陽炎花嫁かげろう はなよめ

























 第一話


 きっかけは、戦勝祝いの宴席で一人の新入隊士が、「生前の妻が白鮫に入隊している」と打ち明け話をしたことだった。
 聞けば二人は別々の経緯で赤鯨衆に入隊し、つい先日まで、互いが死人として蘇り、あまつさえ同じようにして赤鯨衆に籍を置いていたことに、まったく気づかずにいたのだという。
 夫婦揃って赤鯨衆に入隊するなど前代未聞の話だ。
 生前からオシドリ夫婦だったというその隊士が、隊務の暇を見つけてはちょこちょこ様子を見に会いに行っているのだと、嬉しそうに照れながら語る様を見て、その場で羨ましく思わない者は一人としていなかった。
 それから宴席の話題は自然と、どこもかしこも生前の自分の妻や子供達の話で持ちきりになった。

「そりゃぁわしんとこのカミさんは村一の器量良しっちゅーことで評判でのぉ、嫁にもらう時は村中の若い衆と血みどろの争いを繰り広げたもんぜよ」

 酒に酔って気分よく武勇伝を饒舌に語る男に対し、隣の隊士が眉を寄せて毒づいた。

「嘘も大概にせぇ。おんしゃ庄屋んとこの太兵衛にこてんぱんにのされて、結局ミヨは太兵衛の嫁になったじゃろ!おまんの嫁は幼馴染みのトメじゃろが!自惚れが過ぎるぜよ!」
「なにおぅ?おまんの嫁なんぞ、二目と見れぬと評判の醜女じゃったろが!えらそうに!」
「ほたえな!おキクを悪く言うやつは許さあんッ!」

 やいのやいのとてんでん勝手に、互いの嫁の話で異様な盛り上がりを見せている。
 なかには話しているうちに感極まって泣き出してしまった者もいるほどだ。

「また母ちゃんのおかかの握り飯が食いたいのぅ」
「もう一度会いたいのぉ……」

 それまで男達の盛り上がり様をコップを片手に無言で眺めていた楢崎は、やや呆れた顔でしみじみと呟いた。

「なんかこいつら、本当に大昔に死んだ人間なんだよなぁ……」

 いままで同年代のような感覚で一緒に生活してきたものだから、ついつい忘れてしまいがちなる。
 彼らの憑坐はおしなべて10代後半から20代の血気盛んな若者達だ。だから楢崎が自分と年の近い者達と接するような感覚になるのも無理からぬことだった。
 ところが、彼らは実際のところ若くして死んだ者もいれば、楢崎より遥かに老齢に達して死んだ者もいて、その実年齢はてんでばらばらなのである。
 したがってその容姿からは想像しにくいことだが、彼らは生前に妻子や孫がいたとしてもなんら不思議ない男たちばかりなのだった。
 コップに注いだアルコールを苦そうにチビチビ飲んでいると、楢崎の隣にとある隊士が一升瓶を片手に近づいてきた。

「なんじゃ楢崎、居心地悪そうな顔しおって。おんしゃ生前嫁御はおらなんだったか?」
「いるわけねーだろ。俺死んだときまだ十代だぞ」
「ほうか?わしらの時代じゃ17、18で嫁もらうのがあたりまえだったがぜよ。さてはおんしゃ、おなごにもてんかったんじゃのぉ!」

 無神経にガハハと笑いたてる男たちを前に、楢崎は顔を赤くしながら言い返した。

「も、もてなくなんかねぇ!俺だって昔は彼女の一人や二人ぐらい……!」

 ムキになって反論しても、相手が酔っ払いの集団とあっては暖簾に腕押し。弁解を受け入れてもらえず楢崎の憤慨はさらに高まっていく。熱弁を振るうあまり手に持つコップを振り回して、中身をボタボタ床に落とした。
 すっかりからかいの的になっている楢崎の様子を見るに見かねたのだろう、彼に救いの手を差し伸べる者が現われた。

「気にすることないぞ、楢崎。そいつらの時代は、年頃になれば村中こぞって押し付けあうように縁組されてたんだ。もてるももてないも関係ない」

 と、涼しい声で後ろから声を掛けたのは、仰木高耶だった。
 高耶は壁に背をもたれかけながら、缶ビールを片手にこちらを見つめている。
 そんな彼の言葉に、隊士たちはムッとしたように眉を寄せて言った。

