陽炎花嫁かげろう はなよめ

























 第八話


 村中を巡り歩いて産土神に挨拶を済ませた後、婿役の直江が待つ田上の家に花嫁行列が到着すると、すぐさま祝言の宴が始められた。
 広い床の間で上座に座るのは直江・景虎の新郎新婦両人。
 その脇には本来なら田上家の者が座すべきだが、怨霊に寄り憑かれた時の危険性を考慮して、二人の隣は仲人役という名目で晴家・長秀が詰めている。

「いやしかし、このように麗しい嫁御を娶られる九郎左衛門殿は、日本一の果報者ですな!」

 饗応の席でいい具合に酒の入った村人達は、口々に新夫婦を褒めそやした。

「それに九郎左衛門殿の目の覚めるような男ぶりも大したもの。まこと似合いの夫婦とはこのことです! 蛤の貝殻とてここまでぴたりと合う物はありますまい!」
「は、はぁ……」

 あまりの褒めちぎられように、困惑して直江と景虎は思わず顔を見合わせた。
 この婚儀が、怨霊を呼び寄すための虚偽のものであるとは周知の事実ながら、嫁御役をこなす「おさぶ」なる美女が、まさか旅の薬売り男が変装した姿などとは、文太郎ら田上の者と初以外は露とも知らぬのである。
 でなければここまで明け透けに褒め称えることは、さすがにないだろう。
 しかし村人達が景虎の正体に気づかぬのも無理はない。それほどに見事な変装ぶりだからである。
 たおやかな佇まい、浅葱に映える白い肌、長い睫毛、黒々とした魅惑の瞳、花のような頬に、熟れた果実のごとき唇。その雅致を極めし姿たるや、まさに羞花閉月の麗人と呼ぶに相応しい。
 直江は右横に座る己の妻≠横目に眺めながら思った。
 確かに前回の琵琶島城の一件で見せた景虎の女装は、見事と言うより他なかった。普段女人の美醜にそれほど心動かされることのない直江信綱をして、数秒の間言葉すら忘れて見とれさせたほどだ。
 だがそれはあくまで河鹿の化粧の技術によって成されたものであって、景虎自身の容貌の優によるものではないと思っていた。「三国一の美童」と謳われた生前ならばともかく、現在の宿体の容貌は目を奪われるほどの美形とは評しがたいからである。
 それゆえ河鹿不在の今回の女装では、いくら化粧を施したとしても前ほどの変貌を見せることはあるまいと、高をくくっていた直江の前に現われたのが、傍らに座る羽衣天人と疑うばかりの景虎だ。

(まったく……底の知れない人だ……)

 もっとも、今回の景虎の女装が成功したのには、少なからず理由がある。
 景虎が聞いた話によれば、彼に化粧を施した初なるおなごはなんと、柏崎での嫁入り修行時代、あの河鹿に化粧法を師事していた経験があるのだという。
 河鹿の化粧に熱烈に惚れこんだ彼女は、そのまま弟子入りして化粧師になることすら考えたが、仙田で待つ文太郎のことを思うと踏み切ることが出来ず、断念したのだそうだ。しかし河鹿に筋の良さを褒められるほどの腕前だというから、大したものである。
 その話を聞いて景虎は思わず、「世間は狭い」と頭を抱えたのだった。

 応接間の中心では、宴の席を盛り上げようと、晴家がしきりに周りの者に酌をしてまわっていた。
 自身も大分酒が進んでいるようだ。事前に「おまえは怪我人なのだから、羽目を外した行為は慎めよ」と釘を刺しておいたのだが、酒宴好きの晴家の前ではまさに糠に釘だったらしく、あの様子では景虎の諭告も覚えているかどうか。

「盛り上がって参りましたところで、今日の祝言を記念してこの葵助、一つ祝いの歌なぞを!」

 やんややんやの歓声を浴びて、仕舞いには手拍子と共にお得意の謡を始めてしまった。この分では裸踊りをし出すのも時間の問題だ。
 流石に目に余ると思って制止しようとしたが、よほどの大声を出さねば晴家の耳に届きそうも無い。
 不安定な裏声で叫ぶわけにもいかず、景虎は他の者に注意させよう思い立った。しかし長秀に命じたところで無視されるのは目に見えているので、傍らに座る直江を当てにして振り向いたところ……。

(な、なんだ……!?)

