Episode1. Title:「涙」 Theme:なんでこんなに好きなんだろう <2004/12/9> coment: これは自分でも満足のいく出来栄えのような気がするお話。 何より、邂逅編以外の時代の「景虎様」を書くのが初めてだったので楽しかったです。 時代設定は、明治後期〜大正ぐらい。この時代から、いや、これよりずっと前から既に景虎様は直江にメロメロだったということが書きたかったのです(笑)。 ラストの「嘘だと思ってもいい。伝えることは、一生無いだろうけど……」もお気に入りの台詞。そう言いながらあと数十年後には、ちゃんと、直江に言葉に出して伝えることになるんですから……。そう思うと感慨も一入。 そしてその、言葉にして伝えた「2つの場面」を思い出して、泣き濡れることになるのです(泣)。彼がその言葉を直江に伝えるのは、いつも直江との別れの場面だったんですよね……。 題名の「涙」は、「天の涙=雨」と「景虎様の涙」の2つの意味を掛けて。 ……しかしこの話だけではなく、全10編誰か一人は必ず泣いているような気も……? 私が書く話はどーにもふたりが泣き虫主従です。 Episode2. Title:「月」 Theme:欲しいものはひとつだけ <2004/12/10> coment: 設定的に書くのが一番大変でした。30年……いや40年前のお話はまだ原作で完全に語られたわけではないので、未だに正確には把握できていません。 いえ、40年前に限らず、直江と高耶さんの互いに向ける感情をさえ完全に理解しているとは言いがたいのですが。 直江の独白は難しい。気づけば独白文は短編長編、高耶さんの割合が多いです。高耶さんの方が簡単、というわけではないのですが。私が心底直江ファンであるがゆえに、直江のことを描くのはかえって難しいのかもしれませんね。 可哀そうな直江を描くのが嫌……っていう心理もあるのかもしれません。じゃー高耶さんが可哀そうなのはいいのかって?……私の小説は毎回高耶さんが可哀そうな目にあってばかりいるといつも言われます。 ……ぶっちゃけ言って、そう、実は私、高耶さんの可哀そうなお話を書くのが大好きなんです! ああっ、高耶さんファンの方石投げないで!(>_<) でも原作で高耶さんが可哀そうなことになってるのは本気で嫌なんです……。 題名の「月」は、その名のとおり、あの男のことを表しています。 Episode3. Title:「哀」 Theme:あの男はいじわるだ <2004/12/11> coment: このお話、一番お題と内容の関連性が苦しいです(汗)。いじわるだどころの話じゃありませんよホントにまったく……もう、直江のバカッ! 思えば第一部のお話を書くのはこれが初めてです。お話と言う程のものではありませんが。 原作でもここの場面の高耶さんの独白はもう、泣かずに読めたことがありません。第一部随一の超名シーンですね。 是非OVA化して、関さんのあのお声で、……高耶さんのあの独白を聞きたいなぁ。 仰木高耶が、上杉景虎がどんなに直江信綱を愛していたか。どんなに必要だったか。それを原作で初めて読者に知らしめたあの永遠の名場面を。衝撃の告白を。 OVAでこの目で目撃したいよおおおおおおおお!!!!! 嗚呼……でもあの伝説的独白台詞なんかはほとんど抜かされてしまうに違いないと思うと哀しくなる。しかしだからと言って感動できないかと言うと、ことミラージュにおいてそんな心配はありえないのであった。 とにかく、私は「わだつみの楊貴妃《後編》」の高耶さんの愛の告白のシーンが、大好きなのです。ベスト5に入るほどに。あの感動をこの「哀」で100万分の1でも感じていただけたら嬉しいです。 題名、「哀」は、直江を失った高耶さんの哀しみから。Episode5「愛」との対でつけました。 Episode4. Title:「罪」 Theme:声が好き <2004/12/12> coment: このお話はとても楽しんで書けました。