陽炎花嫁かげろう はなよめ

























 第四話


「誰がやるか! そのような真似っ!」

 怒鳴りつけると同時に、景虎は直江に殴りかかっていた。
 素早く拳を避けた直江に、もう一度叩きつけようとしたが、慌てて止めに入った文太郎と喜助に邪魔されてついに拳が直江に届くことはなかった。
 しかしそれが却って景虎の激昂をますます増幅させることとなった。

「誰がするか! 女装などとっ、おのれはオレを侮辱する気か……!」
「なぜです? 既に一度はなさったことでしょう」

 直江は涼しい顔で激怒に赤らめる景虎の顔を見返した。

「ご心配なされますな。あなたの女装の見事さはこの私が保証致します。霊も見事に騙されることでしょう」

 何しろ直江とて声を聞くまでは絶世の美女と疑わなかったほどの化けぶりだ。景虎の女装なら嫁御役も楽にこなすことができるだろう。
 しかし景虎が言いたいのはもちろんそういうことではない。

「オレはあの時女装など金輪際するまいと心に決めたのだ。あれ一回こっきりだ!」

 二度とできるか! と景虎は断固拒否を続けた。
 しかも今回はただの女装ではない。よりにもよって花嫁御に扮せねばならないのである。
 真似事とは言え男同士で祝言を上げるなどと、景虎は考えただけで怖気立った。何が哀しくて男なぞと添い遂げねばならない。景虎が激怒するのも無理からぬことだった。

「しかしあなたがやらねば霊を呼び寄せることはできぬのです」

 一方の直江も譲ることはなかった。景虎の気持ちも分からないではなかったが、今の状況で彼の我がままを許容するわけにはいかない。この一件を解決すると言い出したのは彼だ。言ったからには責任を取るべきだと直江は考えた。

「ともかく、今更体裁を取り繕ったところで仕方ありますまい。あなたは既に体面を気にするような身分の者ではないのですから」
「…………」

 この男、以前は「このようなこと、恐れ多くも敵方の御大将にさせるわけにはいきません!」とか何とかのたまって洗濯板を取り上げていたくせに、今となってこの態度である。見事な君子豹変ぶりに景虎は呆れて言葉もなかった。

「それしか方法がないのです。それとも何か他に妙案がおありですか?」

 チロリと横目に視線を送る直江の態度に、景虎は忌々しげに舌打ちした。人事だと思って無責任なことを言ってくれたものだ。
 だが悔しいことに今のところそれしか手立てがないのは動かしがたい事実だった。この男が立てた方策以上の妙案が瞬時に浮かばぬ自分に景虎は腹を立て、心の中で悪態をついた。
 ここで了承するのはこの者の口車に乗るようで堪え難い。しかし……。

「……っ、やればいいのだろう。やれば!」

 半ば自棄気味に景虎は承諾した。
 すべては文太郎達を助けるためだ。一度引き受けると言った以上放り出すわけにもいかぬし、これ以上の抵抗は遁辞を弄するようで見苦しい。何よりその嫁御に取り憑く怨霊というのが気になった。
 男同士で婚姻を結ぶなど屈辱的なことこの上無いが、背に腹は変えられぬ。ここは覚悟を決めて景虎はプライドをかなぐり捨てることにした。
 それまで茫然と両者の話を聞いていた文太郎達に、直江と景虎が計画を説明し、話がまとまると、彼らはそれぞれに用意された部屋へと引き返していった。
 しかし夜半過ぎて床についてからしばらく経っても、体は疲れているはずなのに、先ほどのやりとりが脳裏に甦ってまだ景虎の憤懣は収まりがつかない。

(くそっ。覚えていろよ、あの男)

 ぎりりと扼腕して怒りに堪える。
 忌々しいあの男のことを思うと夜も眠れぬ景虎だった。


                          *   *   *


 翌日、文太郎の母や許婚・初の手伝いで、景虎が小袖の採寸直しや化粧の練習など、女装の準備を着々と進めているうちに、直江は中仙田から北に数里ほどの地にある岩瀬という集落まで足を運び、情報収集に当たることにした。
 先月祝言を行った際に、不幸にも嫁女が頓死したという家に訪ねていった直江は、死んだ娘の父から次のような話を聞いた。