 景虎は思わずぎょっとしてしまった。
 傍らの直江が、ひどく真剣な眼差しでこちらを一心に見つめていたからである。
 景虎と目がかち合った瞬間、直江はハッとしたように目を瞠って、慌てて視線をそらした。

「……何か?」
「いえ、何も」

 気まずげに直江は返す。さすがに「見とれていました」などとは、口が裂けても言えない。
 いや、見とれていたというよりも、感慨に耽っていたというべきか。
 何しろ直江も、あの景虎をまさか自分の妻にする日が来ようなどとは、夢にも思わなかったからである。
 景虎を見つめながら、直江は十数年前の昔日を思い返していた。彼と初めて出会った去る日のことである。
 それは景虎と、景勝の姉・春姫との婚儀が執り行われた日であった。
 上野こうずけから敗走して以来、越後上杉氏の庇護下に入って日の浅い直江は、若輩ということもあって春日山城中で催された祝言においても席次は低く、おそらく自分の姿が景虎の目に留まることはほとんど無かっただろう。
 しかし末席にあって傍近くに侍ることは無くても、その日直江が目にした北条の御曹司の世にも美しき容貌は、今でも強く記憶の中に刻まれているのである。それほどに鮮烈な印象の持ち主であった。
 そしてその祝言の十数年後、あの美貌の若者を、一度は我が手で追い詰め死に至らしめた青年を、今度は自分の妻として娶ることになるなどと、いったい誰が想像しただろう。
 たとえそれが虚偽の婚儀だとしても、だ。

(いったいどんな運命だ……)

 直江はもう一度景虎に視線を転じた。こちらを訝しげに窺っていた景虎と再び視線が合う。
 そしてそのまま数瞬、両者が無言で探り合うように互いを見つめていると……。

「お熱いねぇ、お二人とも!」

 奥の方から突然酔った男の声が上がった。
 ハッとして振り向くと、いつの間に晴家の歌は終わっていたのか、なんと宴席に着くすべての人間がこちらを注目しているのである。
 そしてそれまで始終無言で酒を舐めていた長秀が、こちらを見遣りながら皮肉げな口調でこう言った。

「人前憚らず見つめ合うとは、よほど思い合う二人と見える。宴席など引き上げて、早う寝所にしけ込みたいのではあるまいか」

(なッ……!)

 不覚にも顔を赤くしたのは景虎である。そんな景虎を見て、一方の直江もひどく周章した様子を見せた。
 村人達は長秀の言葉に大受けに受けて、ドッと笑い声を上げる。

「確かに、これほどの美女相手ではソノ気を催しても仕方ないのお!」
「婿殿も無理せず、我慢できんようなら次の部屋に引き上げても構いませんぞ!」
「おうおう! わしらはここで騒ぎ明かしますゆえ、いくらでも声を上げていただいて結構!」

 あまりに下世話な言葉の応酬に、景虎と直江は完全に顔を引きつらせている。
 事情を知る文太郎や喜助、初らは苦笑を浮かべながら気の毒げに二人の様子を眺めていた。
 沸き立つ歓声の中、晴家は憮然とした顔をしていたが、一方の長秀は「くっくっくっ」とさもおかしげに肩を揺らして、景虎と直江の不興を一身に買っていた。




 宴もたけなわ。料理と酒瓶があらかた尽きて、月が中天に輝く深夜となっても、怨霊は景虎たちの前に影形たりとも姿を見せなかった。
 これに大いに焦ったのは景虎である。

「なぜだっ。やはり虚偽の祝言では駄目だったのか」

 それともオレが男であると霊に露見したのか、と景虎はひどく頭を悩ませていたが、前者はともかく後者は無いと一行は首を振った。
 祝言が終わりを迎える頃、一向に姿を現さぬ怨霊に焦れた直江達は、次の間に下がって急遽作戦会議を行っている最中であった。

