこそあって、普通の者から見たら直江の横顔は鉄壁のポーカーフェイスであった。
 高耶は気になって言及しようと再度口を開きかけたが、直江の方はさせじと果敢に話題をずらして見せた。

「そんなことよりも、あなた早く長秀の所に行きたいんじゃなかったんですか?」

 本題を振られて、さしもの高耶も途端に我に返り、そうだよそう!っとガタッと勢い良くパイプ椅子から立ち上がった。
 自分はこんな場所で直江と仲良く談合している暇はないのである。一刻も早く剣山に向かい、この女体化したどうしようもない身体を元の姿に戻すという重大且つ崇高にして偉大な使命をすっかり今の今まで忘れ去っていた!

「こうしちゃいられない。オレは今から剣山に向かうから直江、午前中のオレの不在は上手く嶺次郎におまえから話しつけといてくれ。千秋のヤツを蜂の巣にしてでもさっさと戻させて早めに帰ってくるから。頼んだぞ」

 てきぱきと直江に指示をして上着を羽織りなおし、高耶は今度こそ第二会議室を後にしようとした。だが再び直江に「待ってください」と後ろから呼ばれて、ドアノブに手を掛けたところで彼は……じゃない彼女は不機嫌も露に振り返った。

「まだ何か用があるのか」
「大ありです。まさかとは思いますが、あなたそんな薄着でこの寒空の中バイクに乗って行くつもりなんですか?」

 薄着?と呟いて、高耶は己の身に付ける服に視線を落とす。
 今の身に纏っている着衣は、下はコットンパンツ、上はYシャツにフリースの上着で、女性の身体では丈が長すぎるので、上下とも裾や袖を折り返してある。

「そのつもりだが?」
「冗談じゃありませんよ。女の人は腰冷やしちゃいけないんですよ?あなたは今女性であることをもっと自覚してください。あなた一人の身体じゃないんですからね」
「はっ?」

 高耶は一気にバババッと顔を真っ赤にして直江に向かい激昂した。

「おまえまた何をわけの分からないことをっ!オレは妊婦じゃねえんだぞ馬鹿野郎ッ!」
「そういう問題じゃありません。とにかく私がちゃんと車で送って行きますから。まずその服をどうにかしましょう。白鮫用の支給品の予備が倉庫に置いてあるはずですからそれを……」
「黙れ!おまえオレのこと一目見て分からなかったくせに、オレにあれこれ言う権利なんておまえにはこれっぽっちもねえんだよ!」

 直江の声を遮って、怒りも露に高耶が言い放つ。実は高耶は30分ほど前のことをかなり根に持っていた。
 あの直江が直江のくせに直江の分際で直江なのに自分のことを分からなかっただなんて、高耶にとっては相当の裏切り行為だ。
 そのままギリッと直江を睨みつけると、当の直江は特に動じることも無く、淡々とした口調で高耶に告げる。

「そのことなんですが高耶さん、私があなたのことを一目で分からなかったのには、少なからずきちんとした原因があったんですよ」
「言い訳なんて聞きたくない」
「いいえ聞いてください。あなたは『土佐弁ボケギツネ』と言って馬鹿にしていますが、あの剣山の神狐は実は相当の力の持ち主なんです」

 言い聞かせるように言った直江の言葉に、高耶は怪訝に思って首を傾げてみせる。

「……何故おまえがあのキツネの力について知っているんだ」
「それは私も一度、その神狐に会ったことがあるからですよ」

 予想だにしなかった答えに、なんだって!?と高耶は目を見開いて、斜め四十五度先にある直江の顔を茫然と凝視した。

「山神の少女を覚えていますか?」
「山神……?」

 直江の問いに低い声で呟いて、黒々とした瞳を数秒ほど逡巡させると、高耶は「ああ」と声を上げて両手を叩いた。

「あの、おまえに『今度生まれ変わったら私をお嫁さんにしてね』とか言っておまえが最後に名前呼んでやった小娘か」
「……まあ、そうです」

 まず思い出す点はそこなのか仰木隊長。

「その山神と一時期行動を共にしていた際に、『山の神の仲間だ』と言ってその神狐を紹介されたことがあったんですよ。きちんと面会したわけではありませんでしたから詳しく聞いたわけではありませんが、牛鬼たちにも一目置かれる存在だったようです」

 なるほどな、と高耶は頷いて見せた。
 確かに、剣山に住む神狐と、かつて赤鯨衆と戦闘したあの覡の一族たちに面識があったとしても何ら不思議はない。
 直江と土佐弁神狐の両者の過去に、そんな接点があったとは驚きの新事実だが、今はそれよりも重大な問題があった。

