陽炎花嫁かげろう はなよめ

























 第二話


 直江信綱は非常に難儀していた。
 雪が溶けてぬかるんだ道を重い足取りで歩き続けて、いったい何刻が過ぎたことだろう。疲労で霞む視界と肩にのしかかる重さが彼の心を陰鬱に曇らせる。
 内陸側の積雪量が飛びぬけて多いここ越後では、春になっても堆く降り積もった雪がその姿を完全に隠すことはない。雪掻きをする者もいない峠道は白いもので深く覆われ、依然として旅人の足を鈍らせ続ける。
 しかし直江も越後の男、通常ならこれしきの雪道で弱音を吐くような軟弱者ではないが、今日に限って旅慣れした男の足取りに普段の軽快さは見られなかった。
 それもそのはず、直江の肩には熊のような巨漢が背負われているのである。
 直江も常人よりはよほど大柄で屈強な体格をしているのだが、背に負う男・柿崎晴家の体はそれを遥かに凌ぐものであった。のしかかる重量は半端ではない。
 ただでさえ歩くには難儀な悪路。ぬかるむ道に足を取られつつ、さらに背負う男の体が失神して完全に弛緩した状態とあっては、さしもの直江も音を上げる寸前だった。

「この分では、今日中に十日町に着くのは至難でしょうな」

 白い息を吐きながら、同じく傍らで晴家の腕を担ぐ男に声をかける。
 黒髪を馬のしっぽのように結い、白いうさぎの毛皮を肩掛けにした若い男は、眉間を困ったように曇らせながら直江の言葉に頷いた。

「仕方あるまい。勝長殿たちにはもうしばらく待っていただくことになるが、今日は早いところ近くの集落で泊まれるところを探そう」

 早く晴家を休ませてやりたい、と、肩の上で気を失っている男を景虎は振り返った。

 直江もつられて後ろを振り返ると、無防備な表情で目を閉じた晴家の顔にぶつかる。

 普段、直江に対しては不機嫌な顰め面しか向けたことが無い晴家なだけに、そんな男のこうも隙だらけの顔を見せられると、常の憤懣も忘れて何やら拍子抜けしてしまう直江だ。
 隣の景虎を見れば、彼の横顔にも相当の疲労が見て取れた。確かにこのように消耗激しい三者の体で十日町を目指すのは賢明ではない。
 しかし今日中に勝長らとの落ち合い場所に着かぬとあっては、約束の日時に二日も遅れることになる。

「……また、安田殿に嫌味を言われそうですな」
「言わせておけ、あの男の毒舌などいつものことだ」

 長秀の話題を出した途端、不愉快げに口を曲げる景虎を見て、

(どの口が言うのやら)

と、直江は知らず溜息をついてしまった。
 日頃集中砲火のような毒舌の餌食にあっているだけに、つく溜息も自ずと呆れを帯びた深いものになる。
 なんだ? と景虎が目ざとくこちらを睨んできた。ここで要らぬ発言をして波風立てるのが常の直江なのだが、彼にとって幸運なことに、この日の直江に嫌味の応酬をし合うほどの気概は、既に残されていなかったのである。さもなくば性懲りも無く景虎の毒舌の餌食となっていたであろう。

「なんでもありません」

 と平坦な声で返すと、直江は何もなかったように黙々と晴家の体を引きずりながら、人家を目指して峠の道を歩いた。
 景虎は不満げな表情を見せていたが、しばらくすると直江に興味を失くしたように顔を背けて、隣の男に倣うように黙々と歩みを進めた。




 通常の調伏行では、問題児のお目付け役として安田長秀とコンビを組むことが多い直江であるが、今回は珍しく勝長が長秀と同行したため、直江は残る景虎と晴家の二人組みに同行することとなった。
 効率の問題でこういった組み分けにならざるをえなかったのだが、この三人組は言うまでもなく相性が悪い。
 直江としてもこの『御館組』との同行は気鬱以外の何物でもなかった。何しろ晴家ときたら直江に対抗意識をむき出しにして、必要以上に景虎を構い立てるのである。
 別に晴家が何をしようが知ったことではないが、そういった態度を許容する景虎の姿を見るにつけて、何とはなしに不快な気持ちがこみ上がるのだ。その説明のつかない不快感が彼の気鬱の正体だった。

 さて、そんな重い雰囲気の中どうにか割り当てられた地の浄化を終え、柏崎方面から次の目的地である十日町へと向かった一行であったが、途中の峠道で古戦場に縛されていた怨霊集団に出くわしたため、急遽戦闘を余儀なくされることとなった。
 通常ならこの程度の戦闘、何の問題もなく解決できるはずだったのだ。しかし実はこの時、晴家は腹に深手の傷を負っていた。先の調伏行で受けたものである。しばらくの養生で癒えたものと思われていたが、本人は心配をかけまいと平気を装っていたのだろう。ここにきて激しい戦闘のさなかに傷口が開いてしまったのである。
 顔面を蒼白にして倒れた晴家は、血の滲む腹を押さえながらそのまま意識を失った。

 戦闘を終えた二人は昏倒した晴家を担ぎ上げ、ともかく彼を休ませる場所を求めて雪道を彷徨い続けた。






 平成二十年四月三十日

邂逅編小説を書くのは、かれこれ六年ぶりか……。
あの後に長秀が登場して夜叉衆が集結し、邂逅編の二人も随分と仲良くなり、最初の頃が嘘みたいに驚くほど惹かれあうようになりましたね。
特に直江の劇的な変化が、見ていて一番楽しい。
キスも済ませちゃったしね。(しかも二回)
邂逅編の仲悪い二人を書くのが、微笑ましくて、楽しくてたまりません。
景虎様がツンケンしてるのはいつものことだけど、嫌味たっぷりで態度の悪い、青臭い直江がたまらなく愛しい今日この頃。


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