「いずれにせよ、そろそろ宴を引き上げねばならぬ時刻だな」

 これ以上引き伸ばすわけにもいくまい、と言って、長秀は襖の隙間から祝言の席が設けられた応接間を見回した。
 既に村人達は帰り支度を始めており、田上の家の者が膳を厨房へと運び出している。
 すっかり諦念漂う口調で呟く長秀に、景虎は歯を剥いて喰いかかった。

「ならばこのまま諦めるのか。このような屈辱的な真似までしたというのに!?」

 このまま怨霊と接触することなく祝言を終えてしまっては、羞恥を耐えて女装した努力がまったく実を結ばなかったことになる。それだけはなんとしてでも避けたい景虎は、苛立ちも露に一行を睥睨する。
 普段の冷静さを失って興奮気味の彼を宥めるように諭したのは、すっかり酔いも冷めた様子の晴家だった。

「落着いてくだされ景虎ぎみ。何も万策尽きたというわけではございません」

 なにっ? と三者が晴家に注目する。
 晴家は神妙な顔をしながら、低い声で次のように語った。

「実は宴の最中、わずかながらも不穏な霊の気配を感知しておりました。もちろん今もです。おそらくあれこそが噂の怨霊でしょう。ところがその霊、いつまで待っても景虎ぎみにとり憑くそぶりを見せなかったのです」

 彼は酒宴の饗応に興じながらも、始終霊査の手を周囲に広げていたのである。直江達は霊の気配すら察知できなかったというのに。やはり霊査能力にかけてはこの柿崎晴家、上杉の換生者の中でも群を抜いている。

「思うに、あの霊は景虎ぎみにとり憑く隙を窺っているのでは」

 憶測に過ぎませぬが……と晴家は念を押したが、彼の言い分は尤もなように景虎は感じた。
 被害に遭った他のおなご達と景虎とでは、霊能力の強さという点で比較にならないほどの隔たりがあるのだ。怨霊も他のおなごの時そうであったようには、景虎に容易に近寄ることはできなかったのだろう。
 様子見は悪手と言うが、この場合は怨霊の出方を待つより仕方が無い。

「しかしどうする。様子を見ようにも、祝言はもう終わってしまったのだぞ」
「……その点についてですが」

 そこで言いづらそうに進言したのは、それまで終始無言で話を聞いていた直江だった。
 なんだ、と目で促すと、直江は意を決したように息を吐いて、景虎に告げる。

「列席していた村人達から聞き出した情報によると、祝言の最中にではなく、その後の……初夜の床入りの際、とり憑かれた例が一つだけあるのだそうです……」

 ひどく歯切れ悪い直江の言葉に、景虎と晴家はギョッと目を瞠った。
 景虎が、紅を刷いた口端をヒクリと引きつらせる。

「それは……つまり、そなたと二人寝所に籠もって、怨霊が寄り憑くのを待てと……?」

 恐る恐るの問いに、直江は何とも気まずげな表情となり、無言で景虎から視線を逸らした。
 その様子ですべてを察した景虎は、思わず額を手で押さえると、絶望にも似た心地で深い溜息を吐き、襲い来る眩暈に堪え忍びながら拳を震わせていた。






 平成二十年五月六日

Q (いったいどんな運命だ……)
A もちろん景虎様と結ばれる運命ですよッ!
にしても景虎様と直江の仲を引き離そうとする晴家に対し、長秀は二人をくっつけようとしているようにしか見えないのはきっと私だけじゃない。
さて次話、「さあ景虎様、共に寝所に参りましょう」の巻(爆)。
色んな意味でこの物語の山場です!

ちなみに前回の問いの答えは、

4「うつく……いえ、上手くできております」

が正解。
そんなツンデレで奥手っぽい直江に萌え。

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