「男の名前を呼んだ?」
「ええそうです。名を恨めしげに呼んでおりました。娘は錯乱したように暴れながら、確かウエモン≠ニ……」

 低くしゃがれた声だったのではっきりとは聞き取れなかったが、娘の傍にいた父親は、娘の体に取り憑いた者が知らぬ男の名を呼ぶ声を聞いたと語った。

「ウエモン……右衛門……」

 直江は考え込むようにその名前を口の中で反芻した。そのウエモンという男が今回の騒動の鍵を握っているということか。

「その声を聞いて以来、あの怨霊はウエモンという名のろくでなしの男に、酷いめに合わされて死んだおなごの霊なのではないかと、わしらは噂しとります」

 たちの悪い男に弄ばれて非業の死を遂げた若い娘の霊が、幸福な祝言の様子に嫉妬して次々と嫁御を襲っているのではないかということだ。
 げに恐ろしきはおなごの怨みよ。直江は話を聞いてなんとも居心地の悪い思いに襲われた。おなごの霊はあまり得意ではないのだ。特に愛慾や嫉妬に狂った怨霊の類は。

「そのウエモンなる者に、心当たりは?」
「いいえ。この集落にも、近隣の集落の者にもそれらしき男はおりません。もしかするととうの昔に死んだか、どこか他の地に移ったのかも……」

 ありえぬ話ではなかったが、そうだとすると少し厄介だ。
 一通り聞き込みを終えて、直江が景虎達の待つ中仙田に引き返そうとする頃には、既に日の暮れかけた時分となっていた。
 整然とした棚田が夕闇色に染まりゆくのを横目に帰路を急いでいた、そのさなか、不意に直江は奇妙な声を耳にしたのである。

《見ツケタ……》

(なんだ?)

 驚いて辺りを見回せども、声を発したと思しき人影は無い。
 気のせいか? ともう一度視線を転じると、道の左手奥に小さな社があるのが見える。
 そして社に寄り添うようにして生える巨大なけやきの木に、直江は目を奪われた。
 注連縄が張られた欅は、放射状に伸びた枝ぶりが見事な巨木だ。幹の太さや根の張り方から考えても、かなりの樹齢に達していることが一目で分かる。
 直江は通りがかりの老婆に話を聞くことにした。

「ああ。あれは坂上何某とかいう、大昔の高貴なお侍が植えた欅じゃよ」
「坂上……坂上田村麻呂か?」

 坂上田村麻呂と言えば、蝦夷征討に大功あった平安時代初期の武人である。京の清水寺を建立した人物としても有名だ。
 とすると樹齢はおおよそ八百年ほどか。どおりで見事な枝ぶりのはずだ。
 隣に立つ社は熊野の神を祭るもので、ここ赤谷あかたにの氏子達は「十二所権現様」と呼んでいるそうだ。欅を植えた後に勧請された社らしい。
 先ほどの声は、この大欅と何か関係があるのだろうか。しかし木の裏手や社の近くを見回ってみても、人影は見当たらない。
 ただこの木からは何か不穏な気配を感じる。引き裂かれた哀しみのような、何か暗い思念が肌を撫でる感覚だ。
 しかしそれ以上の情報は得られなかった。八百年もの年月を重ねれば、多少悪い気を呼び込むこともあるだろう。直江はそう納得し、深く追求することなくその場を去ったのだった。
 



《見ツケタ……見ツケタ》

《アノオ方……。……ゥエモン様……》






 平成二十年五月二日

今回は景虎様パンチを鮮やかによける直江と、
「何が哀しくて男なぞと添い遂げねばならない」と嘆く景虎様と、
あの男を思うと夜も眠れぬ景虎様にときめくための話です(笑)。

そして注目すべきは坂上田村麻呂が植えたという欅の木。
この木は仙田郷赤谷に実在します。
西暦1585年のこの時点で樹齢約八百年ということは、つまり景虎様や直江が初めて換生をした時、武田の「あの男」は既に、八百年近い歳月を換生し続けているということになるのです。
その事実を知った瞬間、私はあの男の人生の壮絶さに身震いしました。

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