陽炎花嫁かげろう はなよめ

























 第五話


 文太郎の家に直江が帰った時、景虎は囲炉裏の火に当たりながらぐったりとした様子だった。一日中女達にああでもないこうでもないと着せ替え人形のようにいじくり回されて、精神的に疲れたらしい。

「準備は終わりましたか」

 問いに、景虎が大儀そうにこちらに顔を向ける。

「ああ……。そなたの方は何か収穫はあったか」
「はい。それが……」

 直江は岩瀬の集落で耳にした話を景虎に説明した。

「ウエモン、か……。おおかた、その男に弄ばれるか捨てられるかしたおなごが、男を呪って怨霊となったといったところか」

 景虎は気の毒そうに表情を暗くした。祝言の場で嫁女に取り憑いて怨みを吐き散らすほどだ、よほどの目に合ったのだろう。

「ええ。村人達もそう思い、近隣の集落に該当する者がいないか調べたそうですが、それらしき男は見つからなかったそうです」

 手がかりは無しか……と、景虎は嘆息した。
 直江の調査で霊の正体が掴めるか、せめて居場所が分かれば虚偽の祝言を挙げずとも済む。景虎はそれを期待して彼の帰りを待っていたのだが、そう上手く事は運ばなかったようだ。

(いい加減覚悟を決めなくてはな)

 景虎が観念するように心の中で呟いた、まさにその時、

「あ、九郎左衛門さん。帰ってらしたんですか」

 と、バタバタ足音を立てて部屋に入ってきたのは、文太郎だった。
 「今しがた」と答えた直江に、文太郎は破顔して襖の向こうを指さしながら言った。

「ちょうど良かった。お二人とも、連れの方が目を覚ましましたよ」

 何、と二人は声を揃えて言うと、すぐさま晴家が寝かされた奥座敷に足を運んだ。
 晴家は厚手の褥に包まれながら、羽織を肩にかけた状態で上半身を起こしていた。

「景虎ぎみ!」
「晴家、寝てなくても良いのか?」

 身を案じるようにそう聞くと、晴家は力強く頷き、

「ええ。この通りもう心配ございません。一日寝ているうちにすっかり回復しました」

 と胸を叩いて断言した。そういう言葉は嘘ではないようで、あれだけ青かった顔色もすっかり健康的な色に戻っているし、声にもいつもの張りがある。昨日は今にも絶え入りそうな按配だったくせに、まったくいつもながら化け物じみた回復力だと直江は思った。
 すると晴家は突然畏まった顔になり、居住まいを正して景虎の前に両手を着く。

「景虎ぎみ、文太郎殿にお聞き申した。この度の失態でご迷惑をおかけ致しました。誠に申し訳ござりませぬ」

 硬い声音で言って深々と頭を垂れた。気を失った晴家の体をここまで担ぎ運んできた旨を言うのだろう。確かに主君に己の気絶体を運ばせるなど、とんでもない失態である。責められたとて文句は言えない。
 しかし畏まって頭を下げる晴家に、景虎は「いい」と首を振った。

「気にするな。それよりあまり無茶はしないでくれ。オレ達の体は借り物なのだ、滅多なことで粗末にしてはならぬ」

 しゅん、と項垂れる晴家に、優しく言葉をかける。心底落ち込んでいるのだろう。上目遣いに景虎を見上げる黒い瞳が心持ち潤んでいて、まるで仔犬のようだ。

「景虎ぎみ、この汚名は必ず雪いで見せます。是非私めに名誉挽回の機会をくださいませ!」
「ああ。期待している」

 微笑んで頷く景虎に、ぱっと花が咲いたように晴家は破顔した。

「この晴家、必ずご期待に応えてご覧入れましょう!」

 先ほどまでの悄然とした態度が嘘のように、嬉々として断言する晴家の様子と、それを笑顔で返す景虎の様子を隣で複雑そうに眺めているのは直江だ。
 またこの感覚だ、と、知らず知らずのうちに唇を噛む。正体の掴めぬ感情が鬱々と胸中を覆い、直江の表情を曇らせていた。
 そこでようやく晴家は直江の存在に気づいたのか、急に眉間に皺を寄せて気難しい顔になると、素っ気無い声でこう言った。

「……おぬしにも借りができたな」

 普段なら意地でも直江に礼など言わぬ晴家だったが、今回ばかりは渋々なりとも頭を下げぬわけにはいかなかった。しかしその態度からは、天敵に借りを作った己に対する忸怩たる思いがありありと見て取れる。
 直江は胸に湧き起こる原因の分からぬ不愉快感の命ずるままに、ふっと口角を挙げて皮肉げに言った。