上と同じく、第二部のお話を書くのは初めてだったのですが、それより何より人間の小太郎を書くのが初めてで、新鮮でした。 本当はもっと、最後まで小太郎だと分からないように書く予定だったのですが、一人称の話にした時点で無理な話でしたね。あくまで第三者での視点で書いたなら、それも可能だったのでしょうが。 やっぱりどんなに似せようとしても小太は小太で、直江は直江なんだなぁと実感のようなものが。原作でも、小太郎がどんなに模倣術を行っても、読者の側では「全然違うよ」とすっぱり割り切ってましたよね。晴家が、小太郎の模倣術が完璧すぎて、まるでそこに直江がいるみたいだと語っているにも関わらず、そんな風には全く思えませんでした。これは桑原先生の技量がどうだのという問題ではなく、文章としてでは伝えにくいというか、文章だからこそ、細部の違いが顕著に出てしまう。だからこそもし、第二部がOVA化されることがあるなら、小太郎の模倣がどんな風に描かれるのかが楽しみ。 「罪」の中では、小太郎の台詞、「体の不調は思考能力を低下させ、判断力を鈍らせます」あたりが直江口調なのにかなり小太らしい。直江だったらもっとここで、思わず胸キュンになるような台詞をサラリと言うはずなのに。トキメキがない!何故?もうオレに飽きたのか?という高耶さんの焦りが伝わったでしょうか?(笑) 高耶さんって直江にやさしい言葉をかけてもらうのが好きなんですよね。でもそれが当たり前だと思ってたから、ある日突然直江がそういう、「高耶さんが求める言葉」を言わなくなって、驚いて、自分がどんなに、直江のその言葉に癒されていたかやっと気づいて。失いたくなくて、もっと言ってほしくて。……まぁそんな感じです。 後半、綾子ねーさんが過剰なまでに小太郎に敵意を向けていたのは、小太郎が直江となってから日が浅かったからというのもありますが、Episode6の「心」の内容と少し関係があります。 自分が嫉妬し続けていた直江が、他人に代わられたことが許せなかった……小太郎みたいな機械人間に、いや、小太郎でなくても違う人間なんかに直江の代わりができるわけがないじゃないか!と。そんな晴家の心情を描いてみたのですが……どうでしょう。 題名「罪」は、高耶さんが小太郎に犯した罪。そしてそうすることで、直江本人の真実さえ否定してしまったことに対する罪を表しています。 Episode5. Title:「愛」 Theme:ほんとは笑っていて欲しい <2004/12/13> coment: 日記にも書いた通り、内容はともかくとして、このお話のなかの高耶さんの台詞で、自分でもとても気に入ったものがあります。 それはこの台詞。 「おまえの言葉には、人の心を切なくさせる何かがあった」 直江という人間には、景虎様とは違った意味で、人を惹きつけるものがあるのだと思うんです。 それは高耶さんの言葉のような、人を魅了して離さない、光り輝く絶対的なカリスマではなく。もっと繊細な何か。 それじゃあそれは一体何なのか。具体的に言葉にするには難しいけれど、たとえば吉川元春や、八海や、楢崎くんの台詞なんかを思い出してみると、こんな表現がピッタリなんじゃないかなぁと思って、自分でも気に入ったのでした。 直江のそんなところに、景虎様はきっと、四百年前から惹かれ続けていたんですね。 そして読者自身でさえも。 題名、「愛」は、Episode3「哀」と対となっていますが。 「無間浄土」前のエピソードということで、29巻の章名、「虚無と愛と」から取ってつけたものです。 とても好きな章名です。 Episode6. Title:「心」 Theme:嘘が下手なひとだ <2004/12/14> coment: 綾子ねーさんの誕生日企画ですから、晴家が主人公のお話。 この話はかなり、私の自己解釈が濃い内容となっているので、皆さんが思う「綾子像」とは少し異なっているかもしれません。 晴家のシーンで、40巻通して1番の名場面は、33巻冒頭「地底の冷たき楽園。」……那智の滝にて大斎原の大霊に憑依された晴家が、憑依を打ち破って、直江に対し、「あたしがあんたたちを調伏してあげる!」