そして翌日の昼過ぎ。いよいよ文太郎の家で、ささやかな祝言の宴が設けられようとしていた。 婿役を務めることになった直江は、くたびれて綻びだらけの 厳しい旅に身を漂泊させる日々のため、普段はお世辞にも身奇麗とは言いがたい格好の直江であったが、こうしてほつれた髪をきちんと結い上げ、上質の衣に身を包んだ姿は見違えるほどに凛々しく、その落ち着きぶりと相まって春日山城中に席を並べる身分ある武士と聞いても違和感がないほどであった。(実質そうなので違和感も何もないのだが) 今回の設定では、直江は上州出身の元浪人で、現在は節黒城主上野家成のもとに召抱えられる下級武士ということで話を通してある。景虎とは浪人時代に府中直江津で出会い、行く末を契り合ったという設定だ。 婿役は姿の良い若武者との噂を聞きつけ、下働きや近隣の若い娘が様子を見に来ていた。 この祝言が怨霊をおびき寄せるために設けられたおとりの席であることは、周りの者にもそれとなく伝わっているようで、話は早い。景虎の支度を待つ間、直江は長秀・晴家と手分けして好奇心に駆られたそれらの見物客から、情報収集を行っていた。 しかしいつまで経っても主役の嫁女が姿を見せる気配がない。そろそろ祝言に伴う一連の儀式を始めねばならぬ頃合だというのに、いったい何をもたもたとしているのか。いくら女の身支度に手間がかかるとは言ってもこれは遅すぎである。 よもや土壇場になって、やはり女装など嫌だと駄々をこねているのではあるまいなと、直江は不信感も露に景虎が支度をしている部屋に足を向けた。 「三郎次殿。まだ支度は終わらぬのですか」 部屋の前で責めるように言い立てると、中から景虎の「もう今終わったところだ」との声が返ってくる。 「いったい何を手間取ってい……」 苛立ちを露に襖を空けて中を覗いた直江は、言葉半ばにしてその場で固まってしまった。 呆けたように立ち尽くした先には、浅葱の小袖を纏い薄絹を被いた美しいおなごが、慎ましげな風情で立っていた。 (天人か……) 直江は思わず心の中で一人ごちた。 それほどの美女である。おしろいが刷かれた白い顔は、半ば薄絹で隠されていたが、それを通してなお美しさが漂い出てくるほどの美貌であった。 薄絹から覗く切れ長の双眸は蠱惑的な光を放ち、視線が合えば見とれるあまり目が離せない。 言葉を失っている直江に、おなごは優雅な足取りで近寄ると、その吸い込まれそうな黒い瞳でこちらを見つめながら、紅を差した唇で尋ねた。 「どうだ? 上手くできているか?」 その瞬間、はっと我にかえった直江は、ひどく狼狽したように手を上げ下げしながら、それでも視線だけは景虎から外さずに、 「…………ええ。なかなか……う」 「おおおっ景虎ぎみ! これはまたなんとお美しいっ!」 と直江の言葉を突如遮ったのは、背後からの野太い歓声であった。 振り返らずとも誰のものだかわかる。晴家は直江を押しのけて景虎のもとに詰め寄った。 「晴家」 「いやはや、前回にも増して見事なお姿ですっ! 楊貴妃もかくやとばかりの美女ぶりですな!」 熱烈な口調であけすけに褒め称えられた景虎は、気恥ずかしいのか少し頬を赤らめた。 「褒めすぎだ。だが、問題無いようだな」 「ええ、問題など些かもございませんとも!……ん? なんだ直江。こんな所に突っ立ちおって」 「…………いや」 直江はどっと疲れた風情で肩を落とし、苦いものでも飲み込んだような渋い表情で首を振った。 そのまま少しよろけ気味に立ち去っていく直江の後姿を眺めながら、晴家が不可解げに首を傾げる。 「なんじゃあやつ。景虎ぎみ、何かございましたか?」 「さあ」 そう言って小首を傾げたが、直江が言いかけた言葉の続きが、景虎はほんの少しだけ気になっていた。 春風駘蕩の吉日。昨日までの冷えはやわらぎ、日差しは春めいた穏やかさを感じさせる。 