「それで?おまえがオレを分からなかった原因は?」

 あくまでそこが本題なのだ。高耶にとって直江があのキツネと面識があろうが何だろうが言わばどちらでも良いことである。

「それはですね、高耶さん。本来キツネというものは人を化かすものでしょう?あの邪法と呼ばれる荼吉尼天法と同じように、おそらくあの神狐の能力にも強力な催眠暗示効果があるのだと思いますよ」

 直江は冷静に、パズルのピースを当てはめるように淡々と説明していく。

「考えてみてください。あなたも私もあの神狐に妙な術をかけられて、その時周りの人間で一人でも私たちの正体を一遍で見破った者がいましたか?」
「……いない、な」
「そうです。いくら姿かたちが変わっていたのだとしても、ある程度霊査能力のある者ならすぐ私とあなたが分かったはず。そこから察するに前回の私の時にも、今のあなたにも、あの神狐の術によってかけられた催眠暗示が周りの人間に影響を及ぼしているんですよ。そうでなければ私があなたのことを分からないなんて事はないはずだ……」

 直江は確信を持って断言した。あなたの性別が変わった程度で自分があなたを分からなくなることはない、と。
 一方の高耶はなるほど、と再び納得して頷いている。
 確かに、そう考えればすべてのピースがうまく当てはまる。いかなニブチンの多い赤鯨衆隊士と言ってもこれは少しニブすぎたのだ。
 半年前の直江の時も、かなりの隊士たちに姿を見られたにも関わらず、直江自身が「橘義明だ」と名乗るまで誰一人、目の前にいる少年が橘砦長だとは気づかなかったのである。あの兵頭でさえもだ。考えてみれば、明らかにおかしい。
 特に高耶の場合、四国結界がいくらか鬼八の毒素を弱めているとは言え、その両眼から発される邪毒の篭ったオーラは一度触れたらそうそう忘れられるものではない。
 ここまで特徴的な波動を持つ人間を前にして、一人もそれが高耶本人だと気づかなかったというのも、いくらなんでも不可解だ。
 しかし……だ。

「オレは……、おまえのこと一目見て分かったぞ」

 高耶がほんのりと赤い唇を少しとがらせて、ポツネンと呟く。半年前の、あの、宿毛砦の医務室で若返った直江を初めて見た時のことを思い出したのだ。
 たとえ暗示がかけられていたのだとしても、自分は現にああやって直江のことが分かったのだから、おまえも分かって良かったはずなのだと……。
 直江は高耶の言い分を言外から察して、一つ苦笑を唇に昇らせた。

「それは、あなたは願い事をした張本人ですからね。例外ですよ。それに私もまっさらな状態だったならあの程度の暗示跳ね除けた自信がありますが、如何せん私は以前に神狐に術をかけられてますからね」

 常人よりも掛かりやすくなっていたんだと思いますよ……と直江は優しく微笑むと、高耶の元へ二歩三歩と近寄って高耶の薔薇色の頬をそっと撫であげた。

「そういう訳で、許してくださいませんか?高耶さん……」

 直江が穏やかな口調で囁くと、高耶は見上げていた瞳を細めて、数秒の間無言を保つと、何秒か後に「はああぁー」と盛大な溜息をついて、

「おまえ……本当にごまかしだけは上手いな……」

 呆れたように、そして苦笑を交えて諦めたように呟いた。

「心外ですね。私はそれだけの男じゃありませんよ?」
「言ってろよ、馬鹿」

 ふっと微笑んで、黒髪を揺らしながら背後に振り返ると、背中に向かって高耶はこう告げた。

「……よく考えたら、このところオレのバイク、エンジンの調子がおかしかったんだ。仕方がないから橘、おまえに剣山までの護衛随行の任務を命ずる。いいな」

 後ろを向いたまま、直江には顔を見せずに言う。だが直江には、高耶が今どんな表情をしているのか、明白に想像できた。

「御意」

 直江は嬉しそうに微笑んで、高耶の女体化していっそう細くなった肩を、壊れぬように大事に両手に抱き込んだ。






またイチャイチャしてるだけで
1話分終わってしまった(笑)。
次辺りはちゃんと剣山に向かってくれると
納多はとても嬉しいのですが〜……。

今回のお気に入りは、ミホトに対し
女の嫉妬丸出しな高耶さんでしょうか〜♥
よほど頭にきたんですよ、あのシーン(笑)。
私もかーなーり怒りましたとも。
直江は生まれ変わったって
未来永劫高耶さんのモンだーッ!!

そして皆さんの間で非難轟々だった、
「直江が高耶さんを解らなかった理由」が
ついに明かされました。
こういう訳だったんですよ、ハイ。
高耶さんも渋々ながらも納得してくれたようで
良かったね、直江♪

ところで、気づいてみればもう正月なんですけど、
「秋の空」って……。(苦笑)

2002/1/5