と挑みかかったあの場面だと思います。「最上の場所は……どこかにあるじゃなくて、あんた達のその……一歩一歩のことなんだわ」は、忘れえぬ大名台詞ですね。 そして晴家が、どうして直江のことを憎く思うのかと、その理由を初めて語ったあの場面は衝撃的でした。 その前の32巻ラストで、「あんたが憎い」という晴家の台詞を読んだ時、私はその理由を、直江さえいなければ、ここまで苦しみに満ちた人生を景虎様が送ることは無かっただろうにと、そう思って直江のことを憎いと言っているのだと思ったんです。譲と同じ言い分でなのだと。けれど譲とは違って、晴家にはきっとそう言う資格があったから、だからこそ私はこの台詞が激しくショックだった。 けれど33巻の晴家の言葉で、そうではなかったのだと知り、そして本当の理由を知ったときの衝撃はいまでもよく覚えています。 いつも全面的に直江と高耶さんのことを応援してくれていたあの晴家が、心の中で本当は直江をそんな風に思っていたなんて……と。 あれはきっと、つい最近思うようになった事ではないと思うんです。もうずっと前から、晴家は直江を心の底で憎んでいたんじゃないかなぁと、そう思って書いたのが今回の「心」でした。 晴家が40巻で、最後に浄化して生まれ変わろうと決意した、その理由に対する、私なりの解釈です。 晴家は、これ以上生き続けて慎太郎さんへの愛が無くなってしまうことが、怖かったのかもしれない。けれど直江が出来るのだから、自分にだってきっと出来るはずと、そう思って長い間懸命に生きてきた晴家が、「あたしは景虎とも直江とも違うのだ」と最後に認めて。 慎太郎さんへの愛を無くしてしまうかもしれない未来よりも、生まれ変わってめぐり逢うことを信じる未来を選んだ。けれどそれもまた確かな奇跡で。だからこそ、直江が永遠の愛という奇跡を成就させることで、人の想いが、確かにこの世に奇跡をもたらしうるのだと、証明してほしい。 ……そんな綾子ねーさんの真摯な想いを描いてみました。 題名はもともと、「道」とつけていたのですが……某サイト様の綾子ねーさんのSSにそっくりな題名がついていたので、急遽第二候補の「心」にしました(笑)。 ねーさんの、直江と高耶さんに対する様々な感情……心を表しています。 Episode7. Title:「聖」 Theme:おまえじゃなきゃ駄目なんだ <2004/12/15> coment: このお話は……コメントのしようが無いのですが(苦笑)。 ただ、某ドラマCDで、高耶さんのあの言葉を音として聴いて。 ああ、この場面の高耶さんの台詞って、こんな風に、息も絶え絶えで、かすれてて、もう言葉とも言えないような、そんな台詞だったんだなぁって、初めて知って。 考えてみれば当たり前のことなのに。それまで気づかなくて。 それまで頭の中で、普通に、穏やかな口調で朗読していたものだから。そうじゃなかったってことが、衝撃的で。 このお話のラストも、そんなことを思いながら書きました。 題名「聖」は、高耶さんにとっての聖なる存在である、直江のことを表しています。 「DRAGON QUESTX」サウンドトラック収録の、同名の曲からつけました。 とても美しい曲です。 Episode8. Title:「風」 Theme:どこにも行かないで <2004/12/16> coment: この「風」は10編の中で1番お気に入りの作品です。 4月からこっち、溢れて爆発しそうだった千秋への愛をここに来てようやく解放することができました(笑)。満足です。 千秋への愛のあまり、彼の「いいひと度」が凄まじいことになっていますが、千秋が主人公の話を書くとこうなってしまうことは原作でも既に「鏡像の恋」で証明済みですよねっ。 直江と一緒にいるときの千秋が凄く好きです。あまりのいい人ぶりに涙が止まりません。特に、40巻は。 ラストの彼のあの言葉にどんなに救われたことか。 この話の最後の方で、「……俺はきっと、もう十分満足してんだよ。