「なんじゃあ隊長、おんしゃ嫁も取ったこともない若造の分際で」

 そうじゃそうじゃと、周りの男たちも頷いている。
 仰木高耶は初生人。年齢から考えても、まず妻帯経験などないだろうと考えての言葉だった。
 しかし……。

「あるって言ったら?」

 あっさりと呟かれた途端、周囲で様子を窺っていた隊士たちが一斉に静まり返った。
 高耶はその反応にわずかな苦笑を口元にのぼらせつつ、

「……冗談だ」

 素っ気無く呟いて、踵を返した。
 退室ぎわ、壁際で一人杯を傾けていた直江と一瞬目が合う。もの言いたげな眼差しを無視してそのまま部屋を出ると、すぐに部屋から男達の大袈裟な驚声が一斉に上がった。
 高耶は自室に帰るためにしばらく歩いていたが、ふと思い立って廊下のガラス戸を開けると、ベランダに出て、柵に両肘を置き一息ついた。
 湿り気を帯びた風が、火照った頬に冷たく吹きつける。少し飲みすぎただろうか。
 昔はこの程度の酒量で酔うことなどなかったから、アルコールに弱い体質を忘れてついつい飲みすぎてしまう気がする。高耶の悪い癖だった。
 特に今日のように、昔のことを思い出した日には……。

(生前の、妻……か)

 ぼんやりと、首を仰のかせて暗い空を見上げた。
 先ほど隊士たちに向けて言った言葉は、決して嘘などではない。
 自分を初生人と思い込んでいる彼らには想像すべくもないことだが、高耶も生前はあの場にいた多くの隊士達と同じように、妻を持ち、人並みに家庭を持つ身であったのだ。
 高耶は目を細めて、遠い思い出に身をゆだねる。記憶はあやふやで、ぼやけるようにしかその優しい面影を覚えてはいないけれど……。
 誰よりも幸せに、何よりも大切にすると、義父に誓った。
 景勝の姉であり、幼い我が子の母であった女性。
 遠く昔に失ってしまった、おのれの妻──。

(春……)


 熱い頬に、片手で持っていた缶ビールを押し当てる。そのまま眼を瞑っていると、背後に人の気配が近づいたことに気づいた。
 高耶は振り向くこともせずに、背後の男に尋ねる。

「なんだ。何か用か?」

 すたすたとこちらに近寄った男は、高耶の隣の柵に背を凭れると、彼の横顔を見つめながらこう答える。

「いいえ。ただなんとなく、追いかけたかっただけです」

 そこにいたのは、黒いサバイバルスーツに身を包んだ長身の男・直江信綱である。案の定高耶の後をついてきたようだ。
 男が答えた言葉は、随分と率直な内容のものだっただけに、高耶は逆に返す言葉に詰まってしまった。

「……、勝手にしろ」

 低くそう言って、缶ビールの中身に口をつけた。苦みのある液体が、喉を心地よく潤していく。
 飲みすぎを咎められるかと思ったが、直江は予想に反して無言のままだった。
 顔を上げて直江の顔を見ると、彼の視線はここにはなく、どこか遠くを見るような真摯な様子だったので、高耶は心もち眼を瞠った。

「どうした?」

 問いに直江が顔を振り向かせる。口角を上げてやや微笑むと、

「いえ、少し昔を思い出していました」

 と、静かな声で答えた。その直江の瞳が、どこか夢見る者のように独特な潤みを帯びていたので、高耶は意外に思って、彼の端整な顔をじっと見つめる。

「おまえも、もう一度会いたいのか?」

 誰に、とはあえて言わない言葉を、直江は正しく理解した。
 いいえ、と彼は首を振る。

「懐かしく思っただけです。私にも、妻を持ち、家庭を持った頃があったのかと考えると……ひどく懐かしくて」

 直江が自分から生前の妻の話題を出すなど、今までに一度もないことだったので、高耶は不思議な思いで彼の話に耳を傾けた。
 それだけこの話題は彼のトラウマをえぐるものなのだ。プライドの高い彼は、自分の前で決してその話題を口にするまいとしていた。
 なのになぜか、いまこうして妻の名を口にする彼は、自嘲の中にどこか満ち足りたような表情を覗かせているのだ。