田の畦道にいくつもの野花が蕾を綻ばせる、絶好の日和の中、景虎達は花嫁行列のために田上の家を発った。 馬上に腰を下ろす景虎の前を、先導役として文太郎が歩き、馬の手綱を晴家が握る。その背後を長秀が続き、さらに田上の家の者らが数人付き従って、花嫁行列は執り行われた。 本来花嫁行列とは、嫁女が生家を送り出され、婚家へと向かう道すがらの道中のことを意味する。 しかし今回の景虎は田上の家の娘であり、婿役の直江を入婿させるという設定となっているから、わざわざ花嫁行列を行う必要は本来ならない。 だがこうやって村内を練り歩き、村中に花嫁御の披露をすることで怨霊の注意をこちらに向けさせる。畢竟、この花嫁行列は怨霊寄せの儀式であった。 街道を練り歩く行列の左右には、村中の人間が物見高げに見物に来ている。近頃村落を騒がせる怨霊を退治するための婚儀だというのだから、村人達は興味津々だ。横で馬の手綱を引く晴家は、「どうだ、わが仕える主君の美しさは」といった風情で誇らしげにに胸を張っていた。 馬上の景虎はよほど身の置き所が無いのか、薄絹を深く被いて、顔を見られまいとするように俯いていた。しかしときおり風に被きが舞い上がってその美貌が露になる瞬間、道中にどよめきにも似た声が上がる。 「こりゃまた、なんと美しいおなごじゃ」 「ほんにまるで天女さまのような」 「なんでも、直江津にいた喜助さんの弟の忘れ形見って話だけど、本当かねぇ」 「嘘じゃろお。あの田上の姪御があれほどの美女のわけあるかよ!」 「わしが聞いた噂では、あのおなごは怨霊を降ろすためにわざわざお招きした、弥彦様にお仕えする高貴な巫女様という話じゃぞ」 「なんにせよありがたいことじゃ」 そう言って道々の村人たちがこちらに向かって手を合わせるものだから、景虎は困惑してしまう。 (下々の婚儀では花嫁道中に手を合わせる習俗があるのか? 聞いたことがないが……) 生前自分も婚儀を行った経験はある。しかし関東管領の家で執り行われる儀式と、山里の領民らが行う儀式とでは隔たりがあるだろうし、何より前回の婚儀では景虎は婿役だったという点で根本的に異なる。 無論のこと、花嫁行列の主役になった経験などあるはずも無い。 まさかそれを自ら経験することになろうとは……。 生前の妻の春には間違っても見せられない姿だ、と景虎は心中で溜息をつく。 その様子を目ざとく見咎めた晴家が、気遣わしげに馬上を見上げた。 「どうなされました、おさぶ殿。ご気分が優れないのでは」 景虎はハッとして顔を上げると、晴家を見下ろしながら必死に裏声を作って答える。 「い、いや……そういうわけではない、のよ」 しどろもどろな景虎の言葉だったが、それでも晴家は安堵したのか、春の日差しのような微笑みをこちらに向けると、 「ならば笑っておられませ。さすれば美しさのあまり、嫉妬に狂った怨霊がすぐさま姿を現しましょう」 邪気無くにっこりと笑いながら景虎を力づけたが、当の景虎は曖昧に口端を引きつらせたのみだった。 すぐ後ろでその会話を聞いていた長秀は、「男同士で何を薄気味悪いことを……」といった風情で顔を歪め、面白くもなさそうにケッと咥えていた葉っぱを吐き出す。 雪の被いが融けた、柳緑花紅の越後の山々を背景に、従容とした歩調で進む馬を中心にして、景虎たちはひたすら無言で歩き続けていた。 |
平成二十年五月五日 Q「ええ。なかなか……う」の後、直江はなんと言おうとしたのでしょう? 1「上手くできております」 2「美しくできております」 3「嘘臭くできております」 さあどれ? 答えは次話! それにしてもおさぶちゃんの美女ぶりを書くのが楽しくてたまりません。 本当は当初もう少し抑えた描写にしようかと思っていたのですが、原作の女装景虎様の描写があまりにも凄まじい絶世の美貌っぷりなので、思う存分褒め称えることができるというものです(笑)。 →八話 →小説 |