陽炎花嫁かげろう はなよめ

























 第六話


 ややして奥座敷に顔を見せたのは、巻いた茶髪と青い右眼が印象的な、派手な着流し姿の風来坊。やはり十日町にいるはずの安田長秀だった。

「お揃いのようだな」

 長秀はいつもの飄々とした態度で言うと、直江の隣にどっかりと胡坐を組んで、胸の合わせから煙管を取り出した。
 火種をつけてプカリと煙を吐く長秀を観察しながら、直江は低い声で問うた。

「貴殿、なぜここに来られた」

 直江の問いに、長秀は片眉を上げながら揶揄するような口調で返す。

「わしが来ては何か不都合でも?」
「そういうわけではないが……」

 横目に見ると、景虎がばつの悪そうな顔をしている。
 直江はこの際もはや致し方ないとして、長秀にだけはこの件を知られたくなかった景虎である。
 怨霊調伏のためとはいえ、女装して嫁女役に扮するなどという話、この男に知られたら何を言われるか知れたものではない。
 それにしても解せぬものがある。今朝方十日町の宿場に向かう者に、仙田郷の事件解決に取り掛かる由を記した手紙を、勝長達の元に届けるよう頼みはしたが、その手紙を読んですぐさまこちらへ向かったとしても、今時分に辿り着くのはいささか早すぎである。

「なに、話は簡単よ」

 長秀はこう説明した。
 落ち合い場所に決めた宿に、偶然にも仙田郷出身の者がいて、長秀はその者から花嫁御に取り憑く怨霊の話を聞いたのだという。
 期日を過ぎていつまで経っても景虎達の来る気配は無し。暇をもてあましていても致し方無いので、勝長を宿に残して長秀は単身事件の調査に向かった。
 そして仙田郷周辺で情報収集を続けるうちに、同じ事件の解決に取り組んでいる旅の者がいるとの噂を聞きつけたのである。

「何でも、霊をおびき寄すために貴公らで祝言を挙げる計画だとか」

 どこから噂を得たのやら、いきなり核心をついてくる。
 長秀は景虎の厳しい表情を見て、小馬鹿にしたように嘲笑った。

「茶番だな」

 なに、と一同が気色ばむ。直江も己が立てた計画を一笑に伏されては穏やかではない。

「では安田殿には他に妙案でも?」
「いや、そうではないが」

 そこで長秀は堪え切れぬように、クックックと肩を揺らして笑い出した。

「畏れ多くも我らが御大将殿を、しかも男を嫁にもらうなどと、いくら女装が上手とは言えわしならごめんこうむりますな」

 にべも無く言い放つ長秀に、直江達は唖然とした。そしてその人を喰ったような態度に、とうとう堪忍袋の緒が切れたのは晴家だった。

「貴様言わせておけば……ッ!」
「よせ晴家!」

 喰ってかかろうとする彼を景虎が制止する。
 景虎はギッと強い光を宿した眼で長秀を睨みつけて、冷徹な声で告げた。

「いちゃもんつけるだけなら誰にでもできる。自分は大した案も出せぬくせに人の意見を腐すのは、無能者のすることだ」

 茶番だろうが、今回の計画を立ち上げた直江の方がよほどマシよと断ずる景虎に対して、長秀はフンッと、面白くないものを見るように口を曲げた。

「数日程見ぬ間に、ずいぶん景虎殿と仲良うなったようだな。直江」

 皮肉げに言う長秀を、直江は苛立ったようにギロリと睨みつけた。
 案の定今の言葉を聞きとがめた景虎が、険しい形相でこちら二人を睨み上げてくる。

「勘違いするなよ。功に関しては相応の評価を与えるというだけだ。だがどれほど功を重ねようが、オレは景勝方の人間に一切気など許しはせん。そういう意味では直江、そなたも安田長秀と同じだ」

 あまりいい気になるなよ。と釘を刺してくる景虎に、直江も表情を硬くした。

(この者、いらぬ波風ばかり立ててくれる……!)

 忌々しげに長秀をねめつけたが、当の本人はどこ吹く風と煙管をふかしている。
 まただ、と直江は舌打ちしたい思いに駆られた。またこの男のせいで景虎の中の自分の価値が貶められていく。
 別に景虎に気に入られたいだとか、さもしいことを考えているわけではない。しかし、同じ実城方の人間というだけで景虎が自分と長秀を一緒くたにするのは、どうにも我慢ならない。

(俺は安田長秀とは違う)

