陽炎花嫁かげろう はなよめ

























 第三話


 そうして数刻が過ぎた頃、直江達はようやく人家の明かりを見つけたのである。
 既に日も落ちかけた夕暮れ時であった。
 そこは渋海しぶみ川に穿たれた褶曲谷しゅうきょくだにに立地する、中仙田なかせんだという名の集落だった。暮れなずむ夕映えに彩られた渓谷が美しく、二人はしばし言葉を忘れその情景を目に留めた。
 この辺りの土地は記憶によれば、節黒ふしぐろ城主上野家成うえのいえなりの領地だったか。
 上野家成は上杉家家臣。越相同盟締結の際、河田重親かわたしげちかと共に北条との交渉役を務めた男だ。御館の乱では景勝方に与していたため、直江にとっては面識の深い相手である。
 直江と景虎がさてどの民家に宿を求めようかと思案していると、そこに通りがかりの村の若衆が話しかけてきた。
 田上文太郎たがみぶんたろうという名のその青年は、意識を失った晴家の姿を一目見て一大事と察したのだろう。すぐに彼の家に三人を招き入れ、一行はその日の宿を文太郎の家に頼むこととなったのである。
 文太郎は地侍の身分を持つ豪農の家の息子で、父・田上喜助は中仙田村の乙名をつとめるこの辺りの有力者だった。
 小作人を何人も抱える家だけあって、案内された茅葺の家は古いながらも広く立派なものだ。
 手当てを受けた晴家を奥座敷に寝かせ、直江達は夕食を馳走になりながら、喜助や文太郎としばらくとりとめのない世間話に興じた。
 そして夕食もあらかた食べ終わり、夜も深みに達した頃、二人はこの村に起こる奇妙な事件の話を聞くことになる。


「花嫁御に取り憑く怨霊?」

 汁椀を手に驚いた声を上げる景虎に、囲炉裏を挟んで向かいの文太郎がコクリと大きく頷く。

「はい。近頃ここいら一帯の仙田郷で、祝言の最中に嫁女が霊に取り憑かれるという騒動が何件か起きているのです」

 直江と景虎は顔を見合わせた。とにかく話を詳しく聞くため続きを促すと、文太郎は次のような話を二人に聞かせた。
 二年ほど前から、この辺りの村で祝言が行われると、宴の最中に嫁御の様子が豹変し、奇妙な言葉を吐き散らしながら気狂いのように暴れだすようになった。
 最初は気の病か何かかと村人達は考えたが、祝言の度に立て続けに同じ症状が嫁御に起こるので、流石に疑念を皆持ち始めた。原因の分からぬまま次々と犠牲者は増え続け、次第にこれは仙田郷に怨みを持つ悪霊の祟りに違いないと、村人達は口々に怖れるようになった。
 しかし祟りと言っても、今までは宴の最中に嫁女の様子がおかしくなるだけで、症状はしばらくすれば治まり、その後は特に後遺症を見せることもなかったのだ。そのため集落の者は特に対策を講じることもせず、戦々恐々としながらも変わらず祝言をとり行い続けていたのだという。
 しかし先月に行われた祝言で、いつものように気狂いじみた形相で暴れ回った嫁御はどれほど経っても正気を戻すことはなかった。そして彼女はその後も回復することはなく、ついにそのまま事切れてしまったのである。
 その話に震え上がった村人達は、方々手を尽くして本格的に一連の騒動の原因を探ったが、一向に手がかりは掴めず、解決策の見つからぬまま途方に暮れているのだという。

「実は私も近いうちに、この村のお初という娘を嫁取りするはずだったのですが、お初はすっかり怖がってしまって、祝言を挙げたくないというのです」

 文太郎が困り果てたようにそう語って、息を吐いた。幼馴染の初は、美人ではないが気立ての良い娘で、文太郎が前々から密かに想いを寄せていた相手なのだという。
 奥手の文太郎がようよう父親を説得して約束を取り付けた相手なだけに、この怨霊騒動のせいでよもや話が流れはすまいかと、気が気ではないらしい。