ずっと心のどっかで引っかかり続けてた、おまえたちの答えが見届けられただけで、俺の心残りは終わっちまったんだよ。」という台詞がありますが、これは19巻の、そう、千秋の台詞の中で間違いなくベスト3に入るであろう、あの大台詞から取っているのです。 「思い残すことがあるとすれば―――景虎。おまえらのこと、見届けられないことだけだ。苦しかろうが死にたかろうがおまえはまだ死んでいい人間じゃない。やつを見るまで、どんなことがあっても死んではならない。……そのための橋が必要なんだったら、俺が今からなってやるさ。」 これです!!これなのです!!(大泣) 40巻を読んだいま、この台詞を読み返してみると、千秋はもう、安田長秀としての人生に心残りが無いんだなぁって思いました。 千秋はふたりの答えを見届けられたし、……高耶さんが息を引き取る最後まで、直江への橋であることができたから。 それでも千秋がまだ生きているのは、きっと直江を放っておけないからで。 ……そう思うともう、千秋への愛があふれてあふれて止まらなくて、ああッ!もう千秋大好きだあああああーーーーッ!!!!! ……という私のほとばしる愛を感じていただけたでしょうか。 「俺はとっつぁんの代理だよ」と言い続けていた彼は、今後もきっと、綾子ねーさんと色部さんの代わりだと言いつつ、直江を支えていってくれるんでしょうね。 題名の「風」はもちろん、千秋自身の生き方のこと。 Episode9. Title:「春」 Theme:あなたが幸せでありますように <2004/12/18> coment: これもコメントのしようが……。 このお話を書きながら、なんとなく、「A THOUSAND WINDS」という詩を思い出しました。 有名な詩ですが、ご存知でしょうか。訳を載せます。 「私の墓の前に立って泣かないでください。 私はそこにいません。眠ってはいません 私は千の風になり大空をかけています。 私は雪にきらめくダイアモンドとなり、作物を実らせる太陽の光となり、やさしい秋の雨になっています。 朝の静けさの中であなたが目覚めたとき、わきあがる風になり、輪を描き、小鳥たちを空に舞わせます。 夜にはあなたを見守る星となり、夜空に輝いています。 私の墓の前に立って泣かないでください。 私はそこにいません。私は死んでいないのです。」 ……という詩ですね。 これを初めて読んだとき、頭の中に、桜の下の墓の前に佇む直江の姿が、瞬時に思い浮かびました。 私が高校生の時でした。まだ40巻を読む前でした。 予知夢を見たような、そんな心地がしました。 ラストの一文は、「砂漠殉教」冒頭の直江の言葉から。 このサイトのTOPページの引用でもあります。大好きなんです、この一文。 題名を「春」としていますが、実はこのお話、春ではなく、秋の話です。 けれど桜は花を咲かせています。春に花開く桜が、秋の日のその一日だけ、満開の花を咲かせるのです。 その一日だけ、伊勢の季節は春になり、桜の“墓”の前で、直江は涙を流すのです……。 Episode10. Title:「光」 Theme:もう一度だけ逢いたい <2004/12/19> coment: このお話は、以前このHPにupした「終わりの地にて」という短編小説の付属編のような体裁を取っています。 高耶さんが、砂漠の中に佇む一軒の小屋に辿り着く前の、あの男のお話。 お読みになる前に「終わりの地にて」を先に読まれた方が良いかもしれません。 題名「光」は、もちろんイセの神殿に今もまつられている、あの人のことを表しています。 ここまでお読みいただきありがとうございました。 原作に沿って、というのは予想以上に難しくて、納得のいかない作品も多いのですが、これが今私のできる精一杯です。 また機会があったら、新たなお話を同じお題で書き直してみるのも良いかもしれませんね。 それではありがとうございました。 よろしければ、一言でも嬉しいのでご感想くださいね。お待ちしています。 ご感想はmailかへどうぞ。 back |