「だからと言って、その頃に帰りたいとは思わないし、もう二度と結婚なんてする気もありませんが」
「しないのか?」

 よせばいいのに、酔いの饒舌も手伝って、高耶は薄く笑いながらつい意地の悪いことを口走る。

「この先、なにがあるかもわからないだろう」

 呟いた後で、その言葉が示すものの予想外の苦さに、高耶は愕然とした。馬鹿なことを口走ったと、後悔で顔を俯かせる。
 そんな高耶の横顔を、直江はふと真率な目になって見つめた。
 気まずい空気のまましばらく無言でいたが、やがて直江はゆっくりと口を開いた。

「それは、あなたとという意味?」

 男の思わぬ切り返しに、はっとして高耶は振り返る。
 いつもの軽口かと思いきや、直江の目の意外な真摯さに、高耶は覚えず唾を飲み込んだ。こちらの心を見通すかのような真っ直ぐな視線とぶつかって、途端にひどく居心地の悪い思いに囚われた。

「……男同士じゃ無理だろう」
「それなら、もし可能だったらあなたはしたいんですか?」

 再びの問いの答えに窮して、唇を噤む。そんなこと、今まで考えたこともなかったのだ。

「……おまえはどうなんだ」

 ようよう返した搾り出すようなその言葉に、彼は意外にも躊躇なくこう答えた。

「私は、特にしたいとは思いませんが」
「なんで」

 思わず素で聞き返してしまう。

「必要ないでしょう?」

 身も蓋もないほどあっさり言われて、高耶はなぜか意味も無く穏やかならぬ心地になり、やや苛立った口調で尋ねた。

「どうして必要がない」
「だって、本当にいまさら必要ないですから」

 その言葉に納得したのかしてないのか、どこか不機嫌そうに「ふぅん」と気のない相槌を打つ。

(いまさら……か)

 確かに、四百年も連れ添ってきた今頃になって結婚などと、いまさら以外の何物でもない気がする。
 自分達はもともと秩序を外れ法の目を逃れて生きてきた存在だ。結婚などしたところで、仰木が橘だか橘が仰木だかに変わる程度で、生活に何か変化があるわけでもない。
 本来結婚とは、家の相続に重点を置いて行われる契約であった。しかし家という概念の本質が薄まりつつある現代では、結婚という行為は相手との絆を確かめ合うための単なる約束事と化しているような気がする。
 もちろん互いが互いを共に歩むべき生涯の伴侶と定めているのは、もう間違えようのない事実だ。高耶もそれはとうに認めている。
 しかし世の人間達のように、結婚という法的手段の柵で互いを結びつけなければ容易に瓦解してしまうほどに、自分達の絆が頼りないものだとは到底思えなかった。だから敢えて直江と婚姻を結ぼうとする気持ちにはならないのだ。
 けれど、そうやって自分で否定するくせに、心の底でチリチリと何かが焦げるような飲みきれないものを感じるのは、なぜなのだろうか。
 考え込む高耶の横顔を見つめていた直江が、

「……その分だと、覚えてないんですか?」

 と尋ねかけたので、高耶は首を傾げた。

「何を」

 本気で何のことだか検討もつかないといった風情の高耶を見て、直江は少し苦笑するように口角を上げると、

「少し、昔話をしましょうか」

 そう言って、遠い昔に思いをはせる者がそうするように、彼は夜空を見上げながらここにはないどこかに視線を投げるようにして、とつとつと語り始めた。
 高耶も大人しく、直江の唇から紡がれる低く心地よい声に耳を傾ける。

「あれはそう、私達が初めての換生を行ってから、数年と経たない頃のことです……」






 平成二十年四月二十九日

「真皓き残響 琵琶島姫」発売直後、衝動的に書いてしまった小説です。
題名「陽炎花嫁」だけで既に、今後の展開を容易に推測することが可能。
つまり……そういうことです。(笑)
にしても、「オレと結婚したいか?」と尋ねる高耶さんに対し、「特にしたいとは思いません」なんて暴言吐いたのはここの直江ぐらいのものでしょう。

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