「放ってはおけんな……」

 腕を組みながら思案するように呟かれた景虎の言葉に、直江が顔を寄せて小声で尋ねた。

「我らで解決しますか?」
「一宿一飯の恩もある。それにまこと怨霊のしわざならば、これは我々の使命だ」

 景虎の返事に納得したのだろう。直江は力強く「御意」と頷いた。
 景虎は居住まい正すと、真っ直ぐな眼差しで文太郎を見つめながらこう申し出た。

「よろしければ、我々がその件調査致しましょう。こう見えて私は、商いの旅をしながら死霊伏せの業も行っているのです」

 突然のことに文太郎達は驚いたが、よほど切羽詰っていたのだろう。物売りと武芸者と樵人という見るからに怪しい連れ立ちからの申し出にも関わらず、諸手を挙げて歓迎した。
 そうと決まれば情報収集に当たらなければならない。景虎はより詳しい騒動のあらましを文太郎と喜助に求めた。

「しかしどうやって霊を退治するのです?」

 一通りの情報を提供した後、文太郎が不安げに尋ねかける。
 景虎と直江は一瞬顔を見合わせたが、その問いに答えたのは直江の方だった。
 
「思うに、霊の正体が分からぬ以上、おとりを使っておびき寄せる他手はないでしょうな」

 今のところ霊がどこから来て、何の目的でこのような事件を仕出かしているかすら分からないのだ。確実な方法は実際に祝言を行い、怨霊が嫁御に依り憑いたところを捕らえるという手しかないだろう。

「おとりか……、しかし誰が嫁女の役をやるのだ?」

 景虎の疑問に直江も答えられず、眉を寄せて考え込んだ。
 命の危険がある以上、村衆の娘に頼んだところで引き受けてくれる者など誰もいないだろう。
 ここにつばきがいれば頼むこともできたろうが、さりとてこのように危険な役をか弱きおなごに任せるのは忍びない。
 しかし肝腎の嫁御役がいないのでは、騒動を引き起こしている霊に接触することすらできないのだ。早くも手詰まり感を覚えてしまった一同は、何か手はないかと顎に手を当てて考えあぐねた。
 誰かいないのか。嫁御役を任せるに足る、怨霊にとり憑かれても負けないほどの、霊力と胆力に秀でたおなごは……。
 あっ! と、そこで声を上げたのは直江だった。
 何か思いついたのかと注目を集める中、直江はこの男にしては珍しく昂揚したような声音で言った。

「いるではありませんか。嫁女をこなすことが出来る人間が」
「誰だ、その者は」

 訝しげに問う景虎に、直江は彼の正面に向き直って、自信に満ちた声でこう告げた。


「あなたです」

 はっ? と文太郎と喜助の間の抜けた声が上がる。
 景虎はこれ以上はないぐらい眉間に皺を刻みながら、信じられないものを見るような眼差しを目の前の男に当てて、低く這うような声で問い返した。

「……いま、なんと申した?」

 聞き間違いであることの期待をこめた問いに、だが直江は無情にも次のような言葉を景虎に告げたのだった。

「ですから、あなたがもう一度女装なされば良いのです。景虎様」






 平成二十年五月一日

「陽炎花嫁」とは、つまるところ「景虎花嫁」のことでした(笑)
本編ミラージュではこういう仕事は晴家の役どころでしたが、邂逅編ではすっかり景虎様のお仕事になってしまいましたんね。お色気担当景虎様。
ちなみにこの題名は、原作邂逅編の四文字タイトルに倣ってつけたものです。「夜叉誕生」「妖刀乱舞」「玄奘蜘蛛」等等。
今回の舞台・仙田郷中仙田村は、越後に実在する場所です。
まず無いだろうけど、今後原作で登場することになったらちょっと困るかもしれません。でも越後は想像以上に広い国なので、そう心配することもないのでしょうね。

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