 少なくとも、あの男に自分ほどの景虎に対する思い入れがあるとは思えない。あの姿を夢寐むびにも忘れぬほど思いつめたことなどないだろう。あの者の一挙手一投足を見るにつけ、声を聞くにつけ、心臓をわし掴みにされた心地になり、わけのわからぬ衝動に駆られるまま無性に己の脳髄をぶちまけたくなることなどないだろう。
 この一年、どれほどあの者の存在に根底から揺さぶられ続けてきたことか。己の存在を全否定されるほどの脅威を感じながらも、その一方であの者から与えられる痛みを失いがたくも感じるこの矛盾。声を聞きたいと思う密かな切望。己の正体が氷塊を融かすように明らかにされていく、ある種の快感。
 これらが滅茶苦茶に綯い交ぜになった状態の己の感情が、この混沌の塊が、他の誰かと等しく共有できるほどありふれたものだとは、直江には到底思えないのだ。

「直江?」

 はっと気づくと、景虎が不審げな眼差しでこちらを横目に見ている。
 直江は慌てて没頭しそうになる思考を浮上させた。とにかく、今は婿役を誰がするかを決めなければならない。直江は気持ちを切り替えて本題に戻ることにした。

「話を元に戻しましょう。今は婿役を務める者を選ぶのが先決です」
「なんじゃ、まだ決まっておらなんだか」

 長秀はてっきり立案者の直江が務めるものと思い込んでいたのか、意外そうに瞬きした。

「ああ。事情が変わって我らの誰かがやらねばならなくなった」

 と事情が分からぬ長秀に、直江が今までの経緯を手早く説明すると、

「ならばおぬしがやれば良かろう。適役ではないか」

 長秀はあっけらかんと言ったのだった。

「何?」
「最初からそのつもりではなかったのか? それとも直江、さしものおぬしも男を嫁に取るのはお嫌かな?」

 どういう意味だ、と直江は思わず目を剥いた。この男、こちらの事情をどこまで知って発言しているのか。よもや自分が景虎に抱いている不可解な妄念を察しての言葉かと疑うが、相変わらずこの男の態度にはまったく掴み所がなく、否とも是とも取れない。
 挑戦的にこちらを見る長秀に、負けてはならじと直江は感情を押し殺した声で答えた。

「……それが主の命ならば、私は従うまで」

 瞬時に「とんでもない!」と猛反対したのは晴家だ。

「どうか早まりまするな、相手はあの直江ですぞ!」

 と必死の形相で景虎に言い募る。何しろ晴家にとって直江は言わば不倶戴天の仇敵。生前自分を毒殺した張本人だ。それだけに景虎とはまた違った次元で恨みが深い。
 そんな男を主君の婿役にしてはならじと、まるで娘の結婚を反対する親のようにあの手この手を尽くして反対意見を述べ、どうにか自分を婿役に任じるよう景虎を説得する様は鬼気迫るものがあった。
 しかし……。

「晴家、そなたの気持ちはありがたいが、その怪我では無理だ」

 景虎にそう言い諭されてしまっては、それ以上の反対はできない。晴家は無念そうに大きな肩を窄めて口を噤んでしまった。

「話は決まったようだな」

 愉快げに言う長秀に、鋭い視線を送りながら景虎は考える。
 確かに、霊を憑依させるという危険を冒す以上、傍に侍る婿役は《力》を扱える者の方が望ましい。
 すると選ぶのはこの三人の中ということになるが、晴家は見ての通りこの怪我で無理はさせられぬし、長秀はこのような三文芝居頼んだって引き受けはしないだろう。あてにするだけ無駄だ。とすれば必然的に残る選択肢は直江のみとなる。

(よりにもよってこの男と……)

 景虎は大仰に溜息をつきながら隣に座る男に向き直った。

 「決して本意ではないが、致し方ない。直江、そなたが……つとめてくれ」

 景虎の言葉に、直江は居住まいを正して、慇懃に両の手をついた。

 「御意にござりまする」






 平成二十年五月三日

「決して本意ではないが、致し方ない。直江、そなたが……つとめてくれ」
は、ツンデレ景虎様流の紛うこと無きプロポーズです(爆)。
良かったな直江。私からの誕生日プレゼントよ!
景虎様も口じゃ色々理屈をこねくりまわしてますが、晴家じゃ花婿を務めるには見た目がごつすぎるし、長秀はならず者っぽすぎるし、勝長殿は僧侶だから無理だし……結局見た目的にも直江が一番花婿に適役というか、景虎様にお似合いなんですよね。
もちろんなんだかんだ言いつつ、性格的にも似合いの二人なんですけどv

にしても長秀を書くのが予想以上に難しかったです。
直江や景虎様たち若い世代よりも口調や態度が歴戦の武将らしく、且つ飄々として、気性荒く、そしてかっこよくって……どんなさ。
やたら直江にお節介を焼くのは「いいひと」モードの片鱗なの?(笑)

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