「貸しにしておこう」

 晴家は忌々しげに、彼の不遜な顔をしばらく見返していたが、ふと何か思い出したように景虎の方を振り返る。

「ところで、十日町へと向かわなくてもよろしいのですか? 勝長殿達をお待たせしていることですし、直江だけでも先に行かせた方が良かったのでは」

 もっともな問いに、景虎と直江はチラリと顔を見合わせた。
 景虎は一つ息を吐いて、ここ中仙田村に残ることになった経緯を掻い摘んで説明し始める。

「実はな……」



                          *   *   *



「で、では、景虎ぎみのあのお美しいお姿をもう一度見られるわけですか!」

 感極まった声でそう聞き返す晴家に、景虎は渋々とした様子で頷いた。

「嫌々ながら、な……」
「それは素晴らしいっ! いやぁ、あんな見目麗しい女人を嫁御にできる男は幸せ者ですぞ、うらやましい!」

 いささかピントの外れた言葉を返す晴家に、景虎は思わず額を押さえて首を振った。

(頭が痛い……)

 晴家はよほどあの時の変装が気に入っているのか、景虎の女装を再び見られることを心の底から喜んでいるようで、無邪気に笑いながら景虎に尋ねた。

「で、その祝言で婿役を務める果報者は、いったい誰なのです?」
「それが、まだ決まっておらんのだ……」

 そこで驚いて顔を上げたのは直江だ。

「文太郎殿が務めるのではないのですか?」

 この家で祝言を行うのだから、てっきり文太郎が婿役をこなすものと今の今まで思い込んでいたのだが。

「オレもそう思っていたのだが、打診してみたところ、お初以外のおなごを嫁にすることはできない≠ニ取り付く島なく断られた」

 困惑したように言う景虎を見て、直江が両目を瞬かせる。
 「このおなごを嫁に」と幼い頃より胸に誓っていたという彼は、今更彼女以外と祝言を挙げるつもりは一切無いらしい。事情は初も知っているのだから説明すれば彼女も分かってくれるだろうに、文太郎は聞き分けなかった。当世では珍しいぐらい純情な男なのだ。
 それに文太郎は小柄な男なので、景虎と隣に並ぶと景虎の体格の良さが引き立ってしまうのである。女装をする上でそれはまずい。婿役をする者はせめて景虎より背が高い男が望ましいのだが。

「無理強いもできぬゆえ、明日までに他に婿役を務める者を決めなくてはならん」

 いくら今回の主役が嫁御役であるとはいえ、婿役不在の祝言など話にもならない。
 婿役か、と直江は考え込んだ。景虎と横に並んで釣り合うぐらいに背が高く、体格が良く、且つ霊に狙われることになる景虎を咄嗟に守ることができる男というと……。
 そこでふと景虎と目が合った。

(…………俺か?)

 そう考えた瞬間、直江の思考をさえぎるように晴家が景虎に訴えかけた。

「私にやらせてください! 景虎ぎみ!」

 その声があまりに大音声だったので、二人はぎょっとして晴家の方を振り向いた。

「そなたが? しかしその怪我では」

 回復したとは言っても倒れたのは昨日の今日だ。傷口はまだ塞がっていないだろうし、安静にしていなくてはならないだろうに。

「いいえ、ご心配には及びません。明日までには必ずこの怪我も治してみせます。ですから……!」
「無理だ晴家。昨日のようにいざという時怪我で使い物にならぬのでは、話にならんのだぞ」

 痛いところを的確に刺す直江の言葉に、晴家は鋭く振り返った。

「二の轍は踏まん! ともかく貴様なんぞに景虎ぎみの夫君を任せることなどできるものか! 景虎ぎみ、ぜひともこの晴家にその大役お言いつけください!」

 ようするに、景虎の婿役をやりたいというよりは、直江にその役をやらせるのだけは何が何でも阻止したいというのが晴家の本音のようだ。
 なんとなく直江が婿役を任されそうな空気を察して、慌てて必死の阻止に掛かったのだった。
 晴家にしてみれば景虎は敬愛すべき主君である。その主君の夫役を、いくらかりそめとは言え、蛇蝎のごとく嫌う直江信綱が務めるのだけは辛抱ならなかったらしい。
 やたらとヒートアップしている晴家に景虎と直江がやや呆れた顔を見せていると、そこに襖の向こうから声をかける者が現れた。

「何か?」
「表に三郎次さんのお知り合いという方がお訪ねですよ」

 文太郎の母の答えに、景虎は眉を顰めた。すかさず直江が立ち上がって襖を少し開ける。

「三郎次殿の知り合いと?」
「はい。背がたいそう高くて色の白い、四郎佐という名の方です」

 四郎佐! と一同は声を揃えた。

「なぜあの者がここに?」
「分かりません。……ともかくその男は私達の連れの者です。こちらに通していただけませんか、御内儀」






 平成二十年五月三日

景虎様に懐く晴家の愛くるしさは異常。
邂逅編の醍醐味は、この直江→景虎様←晴家の三角関係にあると言っても過言ではないです(笑)。直江に張り合う晴家がかわいくて。
そして次回いよいよ第五の男が……!
以前邂逅編の小説を書いた時は、原作で長秀未登場だったので、この度の小説では彼を登場させることが目標の1つでした。
本当はつばきや雪蛇ちゃんも書きたいのに、情報が少なすぎてどんな風に登場させれば良いのかまだわからないのが残念。

……それにしても、空気の読める男・文太郎、GJ!!

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